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Monday, January 5

岩本正恵の訃報に接し、訳書を本棚でさがしたところ目に入った、キャスリン・ハリソン『キス』(新潮クレスト・ブックス)を読む。その翻訳文にできるだけ注意を払いつつ。

夕食、白米、ちくわと長ねぎの味噌汁、ほうれん草とハムのソテー、人参と大根のなます、冷奴、ビール。録音しておいたTBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」を流しつつ。イギー・アゼリアの「Fancy」を分析の俎上にのせながら、長調と短調について説明するのがおもしろくて最後まで聴き入る。おなじルートをとおるのに出発する場所(音)によって印象が大きく変わるのを、山手線でいえば長調が「新宿発」で短調が「日暮里発」との卓抜な比喩で説明していた。

Tuesday, January 6

『キス』の訳者あとがきで感謝の言葉が佐藤良明に捧げられているのだが、その佐藤良明の最近の訳業であるトマス・ピンチョンの『重力の虹』(新潮社)。翻訳を原文と照らしあわせながら読むということをやっていたら、翻訳本は図書館で借りたので返却期限までに到底間に合う気がしなくて、途中から訳文を読むことに集中する。原書のペーパーバックはアメリカの古本屋から取り寄せて、価格は1ドルだった。送料のほうが高い。

夜、万能ねぎと長ねぎとハムをのせた塩ラーメン、ビール。

Wednesday, January 7

朝、七草粥。そのあとにケーキと緑茶。邪道感あふれる。

『金井美恵子エッセイ・コレクション4 映画、柔らかい肌。映画にさわる』(平凡社)を少し。映画好きが映画について語っているさまは、どれほど作品を貶しているものであってもどこか楽しそう。

夜、人参と玉ねぎとハムのペペロンチーノ、赤ワイン。

パリにある新聞社で銃撃事件が発生。BBCのホームページにつなぐとライブで番組を流している。見たら、タイミングが悪かったのか、パリの緊迫した映像がちょうど終わってここで天気予報ですとグレートブリテン王国の天気をお伝えしている。明日のイギリスの天気を知りたいのではない。

Thursday, January 8

Mac環境でradikoを録音するにあたり、これまで「ラジ録」というソフトを使っていたのだが、あきれるほどちょくちょく録音に失敗するので、今年に入ってから「Audio Hijack Pro」と「BRadiko」を組み合わせた環境に変えた。いまのところ順調に録音成功の状態がつづいている。

夕食は、カレーうどん、きゅうりと大根のピクルス、ビール。夜、『生活の設計』(エルンスト・ルビッチ監督、1933年)を鑑賞。

Friday, January 9

有給休暇を取得して、今年最初の美術館行脚を決行する。まずは竹橋の東京国立近代美術館に赴く。入口近くの小庭には、ヨガのポーズをとる巨大なケイト・モス像(マーク・クイン《ミクロコスモス(セイレーン)》)がまだ鎮座していた。

「高松次郎ミステリーズ」展を鑑賞。美術家の内面の表出ではなく、哲学や物理学の知見を参照しながら「世界とは一体どのようになっているのか?」を作品に結実させた高松次郎の仕事を、たいへんわかりやすい解説とともに紹介している(見方によっては、説明しすぎとも言われそうではあるが)。同時開催の「奈良原一高「王国」」展も併せて。北海道の修道院と和歌山の女性刑務所を撮ったモノクロ写真は息を呑む素晴らしさで、会場を二周する。常設のフロアにも高松次郎と奈良原一高に関連する展示があるというので、そちらにも足を運ぶ。今年最初に見た展覧会が充実した内容でなにより。ところでハイレッド・センターのうち、高松次郎と中西夏之が後年「絵画」に向かったのに対して、赤瀬川原平は「おもしろ」に向かったのが気になるところだ。

地下鉄で六本木に移動。昼食は六本木ヒルズのBrasserie Cafe Huitで、豚バラ肉とレンズ豆の白ワイン煮込み、バゲット、サラダ、珈琲。

冷たい風が吹きつけるなかを歩いて、「The Paris Photo – Aperture Foundation PhotoBook Awards」を見るためにIMA CONCEPT STOREへ。「The Paris Photo」とは別に、新刊の写真集がならぶ棚のなかで、Saul Leiterの写真集がよくて物欲がふつふつを沸きあがってくるものの、今年から節約につとめることにしたので、財布をバッグからとりだすことなく店を後にする。IMAとおなじAXISビルにあるタカ・イシイギャラリーでLina Scheynius「Exhibition 03」も見学。

