「東京都美術館で開催中のターナー展を見てきました。事前に土日に行くとすごく混んでるって情報を仕入れていたので、金曜日の夜間開館(夜8時まで)を利用して、会社帰りに寄ることに」
「美術館に行って激混みだったときの絶望感ったらないからね。入口で人だらけだったときの、あの急速にやる気の削がれる感じ」
「夜に訪れたら、空いているってほどじゃなかったけど、ひどい混み具合って感じでもなくて」
「ただ問題はお腹がすく」
「すきますね」
「そして金曜日の夜なものだから、そのまままっすぐ帰宅する気にならず、どこかの店によってしまう」
「焼肉を食べたくなりました。ターナーと関係ないですが」
「美術館で展覧会をひとつ見ただけなのに、なぜかやたらと出費が」
「次回以降、反省点として記憶しておきたいです」
「最初は有給休暇をとって平日の朝にでも行こうと思ったんだけど、平日の朝って実は混んでるってことに最近気づいた」
「ご老人が来ますからね」
「老人の朝は早い。学生も授業がなければ来るし。あとおばちゃんの集団もいっぱいいたりして」
「いますね」
「絵画にさして興味がなくて、友達どうしで待ち合わせるために利用しているような人たちがいる。べつにいてもいいんだけど、隣で関係ない話をしたりする。親戚の近況とか」
「現代美術の展覧会でそういう人たちってあんまり見かけませんね」
「ルネサンス絵画とか印象派とかが待ち合わせにはちょうどよいのでは。で、ターナーもそういうカテゴリーに入れてもいい」
「いいのかな」
「イギリス美術って有名な人がたくさんいるわけじゃないでしょ。少なくともフランスやイタリアのような豊穣さはない。イギリスの絵画ってあんまり知らないなーと思って、むかし学生のころに高橋裕子『イギリス美術』(岩波新書)を読んだんだけど、この本の最初の項は「知られざるイギリス美術」ですからね。でもそんな中でターナーという固有名詞はとても有名ですね。知られている画家」
「先日古本屋で古本を漁っていた時、酒井忠康が著した『スティーヴン・ディーダラスの帽子』(形文社)という本を見つけました [1]。装丁がいいでしょう、シンプルで。一昨年河出書房新社から復刻した、シルヴィア・ビーチの『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』やアドリエンヌ・モニエ『オデオン通り』を想起させるような。この二冊も装丁が素晴らしくて。

で、『スティーヴン・ディーダラスの帽子』のなかで酒井さんは、

イギリスにおいて、もっとも評価のたかい芸術は文学である。それは中世以降、断絶することのない歴史をもっている。(中略)美術のほうはこれに比して、十八世紀の半ばころまでは、いわゆる世界の美術史に名をとどめるイギリス人の画家は登場していないといっても過言ではない。(p.30)

と書いてます。いまはもっと研究が進んで、“過言”になっているのかもしれませんが、こうした認識でよいかと思います。そして、要約して言えば、と前置きをしたうえで

貴族趣味つまり上層階級の支持をうけたジョシュア・レイノルズ(1723-92)とトマス・ゲインズバラ(1727-88)に代表される肖像画の世界と、自然現象の変化の変化の様相をとらえたウィリアム・ターナー(1775-1851)とジョン・コンスタブル(1776-1837)の風景画に分別される。これに二十世紀になってようやく復活した幻視の詩人・画家ウィリアム・ブレイク(1757-1827)の仕事を加味すれば、一応のイギリス美術の要約的な見取り図はできあがる(pp.31-32)

