ベストセラーからもっと遠く離れて <前篇>

「さて年末ということで、そろそろ……」

「トーハンと日販の年間ベストセラーを眺めながらおしゃべりする季節が到来しました。今年のランキングを見て、どうですか?」

「例年どおりぱっとしないランキングですよね」

「いきなり話が終わっちゃうようなことを言わないでください!」

「だって読んでないでしょう、どれも。読む気もないでしょう、どれも」

「まあ確かに読まないんですけどね……」

「一位の東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』(小学館)は紹介文に本格ミステリとあるからいちおう「文芸」なので、われわれの関心領域に近い筈なんですけどね」

「なんですけど、食指が動かないのはどうしてでしょう」

「文芸ということであれば、今年刊行された多和田葉子『雪の練習生』(新潮社)とか円城塔『後藤さんのこと』(早川書房)とか青木淳悟『私のいない高校』(新潮社)がランクインしない状況に納得がいきませんね」

「ランクインしたら不気味ですよ」

「『謎解きはディナーのあとで』って、謎解きは食事の前にやっといたほうがいいんじゃないの? と思いますけどね。謎が気になっていたら、せっかくのごはんがおいしくないよ」

「そういう無粋なつっこみしかできない」

「ミステリですからネタバレは厳禁ですよ、たぶん」

「バラすネタを知らないです。読んでないから」

「ベストセラー本はどうやら世の中で話題になっているらしいという漠然とした印象だけで、詳しいことがよくわかっていないですね。近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』(サンマーク出版)とか、電車内に貼ってある広告をつうじて、洗脳されるがごとく嫌になるほどたくさん見かけましたけど。流行ってるんでしょ?」

「でましたサンマーク出版。『人生がときめく片づけの魔法』はテレビなどで取りあげられて話題のようですよ。といっても、テレビを見ないのでわたしも知ったかぶりですが。どうでもいいですけど、著者の人の顔、ちょっと小沢健二に似てますよね」

「女・小沢健二が書いたその本はたんなる整理整頓の話じゃないわけですよね、たぶん。なにしろときめく魔法ですから。「ときめく」と「魔法」がポイントですよ、きっと」

「想像だけでしゃべってますね」

「重要なんですよ、「ときめく」と「魔法」が。書名から「ときめく」と「魔法」を外すと「人生の片づけ」になってしまう」

「身辺整理ですよ、それ。でも忘れているようですけど、ベストセラー本のなかに実はわたしたちが読んだ本があるんですよ。長谷部誠『心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣』(幻冬舎)です。長谷部ファンの知人から借りた(というか是非読んで! と半強制的に渡された)一冊でして」

「ああ、あれかー。『心を整える。』って書名の最後に「。」がついてたあれね。モーニング娘。みたいですね」

「喩えが古いですよ」

「『心を整える。』、15分くらいで読み終えたけど、自己啓発的な文脈においていろいろいいことが書いてあったような気がしますよ」

「まったく褒め言葉になってないような……。15分って。そういえば去年の対談でニーチェの超訳本についてふれてますけど、『心を整える。』でも紹介されてましたね」

「自己啓発的な、あまりに自己啓発的な」

「そろそろ離れますか? ベストセラーから」

「もうちょっとだけ。年間ベストセラーのランキングを見ていて思ったのは、このランキングだけを見ていると今年震災が起こったという事実があんまり浮かんできませんね」

「ああ、そうですね」

「ベストセラーだけで一年を振りかえると、ディナーのあとに謎解きやって、そのディナーはタニタの社員食堂を参考に500kcalに抑えて、心を整えながらドラッカーの『マネジメント』を高校野球の女子マネージャー気取りで読んで、最後は人生がときめくように魔法の片づけで締めるって感じでしょう」

「まとめ方が強引ですよ」

「ベストセラーを読んでも社会情勢がわからないということです。駄目だな、ベストセラー」

「だから強引ですって」

「本を読んでいて、「震災以後」ってことが滲み出ている場面ってありました?」

「書店の棚に原発関連の本がずらりと並んでいる光景が出現したりしましたけど、そういう話ではなくて?」

「いちばんわかりやすいのは「あとがき」だと思う。小説など「あとがき」の付かない本もあるけど、震災以後に刊行された本では「あとがき」で地震のことについて書いているのがたくさんあって。逆にまったく震災にふれない「あとがき」もあるんだけど、書かなきゃ書かないで、震災について「書かない」ということに意図を感じてしまう。書いても書かなくても、とりわけ地震直後に原稿ができあがったような著作においては、「震災以後」という桎梏から逃れられなくなっているなあという印象はありました。いまはもうだいぶ薄れたと思いますけど。ではそろそろベストセラーから離れて……」

「お互いに今年読んでおもしろかった本を紹介し合いましょう」

「「ベストセラーからもっと遠く離れて」という企画趣旨に忠実な本をとりあげますよ。1998年に発売された本です」

「ずいぶんとまた遠く離れましたね」

「しかも絶版。『中野本町の家』(住まいの図書館出版局)です。『みすず』(みすず書房)の今年の10月号で、植田実が「住まいの手帖」という連載で紹介していたのをきっかけに読んだんですけど、この本、今年読んだなかでいちばんショックを受けたというか、インパクトがありました。「住まい学体系」というシリーズの一冊なんですけど、シリーズのなかでもっとも反響があったと植田さんが書いているので、建築関係の話題にあかるい人たちにはよく知られている本なのかもしれませんが。伊東豊雄がまだ建築家として駆け出しのころ(三〇代半ば)、姉の住居を設計します。それが伊東豊雄の代表作として評価されることとなる「中野本町の家」です。この家に住んだ伊東豊雄の姉・後藤暢子、長女・後藤幸子、次女・後藤文子それぞれのインタビューがあって、じぶんたちの住まいについて語ってもらっている。それに伊東豊雄のテキストを加えて編まれたのが本書です。「中野本町の家」の大きなポイントは、暢子さんの夫が癌で他界した直後に建てられた住居ということです。彼女は

