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Monday, January 20

本田明子『野菜の常備おかず』(学研パブリッシング)を都度参照しながら弁当用の常備菜の支度を済ませた週末を越えて、翌日月曜日の早朝4時に事は起きた。突如堪え難い吐き気に襲われて苦しみ、昼すぎまで寝込んでしまう。身体がだるく熱がある。医者に症状を説明したらノロウイルスに感染しているとのこと。パブリックイメージのノロ患者ほどのひどい症状ではなく、インフルエンザの可能性も疑っていたので、診断結果はやや意外だった。

もっともノロウイルスに感染しているかを精確に判断するには高額な費用のかかる検査が必要で、検査結果がわかるころには症状が改善していることが圧倒的に多く、集団感染を例外としてまず検査することはないという話は事前に知っていた。だから医者の診断は、症状から勘案するにおそらくそうだろう、ということだと思うのだが、わたしがかかっている近所の医者はいつも即答する。すかさずノロと断定。わたしの身体にまったく触れることなく、即答した。ものすごい名医かものすごいヤブ医者か。前者であることを願う。ミヤBM錠とナウゼリン錠を処方される。ところでナウゼリン錠のジェネリック医薬品の名前はドンペリドン錠というらしい。吐き気止めなのにその酔っぱらいそうな名前はなんだ。

水分補給をするだけでなにも食べずにひたすら眠りつづける。

Tuesday, January 21

会社からは医者よりOKがでれば出社してよいとの通知を受けていた。医者があと30年は出社しないほうがいいと言ってくれたら、30年後に行けばいいだろうか。そのときは給料を保証してくれると助かります。

きょうも水分補給をするだけで、よく眠る。眠りすぎて体が痛い。微熱がつづく。夜、おかゆを少し食べる。

『クウネル』(マガジンハウス)の「江國香織姉妹の往復書簡」で、江國香織が「私は、旅行というのはしなければしないで済んでしまうものだけれど、だからこそするべきだと思います」と書いている。こういった意見に数年前までは真っ向から反する考えをもっていたのに今ではわりと共感しているのは、旅、とりわけ外国の旅を念頭におくけれど、その土地固有の輪郭というか像というか、そういったものにささやかな傍観者としてであれ接することができるのは、文学や思想、美術や音楽や映画に多少なりとも関心をもって生きているならば、けっしてマイナスになるようなものではないと思うようになったからだ。飛行機代で預貯金は大幅にマイナスされるが。

トーベ・ヤンソン『彫刻家の娘』(冨原眞弓訳、講談社)を読む。漢字にふりがながたくさんふられているのは子どもにも読んでもらえるようとの配慮かと思うが、聖書を踏まえた話題がたくさんでてきて、わたしが子どものころに読んだらさっぱりわからなかっただろうと思う。

Wednesday, January 22

大事をとって本日も欠勤。

多和田葉子『言葉と歩く日記』(岩波新書)を読む。小説『雪の練習生』を自身でドイツ語に翻訳した期間と平行して綴られた、日記風のエッセイ。東大で沼野充義との対談予定が思いっきり寝坊してしまったくだりがおもしろい。

「寝坊」はドイツ語なら、眠るという意味の動詞「schlafen」に前つづり「ver」をつけて、「verschlafen」となる。この前綴りは、面白い。「書く」という意味の動詞に付ければ「verschreiben(書きまちがえる)」になる。「読む」という意味の動詞に付ければ「sich verlesen」、「読みまちがえる」という意味になる。(ただし、「verschreiben」という動詞は、医者が処方箋を書くという意味で使われることも多い。) この方則に従って考えると、寝坊は「寝まちがえた」となるが、寝方を間違えたわけではない。わたしは、ぐっすり上手に寝た。起きる時間が間違っていただけだ。

