「葉の色づきが美しく、防寒の必要となる季節が迫ってきたところで、今回のテーマは?」
「夏休みの課題図書の第二回です!」
「第一回を掲載したのが八月で、どんだけ休んでんだって話ですが。半袖の季節はとっくに終わってる。もう年末だよ」
「ずっと終わらない夏休みですよ。夢みたいな話じゃないですか! ということで、もうすぐ冬休みですが、夏休み気分で聴いてください。このあいだ訪れた南青山にあるCOW BOOKSで、わたしが小学生の頃に愛読していたメアリー・ノートン「小人の冒険シリーズ」のハードカバーがずらりと売られているのを発見しまして」
「ああ、なんか狂喜乱舞してましたね」
「全五巻のうち抜けていた第二巻と第五巻を購入しまして、無事全巻そろえることができました。嬉しくて嬉しくて。神保町の古本屋、京都の古本屋、これまでほうぼうで探していましたがCOW BOOKSにあるとは想定外でした。でもあのローラ・インガルスの名作「大草原の小さな家」シリーズも全巻そろって売られていたから、児童文学の聖地だったんですね、COW BOOKSは」
「こちらのテンションに若干引き気味でしたけどね、店員さんが。でもアマゾンで調べたら普通に売ってますね。絶版になってなくて」
「ええ。でもハードカバーで買おうとするとちょっと値段がはるんです。岩波少年文庫に入ってますけど、おおきな本でもっていたい作品です。今回は「小人の冒険シリーズ」コンプリート記念として、わたしの偏愛する「小人もの」を取りあげます。「小人の冒険シリーズ」は第一作の『床下の小人たち』からはじまりますが、これは2010年公開のジブリアニメ『借りぐらしのアリエッティ』の原作となったものです」
「映画は観ました」
「映画はこの物語のストーリーラインを素直になぞりつつ、ボビンを椅子にしたりマッチ箱を箪笥にしたりマジックテープを靴に貼付けて壁をよじのぼったり洗濯ばさみで髪の毛を結わいたり、といった細部も丁寧に描いています。原作だとアリエッティはつねに日記をつけていたり本を集めていたり、かなり書くことや書物に関心のある少女なのですが、そのキャラクターは映画には反映されてませんね。ま、反映させていないことが結果的に良かった気もして、映画は映画として楽しんで、べつにまた原作への思いが深まったりもするのですが」
「アニメのほうだと主人公が紙媒体に固執している印象はなかったですね」
「とにかく初めて原作を読んだ時の印象だと、時代は昔ですし、挿画も素晴らしいのですがどうしたって小人たちがそれほどパッとした容貌をしている印象は受けないのです。映画だとアリエッティは真っ赤なワンピースに茶色のロングブーツ、かばんは斜めがけバッグで、これってファイルケースを持てばわたしたちの大学通学ファッションですよ。こういう恰好してましたよ、あの頃。2010年代に映画化されるとこうなるのか! と隔世の感を禁じえません。個人的にはそういう愉しみもありました。まあこの物語は五巻までありますからたっぷり楽しめます。で、全五巻、読んだんでしたっけ?」
「ん? 読んでないよ」
「夏休みの宿題を冬休みに持ち越さないようにおねがいします! つづいてはエーリヒ・ケストナーの『サーカスの小人』(岩波書店)と『サーカスの小人とおじょうさん』(講談社青い鳥文庫)。これ、「小人もの」ではぶっちぎりでベスト。えーっと、聞くまでもないかもしれないですけど、この二冊は?」
「読んでない」
「読んでください。読むといやでも楽しい気分にさせられますから。じぶんに楽観的な性質がもしあるとしたらこの作品で培われたのではないかと思うほどだし、あとがきで訳者の高橋健二がこの物語を読んで「みなさんもまず煙にまかれてごらんになるように!」と書いていますが、ケストナー作品で“煙にまかれる”快楽をおぼえました。高橋健二の功績についてわたしが説明するのもさしでがましいですけど、子どもごごろに「ケストナーもすごいけどこの高橋健二というおじさんもすごい」と思ったものです。いま読み返すと、高橋健二によるあとがきの
