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Tuesday, October 22

飯島耕一の訃報。それがYahooトップニュースにあがっているときいてちょっと驚く。飯島耕一も、その著書からいろいろなことを教わってきて、いまでも教わり続けているうちのひとりだ。家の本棚にある『鳩の薄闇』(みすず書房)を手にとる。一冊所有していたのに、家の中でどうしても見つからず、名古屋のシマウマ書房で買い直したもの ((水と本とが出会うところ))。本当にどこにいってしまったのだろう。

浜内千波さんの『らくしておいしい塩味レシピ』(文化出版局)をぱらぱら捲る。料理するにあたって塩がとても大事ということはわかるが、本当に味付けが塩だけとは。それでこんなにたくさんレシピが考案できちゃうんだ! とびっくり。やってみようかな。料理本はいつ何を読んでも必ず何かしらの発見がある、気がする。

夜はレトルトのバターチキンカレーを食べた後、デザートにりんごのケーキ。りんごのケーキ、ふと食べたくなって買った。とても美味しかったけれど、わたしの許容範囲を超える甘さだった。最近、ほとんどのケーキはもうわたしの甘さの許容値を超えている。

Wednesday, October 23

カナダ大使館の高円宮記念ギャラリーで「写真・映画で見るグレン・グールド展」を観る。グールドがトロントを紹介するテレビ用映画? が上映されるというので楽しみにしていて、さらっと観ればよいかと思っていたはずが予想以上にいろいろ面白くてじっくり観てしまった。トロントの街が発展を遂げていく様子に苦い顔をし、郊外の自然を礼賛する姿がたびたび映し出されるが、それでいて彼は最新のテクノロジーが好きで好きでたまらないのだ。アンビバレントなグールドさん。

夕ごはんは、Cafe 246でニース風サラダ、有機野菜たっぷりジェノベーゼのパスタ。

Friday, October 25

夜、夕食の後片付けを終える頃、キッチン用具をあれこれ入れているボックスをごそごそやっていたら、ouch! スライサーのガードが外れた刃で親指の先端を深く刺傷した。どくどくどくとあふれ出る鮮血に顔面蒼白。そそっかしいけれど、意外とこういう怪我はあまりしないので血の気が引いてフラフラとへたりこむ。ほどなく血はとまったものの、消毒して絆創膏とテープをぐるぐる巻きにした親指は日常生活に若干の支障をきたす。こんな傷どうってことないさ! とノンシャラン風情でやり過ごそう。

Saturday, October 26

真夜中の地震には気づいたけれど、眠さが勝って、ああ、揺れてる……と思いながらまた眠りの淵へ引きずり込まれた。いつもならばニュースを見に起き出すのだけれど。

午前5時過ぎ、外は静かな様子。雨がかすかに降っている。ラジオをつけて地震情報と台風情報を聴いたあと、まだ炎症の治らない目と指の怪我のために睡眠をとることに。耳元でラジオを聴きながら、うたた寝と本気寝のあいだをいったりきたり。

それでもきょうはわりあい目の具合がいいので、まとまった時間を使って夏の北欧旅行日記を書く。旅行日記は難しい。軽やかな風通しのよい日記にしたいのに、どうしてもくどくどしくなってしまう。省略の仕方が難しい。それにしても旅行日記を書き上げないうちに目を病み始めたせいでなかなか終わらないので辛い。もう10月も終わりだ。

ビーフハヤシライスのお昼を挟んで午前中から夕方までパソコンに向かっていた。さすがに目が疲れてきたので、やめる。夕ごはんは、しめじとレタスを入れた豚肉のそぼろパスタ。そぼろ肉をつくりおきしておいてよかった。指の怪我のせいで料理ができないが、しめじとレタスをちぎるくらいならできる。

わたしは右利きだけれど、普通右利きの人はここで右手を使うだろう、というところでけっこう左手を使う。iPhoneにする前、片手で携帯電話を操作していた頃はメールを打つのに右手ではまったく打てず、左手の指で打っていたし、玉ねぎやにんにくの皮を剥いたりペットボトルや瓶の蓋を開けたり、日常のちょっとした動作を左手で行なっているためけっこう不便だ(どうせなら両利きならばよかった)。それでも傷口はだいぶ塞がってきたようだ。

Sunday, October 27

身体が、特に背中が痛くなってしまってあまりもう長い時間寝ていられないのだけど(←老化現象)、目と指の傷のために今朝もゆっくり眠った。午前8時起床。身体が痛いよう。朝ごはんは、ホットケーキ、レタスのサラダ、珈琲。やっと、台風一過の秋晴れだ。

蒸しにんじん、カリフラワーと大根のピクルスなど簡単なものだけつくっておく。ピクルス液に赤唐辛子を入れわすれた。蒸篭をベランダの室外機の上に干す。強い風と太陽の光が気持ちよい。

新宿で靴を修理に出して、所用あって吉祥寺へ。「百年」で夫と待ち合わせ。この古書店の評判はもう何年も前から聞いていたので、訪れるのが楽しみだった。大いに意気込んで、『花田清輝映画論集 ものみな映画で終わる』、レーモン・ルーセル『アフリカの印象』、高橋悠治『カフカ/夜の時間』、淀川長治・蓮實重彦編『シネクラブ時代』、ワタリウム美術館編『ルイス・バラガンの家』、WAVE編『グレン・グールド』、ラスムッセン『北欧の建築』、ガストン・バシュラール『夢みる権利』、オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』、金井美恵子『小説論』、金子光晴『マレー蘭印紀行』、「女は女である」の映画パンフレットを購入。

新宿まで戻ってきて夕食、広島風お好み焼き、ビール。傷だらけの身体なのに飲んでもうた。

帰宅して、スヌーピー展に向けて芸術新潮とMOEを読む。スヌーピーとシュルツさんが好きすぎて、見てるとなんだか涙腺が緩む。片岡義男が文章を寄せている。片岡義男は高校生の時に父親の仕事の関係で家にあったアメリカの新聞で初めてピーナッツに出会ったという。「毎日の連載を、左から右へさっと横目で読んだあとの、あるいは見たあとの、自分の内部のどこかに残る、なんとも言いようのない不思議なものの魅力に、ぼくはあっさりからめとられた」という一文は、これはわたしのことだ、と思ったけれどきっとみんなそうに違いない。それにしてもこの片岡義男の文章はすみからすみまで本当に素晴らしい。