例えば今日、寝過ごしたと分かった瞬間は、言葉などなく、頭の中が空白になった。それを母に話した瞬間、寝坊した事実が母語になった。電車の中でそれについてドイツ語と日本語で考えた。それから東大に来てくれた人たちにもその話をして、日本語のストーリー性ができてきた。でも夜になってスカイプでドイツ人の友達にその話をした時、今日の寝坊が、ドイツ語の物語として書きかえられた。

寝過ごしてもただでは起きない。

本書の冒頭に、多和田葉子はスイスでペーター・ツムトア設計の温泉施設に泊まったという話が出てくるので、ツムトアの『建築を考える』(鈴木仁子訳、みすず書房)を本棚から取りだして再読する。

朝は何も食べず、昼はお粥、夜はお粥に飽きて、食パンを焼いて何もつけずに食べた。寝る前に森百合子『北欧のおいしい話』(P-Vine Books)を読む。おいしい話。物価の高い北欧諸国でいかにちょろまかすかを指南する本ではない。

Thursday, January 23

床に臥しているあいだに、パリではオートクチュールがはじまっていた。シャネルの靴がスニーカーだった。いくらするのだろう、あのスニーカー。

体調すぐれず食事が咽喉を通らない日々にMichael Pollan『Cooked』(The Penguin Press)を読んだら、前半部分でバーベキューの話が延々とつづく。

Friday, January 24

体調回復。いざ労働へ。

いんちきクリエーターっぽいメガネが欲しいと思って、黒ぶちのメガネを物色する。ふちの太いメガネをかければ、いんちきクリエーターっぽくなるのではないかとの寸法だ。いんちきクリエーターになるためにお金はあまりかけられないと思って、JINSで買った。安い。が、掛け心地はそう悪くない。このメガネをかけたまま999.9に行って調整をお願いするようなあやまちをしないよう気をつけたい。

『The Economist』誌を読む。お悔やみ記事の枠はクラウディオ・アバドかなと思っていたら、小野田寛郎だった。

Saturday, January 25

朝ラジオをつけたらユーミンの「BLIZZARD」が流れだしたので、すかさず林雄司『やぎの目ゴールデンベスト』(アスキー)を本棚からひっぱりだして該当箇所を確認する。

松任谷由実のブリザードという曲のメロディで、
♪バナザードバナザード
という替え歌を思い出した。バナザードはよく乱闘を起こしていた南海ホークスの選手。
思い出した、というか、僕が作った。作った、といっても誰の前でも歌ったことはなかった。
ブリザードは「私をスキーに連れてって」という映画の挿入歌だった。そういうものへのうらやましさと悪意がまざって、でもひとりでつぶやくだけ。あのころの閉塞感がよみがえるようです。

いい文章。

巣鴨信用金庫のカラフルな建築を手掛けたことで知られる東京在住のフランス人建築家エマニュエル・ムホーは、池袋の街を見て感動し、日本が大好きになったと言う。ラジオ番組に出演したとき、上手な日本語でそう言っていた。インタビュアーのクリス智子が「えー池袋? わかんないなー」と応じていたが、たしかにわかんない。なんで池袋の風景に感動するんだ。

で、なぜかわからないがフランス人建築家の琴線にビビッときたらしい、その池袋に到着。古書往来座で古本を物色。ロラン・バルト『映像の修辞学』(朝日出版社)、蓮實重彦『映画 誘惑のエクリチュール』(ちくま文庫)、『ケストナーの終戦日記』(福武文庫)、トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の夏まつり』(講談社文庫)、Edgar Allan Poe『The Fall of the House of Usher and Other Tales』(Signet Classics)を購入。道すがら新宿椿庵のたい焼きを頬張りつつ、リブロ池袋本店で今度は新刊本を物色。安野モヨコ『オチビサン』(朝日新聞出版)、桑原奈津子『パンといっぴき 2』(ピエ・ブックス)、堀江敏幸『戸惑う窓』(中央公論新社)を購入。『戸惑う窓』はいずれ中公文庫に落ちることになるだろうと考えながら、ついで、といってはなんだが『正弦曲線』(中公文庫)も買った。

