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Saturday, October 1

今週、平日、残業、続残業、続々残業、又残業、又々残業、と、なおかつ残業、またして残業、よもすがら残業、などという事態にはならなくてよかったものの、帰宅、雑事、食事、身のまわりのあれこれ、就寝、以上、となったほか、『妊娠カレンダー』という小説には、妊娠した姉がいる“わたし”が

姉のつわりは、どんどんひどくなるばかりだ。少しずつでもよくなっているとか、いつ頃までにはおさまりそうだとかいう希望が全然持てない状態なので、姉はふさぎ込んでいる。とにかく何も食べられない。わたしは、思い浮かべることのできるあらゆる種類の食べ物を並べたててみたが、姉はどれも食べたくないと言った。家中にある料理の本を引っ張り出してきて、一ページずつめくって見せたがだめだった。(中略)信じられないことに、姉と一緒に義兄までも食欲がおかしくなってしまった。食卓についても、フォークの先で料理をつつくだけでほとんど口に運ばなかった。「彼女が気分が悪いと、僕もつられてしまうんだ」義兄は言い訳するようにそう言って、ため息をついた。(中略)わたしには、義兄がとても惨めに見える。彼には、気分が悪くなる理由なんて一つもないからだ。弱々しい彼のため息を思い出すと、苛立たしい気持ちさえする。つわりでげっそりしているわたしのそばで、フランス料理のフルコースを残さず平らげるような人を自分は好きになりたいと、ふと考える。

と思考するくだりがあるのだけれど、わたしが男だったなら、この“わたし”に好きになってもらえる資格は十分にあるな、などと考えたりするなどして、そんなこんなで團伊玖磨や小川洋子に敬意を表しつつ、週末に突入し、バターを塗ったバゲット、グリーンリーフとトマトと胡瓜と玉ねぎとコーンのサラダ、ブルーベリージャムをのせたヨーグルト、珈琲、の朝食をラジオを聴きながらゆっくりと摂った。朝食前に済ませる身支度と掃除とちょっとした雑用などを含めその一連の行為はほぼ午前5時〜8時のあいだに行なわれ、それはわたしが一週間でもっとも気持ちの高揚する時間帯であり、8時を過ぎると徐々に徐々に、微かに微かに週末が削り取られてゆくように思われ、簡単に言うとサザエさん症候群が34時間前倒しでやってきちゃうんだよー、という話。あるいは、週末って気楽でいいねー、って話であった。

午前中に雑用と買い出し。新しい花屋さんを見つけた。これから足しげく通うことになるかも。

先週土曜日、涙々でお別れしたJ-waveの番組「MODAISTA」は、同じくアンドレア・ポンピリオのナビゲートでこれから「360℃」として新しくスタート。そういうことだったのかー。商店街にある美味しいパン屋で買ったハンバーガーとハチミツ入りホットミルクをいただいてから新宿。損保ジャパン東郷青児美術館にて「モーリス・ドニ展 いのちの輝き、子どものいる風景」。

数年前、知り合って間もない友人が誘ってくれて、多摩川の花火が眼前に見えるマンションで数十人で花火を鑑賞したことがある。訪れた家の主は初めて会う人で、とにかく人がいっぱいでろくに挨拶もできず、結局最後まで名前を知らなかった。家主がフードスタイリストで知り合いのイタリア料理のシェフが手料理をふるまってくれて、大きなテーブルにたくさんの食べものとワインが並んでいたこと、一緒に鑑賞した数十人のうち半数が外国人だったこと、そのなかにたしかバイオリン職人がいたこと、シェフが「食べ物はこの世に生まれてきたときの状態でお皿に盛りつけるといい。胡瓜やチコリはコップに立てたりして、寝かさない。縦に。立てて。」と教えてくれたことをひどく印象的に憶えている。花火はどこへいった。

今日はそれ以来の多摩川の花火鑑賞で、打ち上がる花火めざして河川敷をえんえん歩く歩くまだ歩く。草いきれのなか湿っていくスニーカー、アスファルトに慣れた足下がくるっとさらわれそうで恐いのだけど歩くスピードを緩めず、タルコフスキーの『鏡』冒頭で草原を風がさーっと吹き渡って草が波打つシーン、あれを思い出し、川岸には『サクリファイス』に出てくるような若木がすいすいと枝をのばしていたのを見て、小さかった花火が徐々に大きくなって、人々の数がじょじょに増えていって子どもの歓声、みんなの拍手、目の前に遠くも近くもなく、正しい大きさの花火が現れた。ここでわたしが気になるのは花火とわたしの距離をどこからどう測るかということで、文字通り花火を横から見るか、上から見るか、なのだけど、上からの視点を獲得するのに必要なのはテクノロジーやインベンションではなく言葉だと思う。じぶんが花火に向かって歩き続けた時間と距離、歩数、気温と湿度、風速と風向き、その間に打ち上げられた玉数と川に架かる橋を往来した車の数、見物した人の数、たとえばそれらを感得するのにいちばん適しているのも、メソッドでもイノベーションでもなく言葉だと思う。さしあたり、たとえば村上龍の『海の向こうで戦争が始まる』(講談社文庫)やコルタサルの『悪魔の涎・追い求める男』(岩波文庫)に収められている「正午の島」などを読み返すべし。楳図かずおの『わたしは真悟』(小学館文庫)なども問答無用にふさわしい。などと考えながら花火を見ていた。帰宅。

Sunday, October 2

朝起きたときいちばんに思い出したのは夕闇のなかの草の匂いだった。わたしはどこにいたのか。ドリーミーな日曜日の朝。現実に戻って午前中は常備菜づくり。筑前煮をつくったのだけどある時点でタイミングの悪い行動をとったために焦がしてしまった。お鍋までだめにしてしまった。気を取り直して次につくった南瓜の煮物はちょっとした奇跡のような美味しさで、これはちょっと負ける気しない。

午後、久しぶりに美容院。6年ぶりに1年間伸ばした髪の毛を切ってボブに。

そののち代々木上原にある大好きな古本屋ロスパペロテスに行く。何年か前にここで栃折久美子の『モロッコ革の本』の単行本初版を見つけたような記憶がうっすらとあるのだけど、違うだろうか。そのとき財政難で買えずに哀しい思いをした記憶まであるのだけど……。『モロッコ革の本』は文庫の初版を持っているが、やっぱり単行本も所有していたい。またいつかどこかで出会えるといい。本日は六月に神保町のボヘミアンズ・ギルドで見つけたものの買い損ねた1989年の「フリーダ・カーロ展」の展覧会図録をお買い上げ。絵はすでに知っているものも多いけど、フリーダについて書かれた文章を可能な限りたくさん読みたいので。

メトロに乗って表参道。装苑で紹介されて気になっていた期間限定のコーヒーショップ「OMOTESANDO KOFFEE」と、お目当てのCOW BOOKS リトルプレスフェア2011へ。作原文子、東野翠れん、華恵、ホンマタカシ+横尾香央留、かわしまよう子、小林エリカ、安西水丸らの作品が好きだった。

ある作家のリトルプレスに書かれた文章を読んで、その人の言葉に対する信念に圧倒されてしまった。それはそれとして、言葉というものはもの凄く憎たらしい化け物のような存在であるというわたしの見解を脇へ置いておくとしても、この世界を詩で埋め尽せる、という思想があるならそれには大いに賛同する。