とも書いています。この見取り図にはなじみの名前ばかり出てきますから、ここから広げていけばいいかなと」
「知ってる知ってる」
「それでも日本人にとっては、夏目漱石からイギリス美術に入るという手があるじゃないですか? ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイ、そしてウィリアム・ターナー……」
「知ってる知ってる」
「今年6月に東京藝術大学大学美術館で見た「夏目漱石の美術世界展」、とても面白かったですね。ターナー作品では《金枝》が来てましたね。で、この展覧会の混雑っぷりがすごかった。さすが漱石。目立ったのはまず、中高年男性、そして中高年女性。わたしは中学生の頃にミレイの《オフィーリア》を知って、子ども心にも綺麗だなあととても好きになりました。これらの絵は中高年女性もけっこう好きだと思います」
「その流れを鑑みてもランチ前のちょっとした時間つぶしとして、待ち合わせにはちょうどいいですね」
「やっぱりそういう話ですか」
「しかしターナーの絵は徹頭徹尾風景画でしたね。途中でちょっと飽きるくらい風景画しかなかった」
「油彩や水彩などいろいろありましたけど、描く対象はほとんどイギリスの風景でしたね。人を描いてない、静物画も描いてない。見事に景色ばかり。人に興味がなかったのかな」
「晩年はちょっと変だけどね」
「やたら黒色が強調された絵があったり」
「現代の視点からすると、ほとんど抽象絵画のように見えるような作品もあって。これは未完という話もあって、ターナーがこれで完成としたか否かは今でも議論があるようで。まあ、ターナーが抽象画を描こうとしたとは思いませんが」
「画面にドラマを孕ませたいという意思や、段階を踏んでさまざまな技法と手法で創作を続けていた姿勢は読み取れます。ターナーはグランドツアーでヨーロッパ各地をまわってますね」
「18世紀イギリスの裕福な人々がヨーロッパを旅してまわったんだけど、ターナーはパトロンにも恵まれたようで、画業をつづけるにあたって、内的な葛藤はともかくそんなに大きな苦労はしていないような雰囲気ですよね。それゆえか、ターナーの絵って、どこか余裕を感じさせる」
「わかります。解説にありましたけど、ターナーって遺言がすごいですよね。テート美術館に自分専用の部屋をつくるなら作品を寄贈すると」
「著名な画家でなければ何様って感じの遺言ですね」
「で、実際遺言どおりになったんですね。すごいなあと」
「王室の要請でナポレオン戦争を描いた絵があるんだけど、戦争の勝利を高らかに描きあげるのではなく、戦渦の混乱を描いてしまったものだから王室に嫌われてしまって、以後オファーはなかったとありましたね。でもほかにパトロンがちゃんといたから大丈夫だったのでしょうね」
「余裕だ。そういえばナポレオン戦争について本がでましたね、最近。Britain against Napoleon: The Organisation of Victory, 1793-1815 というのが」
「読むんですか?」
「いやー700ページ以上あるし、外国語だし、世界史あんまりよく知らないし」
「知らないですね世界史」
「広いからね、世界は」
「そういう問題でしょうか」
「ターナーは27歳でロイヤル・アカデミーの会員になって早くから名声を確立した天才と称されましたけど、今回の展覧会を見ていくと、同時代の批評家からはやたらと悪口を言われてますね。ラスキンのように擁護した人もいたけど。でも余裕ですよ、ターナーは」
「会場の解説パネルにもありましたけど、私生活を審らかにしなかった人で、奥さん的な存在がいたことを終生隠し通し、2人の娘さんの結婚式にも出なかったという」
「余裕ですね」
「それは余裕とはちがう話では……。ある晩年の作品について、批評家に黒が強すぎると批判されたある晩年の作品に対しても、もっと黒い絵具があればもっともっと黒くしたいくらいなんだ、と主張したり。ものの形があいまいな作風も痛烈に批判されたらしいです。でもターナーは「雰囲気描写が私の作風」 [2]と、どこ吹く風という感じ」
「やっぱり余裕ですよ」
「雰囲気描写、ってともすればゆるふわともとれるタームを吐いた人ですが、一本筋が通ってますよね」
「ゆるふわターナー」
「あとターナーは黄色を好んで使いましたけど、それがカレーっぽいと。カレー・マニアと酷評されたらしいです」
「カレー・マニア。それは批評なのか。ゆるふわのカレー好き」

  1. 同書の姉妹篇のような『奇妙な画家たちの肖像』も併せて購入。 []
  2. 朝日新聞 ターナー展 記念号外より []
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