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Monday, January 26

トマス・ピンチョン『重力の虹』(佐藤良明/訳、新潮社)がようやく下巻に突入。もうすっかりわけのわからなくなった状態なので下巻を読みすすめるよりも上巻を再読したほうが身のためなのではなかろうかという気がしながらも、勢い余って下巻に突入。

夜、あさりとトマトと小松菜のパスタ、バゲットとレバーペースト、赤ワイン。『装苑』(文化出版局)の3月号が届いた。

Wednesday, January 28

現在のフランスの情勢を考えるとうっかりタイムリーな題名になってしまっている飛幡祐規『それでも住みたいフランス』(新潮文庫)を読んでいたら、つぎのような誤植に遭遇した。

蓮見重彦氏の本のなかに、彼の息子さんがフランスの幼学校で最初に暗誦させられた詩がアレクサンドラン(十二音節詩句)になっていることに感動したくだりがあったが、たしかに詩や歌を覚えると、脚韻を踏むフランス語の美しい語感とリズム感が自然と身についていくのではないかと思う。

著者が悪いのか編集者が悪いのか校閲が悪いのかわからないけれど、ここで蓮「見」重彦と印刷された名前はもちろん蓮「實」重彦でなければならない。しかしこれが単純な苗字の誤記で済まないのは、ここで引かれているアレクサンドランについてのくだりは『反=日本語論』に登場する話なのだが、このおなじ書物のなかで著者であるところの蓮實重彦は、ある外国人から貰った一通の手紙についてつぎのように述べているからだ。

だが、その封筒に記された住所と名前には、幾つかの誤字が含まれていた。外国人が漢字を書いているのだから、寛大に見逃すべきであろうか。だが、それは何とも不愉快であった。というのは、どうしても間違えてはもらいなくない筆者の苗字の一つが、多くの日本人が間違えるのと同じやり方で、別の文字に置き換えられていたからだ。

つまりは『反=日本語論』に出てくるエピソードについて言及しながら、「實」を「見」と印字してしまうというのは、どうしてよりによってそこで、という事態であり、喧嘩を売っているというか、挑発的というか、もしかしてわざとなんじゃないかと勘ぐってしまうというか、ほとんど扇動的な誤植といってよいだろう。

夜、鶏肉と万能ねぎと生卵をのせた温かいうどん、きゅうりの漬物、ビール。

Thursday, January 29

本日の読書は、オリガ・ホメンコ『ウクライナから愛をこめて』(群像社)とジャン=リュック・ナンシー『思考の取引 書物と書店と』(西宮かおり/訳、岩波書店)と橳島次郎『生命科学の欲望と倫理 科学と社会の関係を問い直す』(青土社)。

夜、白米、しめじとわかめの味噌汁、豚肉ともやしの生姜ポン酢蒸し、ビール。

Saturday, January 31

東京都現代美術館で「ガブリエル・オロスコ 内なる複数のサイクル」を見る。メキシコ生まれの作家という情報以外には何ももたずに臨んだ展覧会は、勝手に土着的なものを想像して、それだったらあまり好みではないかなあと思っていたのだが、とても洗練された内容で満足。しかし東京都現代美術館で卓球をやることになる(参加型の展示)とは思わなかった。あわせて「菅木志雄 置かれた潜在性」も鑑賞。館内にあるベトナム料理の店で昼食ののち、閉店してしまったSacra Cafeの前を通りつつ、清澄白河のギャラリー倉庫まで足をのばす。お目当てはタカ・イシイギャラリーのマルティン・キッペンベルガー展。