夜、白米、豆腐とわかめの味噌汁、秋刀魚の塩焼き、レモン、キムチ、ビール。

Sunday, January 26

自宅に籠って読書。午前中、堀江敏幸『正弦曲線』(中公文庫)を読む。単行本は図書館で借りて読んだので、再読。『正弦曲線』が上梓された頃(2009年)にはそんな印象はないのだが、ここ最近の各所で見かける堀江敏幸の文章はひどく難渋になっている気がして、言っていることがさっぱりわからないというのはさすがにないけれど、何もそれほどまでに修飾に修飾を重ねるようなことをしなくてもいいのではないかと感じる文章に出くわす。2013年10月15日に記されたという『正弦曲線』の文庫版あとがきは、以下のようなことになっている。

ノイズの低減どころか、不要と判断された音の波形と線対称の波形をぶつけてそれを相殺し、擬似的な沈黙をつくりだす仕組みが普及しつつある今日、幻でしかない正弦波を言葉で描き、しかも崩れの予感をぎりぎりのところで無効にしておきたい、そのために、不活性なものへの注視、人心の崩れに直結する瓦解への怖れ、不動の回転軸の模索を重ねていきたい。私はそんなことをずっと考えつづけていたらしい。いま読み返すと、あちこちに、雑音をないものとして話を進める空気に対しての、圧縮還元の虚像を真実と見誤る愚をおかさないための、精一杯の抵抗の跡が見える。日々の暮らしのなかで、それは時に弱々しく、時に諦念に満ちたものに映る。だが、それでも細々と努力をつづけていきたいと私は思うのだ、いつの日か、風と風がぶつかって生じる接線上のノイズを全身で受けとめ、自分以外のシステムでも再生可能な言葉にできることを夢見て。

『正弦曲線』本篇の文体とはすいぶんちがう。

昼、カレーライス。窓の外は風が強く吹いている。自宅の領域を占領している『装苑』(文化出版局)を整理・処分している途中で、都知事選の「選挙のお知らせ」と一緒にあたらしい号の『装苑』が届く。

午後も堀江敏幸。バンホーテンのミルクココアと無印良品のクッキーをおともに『戸惑う窓』(中央公論新社)を読む。この本、初出が『クロノス日本版』の連載で、そんな雑誌知らないなあと調べたら高級時計専門誌らしい。なんでまたそんな雑誌に。

早々にアンドリュー・ワイエスの名前が登場したところで、いったん栞を添えて中断し、ワイエスがアメリカのメイン州とペンシルバニア州で描いた風景を写真に収めたJames Welling『WYETH』(WAKO WORKS OF ART)を本棚から拾いあげる。ほかにも『戸惑う窓』はいろいろと寄り道をしたくなる本で、アンドレイ・タルコフスキーが撮ったポラロイド写真集『Instant Light』(Thames & Hudson)への言及があって、彼が亡命したイタリアでの部屋の写真をつぶさに読み解き、写っているタイプライターのケースとおなじものを持っているなんてマニアックな話が展開される。そんな写真あったかなあと、『戸惑う窓』のページを閉じて『Instant Light』を確認し、ああこれのことかと開いたついでにこの本を編纂した写真家Giovanni Chiaramonteの解説を読んだらタルコフスキーの父親の詩の引用があるものだから、どんどん脱線して『アルセーニイ・タルコフスキー詩集 白い、白い日』(前田和泉/訳、鈴木理策/写真、エクリ)に手をのばす。

InterFMにチャンネルをあわせて、小川隆夫の「Jazz Conversation」を聴きながら桑原奈津子『パンといっぴき 2』(ピエ・ブックス)を読む。

夜、ほうれん草と玉ねぎとベーコンの焼きそば、ねぎ塩わかめスープ、ビール。