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Monday, January 19

昼間、なんとなく喉がイガイガする上に身体が熱っぽい気がしておまけに怠く、嫌だなあ、具合悪くなりたくないなあ、と悶々としていたけれど、夜になったら不調はすっかり消えてくれて、ほっとした。

中谷宇吉郎『寺田寅彦 わが師の追想』(講談社学術文庫)を読了。有名な寺田寅彦の問いかけの言葉「ねえ君、不思議だと思いませんか」は、ほんとに良いフレーズだなあ、沁みるなあ、としみじみ思う。寺田寅彦から仕入れた科学的なエピソードを、夏目漱石がどのように小説に取り入れたのかを説明した章なども興味深く読んだ。

ところで松屋銀座で4月から5月にかけてミッフィー展をやるらしく、観に行きたいのだが、土日の混雑っぷりを想像しただけで背筋が凍る。でも、平日行っても変わらないかもしれない。混雑した展覧会、ああ恐ろしい、なんて恐ろしい…! 寝る前に『クウネル』(マガジンハウス)最新号を半分ほど読む。

Saturday, January 24

朝食、白パン、目玉焼き、パプリカと小松菜のソテー、ヨーグルト、珈琲。たらたらと雑用し、図書館と花屋に行き、アルストロメリアを2本買う。お昼に、ベーコンと小松菜のミートソースパスタを食べ、白ワインを1杯飲んで、支度をして出かける。

まずは汐留。パナソニック汐留ミュージアムで「パスキン展 —生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子—」を観る。水の中にあるような、磨りガラスの向こうに置かれているような、おぼろげな、霞がかった色彩の油彩画が素晴らしい。多くの作品が2人の少女をモチーフとしている。江國香織が絵画エッセイ『日のあたる白い壁』(白泉社)で取り上げていたことでわたしはパスキンを知ったと記憶しており、江國香織もやはり、姉妹と思しき2人の少女が昼下がりにまどろむ一作を讃えているけれど、実際に見た作品の美しさは想像以上で、驚かされた。貝殻の裏側の色、すなわち虹色の、独特な色彩の作品が多産された絶頂期は「真珠母色の時代」と呼ばれているそうだ。展示会場を出たところのミュージアムショップに『日のあたる白い壁』が置かれているのを発見(単行本はどうやら絶版のようで、集英社文庫のほう)。

銀座に移動し、資生堂ギャラリーで「第9回 シセイドウ アートエッグ 川内理香子」、Megumi Ogita Galleryで「土屋仁応展」、ギャラリー小柳で「杉本博司+ソフィ・カル+青柳龍太 UNSOLD」、シャネルネクサスホールで「マルク・リブー Alaska」、メゾンエルメスで「モニカ・ソスノフスカ ゲート」とまわる。マルク・リブーがクールに淡々と撮ったアラスカの写真、傑作だった。銀世界にいるかのような、白一色で構成された展示会場も良かった。壁に掲げられた「美しい風景を眺め写真に撮ることは、音楽を聴くこと、詩を読むことに少し似て、生きる支えになる。」という言葉に励まされる。

途中、シネスイッチ銀座に立ち寄り、来週から公開されるゴダールの新作の前売り券を買う。劇場窓口で買うと付いてくるであろう青い小さな巾着袋をノベルティとしてもらった。

初台に向かい、fuzkueで定食とビール。阿久津さんのつくるごはん、相変わらず本当に美味しいなあ。わたしもお料理がんばろー。窓際の席で、ルイジ・ギッリ『写真講義』(萱野有美訳、みすず書房)を読了する。講義自体ももちろん面白いのだけれど、巻末の、ジャンニ・チェラーティによる回想「ルイジの想い出 写真と友情」が極めて深い印象を残す。チェラーティ、涙を見せずに泣いている。

最後に、一九八八年、ヴェネツィアでの春めいた夕暮れ時のギッリを思い出す。その晩、彼はアメリカの偉大な写真家、ウィリアム・エグルストンとヴェネツィアの細道を歩いていた。エグルストンは背が高く、痩身で、アメリカ南部の紳士の風格だった。その隣にいるギッリは、エグルストンの肩ほどの背丈に、軽装としか言いようのない格好をしていた。コーデュロイの長ズボンに、いくぶんくたびれた上着のギッリ。

二人がどんなふうに話していたかを憶えている。相手の気を引こうとせず、それぞれがそれぞれに話していた。まるで古い仲間同士のように話していた。おそらく二人ともその時代の空気に傷ついていたのだろう。彼らは偉大な注視者、そして丸腰の男。彼らは、彼らの空気のなかで、一時停止しているかのようだった。(p.238)