ケストナーはわたしよりずっと小さいので、いっしょにあるくと、わたしがケストナーを見おろすかっこうになりました。ケストナーはそれがくやしいとみえて、えらい人はナポレオンでもゲーテでも背が低かったといいます。そして小説の中でも、小さい少年がりこうで、りっぱなことをするようになっています。ケストナーは、いやに小さいもののかたをもちます。
なんてくだりに、クスッと笑ってしまいます。まあケストナーはファンが無数にいますので、何を言ってもあまり意味がないというか、いまわたしが言っていたことは聞かなかったことにして、とにかく読んでください。ケストナーの生涯を著した本もたくさん出ていますから、併せて。言い忘れましたが、ケストナーも高橋健二もすごいけど、挿絵画家のホルスト・レムケも然りです。この作家/訳者/画家の組み合わせは日本だけだと思うと、べつに愛国主義者ではないですけど日本で生きていることも悪くないと思ってしまいます」
「でも「愛国」という絡みでいうと、高田里惠子『文学部をめぐる病い 教養主義・ナチス・旧制高校』(ちくま文庫)を読むと高橋健二をめぐっては複雑な気分になりますけどね。これ読みました?」
「読んでないです。どういう本ですか?」
「ドイツ文学者が戦争協力や教養主義にどのように関与したかを、著者の愛憎入り交じる感じで、ちょっといじわるに論じた本です。読んで損はない本だと思いますけど」
「今度読んでみます。では話を「小人」に戻して、日本の作家による小人が出てくる児童文学といえば、いぬいとみこ『木かげの家の小人たち』(福音館書店)をあげたい。イギリス人の女性教師から小人の世話を頼まれた兄弟、そのいとこ、その息子、娘たちが戦争をくぐり抜けて小人たちを守り抜き、小人たちとともに生き抜いた一大叙事詩ですが、物語、本じたいから発せられる気、気配、熱、波動のようなものを感知するという、初めての体験を与えてくれた本です。小人たちが住む部屋の描写、登場人物たちの佇まいや情念の深さが、戦争中の不穏さも相俟って何ともいえない官能性に溢れているのです。とにかく印象に残るのが、重要な役割を果たす「青空の一部がとけこんだようなすばらしいブルーの」コップ。どういう役目を果たすのかは読んでのお楽しみですが、このコップが描かれた部分だけを選んで繰り返し読み、酔いしれました。続編に『くらやみの谷の小人たち』もありますので、読みましょう」
「読みますよ、今度」
「ほんとですか? じゃあ、わたしが『文学部をめぐる病い』を読み終えるまでに読んでください。ケストナーによる名言のひとつに、じぶんの子ども向け小説は「八歳から八十歳までの子どものためだ」というものがあります。どんなに年齢を重ねてからでも遅くはないですから」
「まだ間に合いますかね?」
「どんなに性格がひねくれた大人になったとしても、間に合いますよ!」
「ひとこと多いよ」
「最後に絵本『もりのこびとたち』(エルサ・ベスコフ、福音館書店)を。題名どおり、森に暮らす小人一家の四季を描いた瀟酒な一冊です。お母さんと子どもたちがかぶる赤と白の水玉帽子、真冬用の薄いエメラルドグリーンのニット帽子、苔のしずかな深緑、薄緑、ふわふわ綿毛、白うさぎ、降りしきる雪の清冽な白、小川のほとりに咲く花々の黄色や紫色と、頁いっぱいに美しい色が広がります。先日久しぶりに読み返したら、スウェーデンの絵本なのですね。昔はそんなことわからなかったですが、この押し付けがましくないスマート感は北欧産かと思うと腑に落ちます」
「これはこのあいだ読んだ」
「お! どうでしたか!?」
「どんな話だったっけ?」
「わたしが『文学部をめぐる病い』を読み終えるまでに再読しといてください。というか、この絵本、これといったストーリーはないですけどね。だから子どもの頃に母と、この小人たちを主人公にしてドラマティックなストーリーをつくってみよう! と挑戦したことがあるんですけど……」
「で、結果は?」
「それがまったく浮かびませんでした……。残念ながら。物語をつくる才能ゼロのようです」
「いわゆる「物語」から脱線するような奇特な小説を好んで読んでいる人が、ドラマティックなストーリーを紡ぎだせるとは思えませんけど。ストーリーテリングの才覚があるならば、われわれの対談ももっと大衆受けするものになるはずですが」
「うぅ……」