東京ミッドタウンのFUJIFILM SQUAREで土門拳「二つの視点」。作家や画家を撮影した人物写真がならぶのだが、解説文に目をやると土門拳が撮影後にやたら反省ばかりしていて可笑しい。

国立新美術館で「DOMANI・明日展」を鑑賞。青木克世、入江明日香、関根直子らの作品が印象に残る。以前から作品を見ている既知の作家たちではあるが。

夜、持ちかえり寿司、ビール。フランスの銃撃事件で犯人らがシャルル・ドゴール空港のちかくで人質をとって立てこもったらしく、iPhoneでBBCの報道番組を見ながら就寝。

Saturday, January 10

『按摩と女』(清水宏監督、1938年)を鑑賞。今年は週に2本くらいのペースでDVDを借りて映画を見れたらいいなあと思ってツタヤで旧作を2本借りようとすると、4本まとめて借りたほうが圧倒的に安いという事実。しかし4本も見れないので2本でいいのだが4本借りたほうが得なので4本借りざるを得ないという嫌がらせのようなツタヤの価格設定に困惑する。

ラジオで料理家の細川亜衣がゲスト出演しているのを耳にする。彼女の料理本での文体からサバサバした語り口なのではという予想に反し、おっとりとした口調だった。やっぱり料理家は温厚な感じの人じゃないとつとまらないのだろうか。弱火で煮込んだりするし。わたしは料理は好きだが、せっかちでさっさと作業を終わらせたいので、可能なかぎり強火で済ませたい。強火原理主義者である。弱火なんていうかったるいことなどやってられない。

平野久美子『坂の上のヤポーニア』(産經新聞出版)を読む。日露戦争直後にリトアニアで日本を紹介する小冊子を出したカイリースという人物について書いた本。リトアニア人が当時の日本について言及するという話自体は興味ぶかいし、記述にあたっての調査も丁寧だが、いかんせん著者の分析が凡庸すぎるのが残念。

夜、じゃがいものグラタン、ペコロスとベーコンのスープ、くるみパン、水菜ときゅうりとナッツのサラダ、赤ワイン。

山出保『金沢を歩く』(岩波新書)を読む。北陸新幹線が開通する今年こそは金沢へ。

Sunday, January 11

正月のラジオで「ニューイヤー・スペシャル」(NHKFM)や「RADIO SAKAMOTO」(J-WAVE)といった坂本龍一の番組が、病気療養中の教授のかわりに、どちらもタブラ奏者のユザーンが代打をつとめていたのだけれど、坂本龍一のかわりをすべてユザーンがやる(やった)と仮想したらどうなるかを考えていた。たとえばきょう坂本龍一と大森荘蔵の対談『音を視る、時を聴く』(ちくま学芸文庫)を読んでいたのだが、これがユザーンと大森荘蔵の対談だったらどうだろうかと考えると想像を絶するものがあって、このふたりで何を喋るんだという話である。カレーについてか。

図書館で本を返却し、また借りる。2015年もまた、この所作をくり返すことだろう。

第二次大戦の前後のドイツを代表する人物ふたりについて論じた、中公新書を二冊。高田博行『ヒトラー演説 熱狂の真実』と板橋拓己『アデナウアー 現代ドイツを創った政治家』。どちらもおもしろく読んだ。『ヒトラー演説』で引かれているナチ支配下での子どもの発言が印象ぶかく、子供の言うことなので空気をまったく読まないところが結果的に秀逸な批評性を放っている。たとえばレニ・リューフェンシュタールの撮った『意志の勝利』について、子供はつぎのように言うのだった。

『ドイツ通信』の報告を見ると、子供たちは学校行事として強制的に『意志の勝利』を観させられ、作文も書かねばならなかった。報告には、「子供たちへの影響は一様ではなくさまざまである。その映画のことを、こんなくだらないものは見たことがないと言った子供もいた」とある。

あるいは、失敗に終わったヒトラー暗殺計画についても、子供はつぎのようにしるすのであった。

『世情報告』を見ると、ある十歳の少年が書いた日記に、「真夜中の演説でヒトラーは「ごくわずかな数の一派が暗殺を試みた」と言ったが、ごくわずかにしては(その逮捕に)全軍隊を投入しているのはおかしい」とある。

この鋭い子供たちはなんなのか。

夜、恵比寿のRue Favartで夕食、ニース風サラダ、スフレオムレツ、鴨のコンフィ、赤ワイン。