独りきりのわたくしが、自分のすべてを投企した建物でした。

と語っている。身内の不幸の直後に建てられた、施主の気もちが混乱している時期に建てられた、というのがこの住居のあり方におおきな影響を与えます。で、できあがった建物は「ふつうの家」と言えるようなものじゃなくて、現代的な美術館みたいなんですね。馬の蹄みたいな形をしているし。たとえば施主は

建物の開口部、つまり「窓」が、普通の形の窓ではなくて、壁面の細い亀裂のようなところから外光の入ってくるのが面白い、と言ったのを記憶しています。

なんていう要求をだす。建築家は「亀裂から射し込む光」を細い天窓として実現させるんだけど、でもこれだけ聞くと凝ったデザインの住居を欲しているだけのようだけど、そうではなくて、「わたくし自身の内面がいくらか闇の状態になっていましたから、その闇を照らす光は、ほんわりとしたやわらかな光ではなく、鮮烈に射しこんでくるような光……、そういう光を、設計者よりも、まず施主のわたくしが、強く欲していたような気がします」と、切実な要望が篭められている。「中野本町の家」は母と娘ふたりの住処になるわけだけど、設計段階において母親の当時の心象が建築物にふかく刻まれているわけです。建設当時の母親の精神状況が投影されてること、投影されすぎていることがあまりに重かったという話が印象的です」

「わたしも前もって読んでみたんですけど、インタビューでは、生活するうえで実用的には不便だったという不満も語っていましたよね」

「使いづらいと。ふたりの娘のインタビューも印象的でして」

「家に対しての想いがぜんぜんちがうんですよね」

「次女は「中野本町の家」を基本的に好きだと言ってるんだけど、長女はちがう。「中野本町の家」を「墓石みたいな感じがする」と評していますから」

「住宅を語るにしては、あまりに強烈な表現ですよね」

「この本の最後についている伊東豊雄のテキストからちょっと引用してみますと、「インタビューでクライアントの長女は、この家は自分にとってお墓のようだったと言った。ショッキングな発言であったが、この家を表現するに最もふさわしい言葉であったかもしれない。彼女は自らを閉じ込めるモニュメントとしての空間と二〇年間格闘してきたに違いなかった」とある。三人ともむずかしい話をしているわけではなくて、それぞれの「中野本町の家」を回想しているだけなんだけど、「家」というものについてどうしたって考え込んでしまいますね、この本は。「オフィスでインタビューのビデオを初めて見たスタッフ達は、皆考え込んでしまいました。一人のスタッフがポツリと「これから建築をつくるのがこわくなるなァ」とつぶやきました」とかね」

「建築することの怖さというのもありますが、そもそもこの本自体が……」

「ちょっと怖いですよね」

「いや、ちょっとどころじゃなくてかなり怖いです。この本の佇まいは」

「インタビューの合間に挟まれている家族写真がまた怖いんですよね。この怖さはなんだろう。「中野本町の家」に詰まっていた空気が、本書にも刻印されている感じがするからかなあ。で、結局「中野本町の家」は取り壊されます。母も長女も出て行ってしまう。最後に次女が一人で住むんだけど、維持が困難で。そういえば先に引用した伊東豊雄のテキストは「目前でそれは無残に打ち砕かれ、みるみるうちにコンクリートの瓦礫の山を築いていった。自ら設計した建築が消滅する姿に建築家は立ち会ったことがあるだろうか」という文章で始まるんですが」

「んー、これ、まったく関係ないとはいえ……」

「このたびの震災を想起してしまうところがある」

「ところで、さっき建築に詳しい人はこの本を知っているんじゃない? と言ってましたけど、このあいだ清澄白河の本屋 eastend TOKYO BOOKS で『建築と日常』という個人誌をたまたま手にとって読んでいたら、堀江敏幸の文章が載っていまして……」

「で?」

「引用しているんですよ、『中野本町の家』から! [1]

「何でも知ってますね堀江さんは。そういえばこの一年を振り返ると、ことごとく堀江敏幸に先回りされる一年でした」

「たとえば?」

「ちょっとした解説やら書評やら短文のエッセイやらでやたらと遭遇する。『別れの手続き 山田稔散文選』(みすず書房)だとか石井好子『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』の河出文庫解説だとか、ほかにもあると思うけど。このあいだ東洋文庫を特集した『東京人』(都市出版)を立ち読みしてたら文章寄せてて [2](連載もしてる)。いつも先回りされてる感がありますよ。堀江敏幸包囲網が築かれている感じが。あとトークイベントとかもいろいろやってるでしょ [3]

「『なずな』(集英社)というぶ厚い小説も今年出してますしね。仕事量すごい。『象が踏んでも 回送電車 4』(中央公論新社)も今年だし」

「堀江敏幸は最低でも五人いますね。五人とも黒いジャケット着てると思う」

2011年12月某日 代官山 DAIKANYAMA T-SITE Anjin にて ( 文責:capriciu )
  1. 堀江敏幸「砂の上に、海の上に 物語と建築」『建築と日常』No.1 []
  2. 堀江敏幸「あやしうこそ、ものぐるほしけれ 東洋文庫の午後」『東京人』2011年12月号 (都市出版) []
  3. たとえば、鹿島茂さん・堀江敏幸さんトークイベント []