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Monday, January 12

毎年おなじみの沖縄の成人式なんかは、その光景を石川竜一が写真に撮って森山大道が一瞬嫉妬する以上のエンターテイメント性はないし、成人式など廃止すればよいだけの話だと思うのだが、例年暴れる側も眉を顰める側も、じつのところ両者とも楽しみにしているんじゃないのかと共犯性を疑いたくなるくらい、やめる気配はない。

トマス・ピンチョン『重力の虹』(佐藤良明/訳、新潮社)の上巻、『マラルメ詩集』(渡辺守章/訳、岩波文庫)、池内了『科学/技術と現代社会』(みすず書房)の上巻を読む。

夜、タコとじゃがいものガリシア風、ほうれん草とベーコンのキッシュ、バゲット、赤ワイン。連休が終わった。

Tuesday, January 13

夕飯は、焼きそばにビール。駒村康平『日本の年金』(岩波新書)を読む。「2014年現在40代後半より若い世代の支給開始年齢は、67歳になる」とあって、嫌だなあと思うのだが、著者は最後に「公的年金制度は、保険料、給付額のみならず支給開始年齢も変更されることがあり、これが加入者からは制度不信の理由にされることが多い。しかし、こうした調整ができるからこそ公的年金は社会・経済の急激な変化に対応できるということを忘れるべきではないであろう」とも指摘する。でも嫌だなあ。

Wednesday, January 14

冒頭に引用されている「あんたいつの間に『哲学入門』なんて偉そうな本を書く身分になったのよ」という奥様の一言に完全にノックアウトされた。私の偏見とは全く逆に、平易な文章を用いながら深い考え方が紹介される。表現の上手さに騙されそうになるが、中身は実はかなり難解である。しかし繰り返し読んで理解に努める価値は十分ある。なぜか敵ながらあっぱれという言葉すら頭をよぎった。

と『UP』2014年12月号(東京大学出版会)に須藤靖が書いていたのが気になって、戸田山和久『哲学入門』(ちくま新書)を読んだ。「敵ながらあっぱれ」というのは須藤靖が科学哲学を嫌っているからだが(河出書房新社から出ている伊勢田哲治との対談『科学を語るとはどういうことか』にくわしい)、しかし須藤靖と戸田山和久は、執筆においての芸風は遠くないかもしれない。

夜、白米、人参と大根の味噌汁、秋刀魚、大根おろし、きゅうりの漬物、ビール。

Thursday, January 15

フランスで起こったテロについての話題が氾濫したのはあの殺し方が「派手」だったからで、もしも風刺漫画雑誌の編集長一人だけが狂信的な原理主義運動の支持者に刃物で刺し殺されたという事件であったならば、こんな騒ぎにはならなかっただろう。日頃からの分析の結果というよりその派手さに乗っかったかたちでの議論は、どれほどフランスの社会構造を踏まえて論じたものであっても(というより踏まえれば踏まえるほど)、強弱はあれどどこか誇大妄想的な雰囲気をおびる。国家や民族や歴史や宗教といった文脈と今回の事件とを早急に「ゆえに」で接続するのは、どれほど精緻にやろうとも無理がでてしまう。

Friday, January 16

『駅馬車』(ジョン・フォード監督、1939年)を見る。ひさしぶりに見る『駅馬車』は、見ているうちにジョン・ウェインとクレア・トレヴァーの恋物語だったことをそういえばそうだったと思い出し、馬車が疾走するなかでの銃撃戦「以後」は、もう完全に記憶からすっ飛んでいた。

夕飯は、グリーンカレーとビール。

Saturday, January 17

青山と銀座のギャラリーをめぐるややタイトな行程表を組んだ午後、渋谷駅から青山方面に歩く道すがら、2件の古本屋につかまる。つかまるというか、みずからの意思で入店。欲望に対して従順である。古本屋をあとにし、今度は青山ブックセンターに立ち寄りたい欲望が沸き起こるものの、どんどん一日の時間がなくなっていくので、その欲望を無理やり抑え込み、CoSTUME NATIONALのギャラリーに向かう。ホンマタカシの展示「Chandigarh」を見るため。しかしGoogle Mapで場所を確認しながら向かっていたら店舗の裏側にたどり着いてしまったらしく、入り口が見つからない。時間を有効利用するためのGoogle Map活用が、結果は時間のロスである。ネット社会の陥穽だ。そして、まわり道してたどり着いたホンマタカシの展示は写真と映像。インド北部の都市を撮ったもの。現代アートにおける映像作品というものはなかなか曲者で、いったいいつ終わるんだかわからないものが多く、なんとなくずるずる見ているうちに時間はどんどん経過してゆく。つづいて訪れたRAT HOLE GALLERYもこれまた延々とづづく映像もので、アメリカ中西部にあるという人影のまるでない畜舎の周囲をぐるっとカメラが旋回する、ジョン・ジェラードという作家による「Sow Farm」と題された作品だった。始まりもなければ終わりもないようなこうした作品は、どこまでの状態をもって「見終えた」といえるのだろう。予定時間の超過を気にしつつ、外苑前まで歩いて、ときの忘れもので「植田実写真展 都市のインク 端島複合体 同潤会アパートメント」を見る。

青山界隈のギャラリーを遊覧後は銀座に向かうはずが、途中にあったカレーパンの店が気になり、びゅんびゅん風が吹きつけものすごく寒くて、そんな状況から導き出された行動は、カレーパンを頬張りつつ銀座に行くのはやめるという選択である。欲望に対して従順だ。

初台のfuzkueへ。fuzkueの行くときはそこで読むのにふさわしいと勝手に考えた本をもっていくことにして、本日は吉田健一『時間』(新潮社)を持参した。ビールを飲みながらひたすら読書。ところで、前回訪れたときも店は満席状態になり、今回も満席だ。店主曰く、ほかの日は空いているという。どういうことなのか。次回が注目である。

夜、ビーフシチュー、バゲット、赤ワイン。

Sunday, January 18

旅の予定を立てるのではなく、旅の記憶を呼び覚ますために『地球の歩き方 オランダ ベルギー ルクセンブルク』(ダイヤモンド社)のベルギーのページをめくる。

最新号の『ku:nel』(マガジンハウス)に橋本治が登場するのだが、なんでもネットに繋がったことがなく、21世紀に入ってからはワープロとも決別したとあり、さすがの風情に感嘆するのだけれど、ブルーレイなんて買いたくないからVHS党、というのはさすがによくわからないことになっていると思う。

去年「幸せな人生からの拾遺集」との邦題で渋谷のアップリンクでかかった『Out-Takes from the Life of a Happy Man』(ジョナス・メカス/監督、2012)が期間限定でストリーミング配信されていたので、夕食をとりつつiMacのディスプレイを凝視する。