15

Monday, September 19

まずは反省から。先週の日記で「いまじぶんがサブカル色強めなものに一切といっていいほど興味がわかない場所に立っていると認識している、というかサブカルって……という感じであるのとはうらはらにサブカル色の強い日記を残した」と書いたが、しまおまほやOliveや草間彌生やSTUDIO VOICEがサブカルかそれ以外のものかなどということはどうでもよく、そうしてカテゴライズすることがいまもっともじぶんにとって興味のないことだ、というのが本意なのであった。適当な物言いをしてしまった。

定期購読している『クウネル』最新号が届いて見ていたら二階堂和美が出ていた。

昼、常備菜づくり。夜、フランク・キャプラ『或る夜の出来事』(1934年、アメリカ)を観る。

映画のあと『彼らが写真を手にした切実さを』(大竹昭子、平凡社)を読みはじめるが面白くてとまらない。深夜まで。

*今日の一枚 Segundo/Juana Molina

Tuesday, September 20

猿でもできる反省をした翌日、柴田元幸責任編集の『モンキービジネス』休刊の報。寂しい。

『彼らが写真を手にした切実さを』のつづき。中平卓馬の沖縄行きに同行した話や1960~70年代生まれの写真家へのインタビューなどに好奇心をびりびり刺激されるほか、今年、金沢21世紀美術館と東京オペラシティアートギャラリーで開かれたホンマタカシの個展に足をはこび、展示内容や展示形態や展示方法にとまどいつつ冷静に考察を重ねる大竹さんの姿に、同じ時代を生きて同じものを見聞きしているというちょっとした感動のようなものをおぼえながら読んでいた。

*今日の一枚 Maria Muldaur/Maria Muldaur

Wednesday, September 21

雨降りなのでSue Raneyを聴いていた朝。

帰りはそんな優雅さはふっ飛び、台風により雨風にまみれながら帰宅。お気に入りの傘をだめにしてしまった。びゅうぅと雨風が吹きつけるなか歩くと、『のび太の魔界大冒険』のある一コマを思い出す。魔界が近づくにつれ台風や地震が増え、のび太が学校から帰るときに強風をうけながら歩いている描写があったような気がする。わたしの実家では祖父と母がピアノを教えていたので、1980年代はピアノを習う子どもも多く、レッスン室はいつも順番を待つ子どもであふれていた。レッスン室に必ず置いていたのが『ドラえもん』『オバケのQ太郎』『忍者ハットリくん』『パーマン』『エスパー魔美』『21エモン』『怪物くん』とタイトルを挙げはじめるととまらなくなる藤子不二雄作品と『サザエさん』で、1990年代には『こち亀』や『いしいひさいちの大政界』や『いしいひさいちの問題外論』なども加わっていたけれど、とにかく、映画の原作であるドラえもんの大長編シリーズはとりわけたくさんの子どもたちに読まれてぼろぼろになっていた。レッスン室の漫画本ラインナップが、未来ある子どもたちの多種多様な価値観を形成させるきっかけになったのではないかと非常に喜ばしく思う次第である。

半年以上図書館で予約していたベストセラーを2時間で読了するという行為。読みはじめたらとまらなくなって深夜まで『シューマンの指』(奥泉光、講談社)。面白かった。でも、ああ、わたしは本当にミステリーが怖い。この作品はそれほど、そこまで恐怖に満ち満ちたものではないけれど、本気で怖い。ミステリーの傑作はあまたあるけれど、本気でもうミステリー読むのはやめようかと思う。人生がつまらなくなるだろうか。

*今日の一枚 Songs For A Raney Day/Sue Raney

Thursday, September 22

世田谷文学館で『和田誠 書物と映画』。イラスト、装丁、絵本、映画の脚本、絵コンテの一部など和田誠が手がけた仕事を一望できる素晴らしい展覧会。この展覧会が始まった頃、平野レミがTwitterで

週末も仕事ばっかりでどこにも連れて行ってくれない夫。今まで文句ばかり言ってきたけど、全部撤回!したくなる最高の個展よ。「書物と映画」興味ある方は是非!

と投稿していたのを読んでぐっときたのだった。

下高井戸シネマに移動してヴェルナー・ヘルツォーク『フィツカラルド』 (1982年、ドイツ)。

雨が降り続いている。いよいよ肌寒くなってきた。薄いはおりものがほしくなる。

*今日の一枚 Schumann Piano Concerto In A, Op.54/Robert Schumann

Friday, September 23

埼玉県日高市の巾着田に曼珠沙華を見にでかけた。曼珠沙華の時期に一度、さらに初夏に一度訪れており、今回が三度目。台風の影響が懸念されたが、ほとんどがもちこたえたようで、五分咲きといったところ。とはいえところどころで倒木があり、一カ所、土砂崩れしているところも。曼珠沙華の美しさを愛でながらの写真撮影があたかも報道写真の撮影現場の様相に。

コスモスの盛りはまだだったようだけれど、広場で馬と戯れて満足。午前中は小雨が降っていたものの午後には晴れて、気持ちのよい秋の風。

Saturday, September 23

ついにこの日がきてしまった、大好きなラジオ番組、J-waveの「MODAISTA」が本日最終回。MODAISTAふうにいうと“Final Edition”。ラジオ番組が終わるときってなぜこんなに寂しいのだろうか。それだけラジオが親密性のあるメディアだということなのだろうか。晴れた土曜日の午後、安っぽいラジオを携えて大好きな公園を散歩したあの日々を、木漏れ日のなかを歩いていたときに聴こえてきたあのジングルを、決してわすれない。

と、さめざめ聴いていたら、来週の同じ時刻にまたアンドレア・ポンピリオがナビゲーターとして登場するらしく、真相は来週にならないとわからないのだった。

夜、ウッディ・アレン『スコルピオンの恋まじない』(2001年、アメリカ)。大好きなウッディ・アレン、これはまだ観てなかったなーと思いながら観始めたら、一度目にしたことがあるようなシーンが続出。もしかして一度観ていたのだろうか。最近、映画に関する記憶が曖昧だ。

その後、先日、好きな映画でありながら上映時間の30分をほとんど眠ってしまったクリス・マルケル『ラ・ジュテ』(フランス、1958年)をリベンジ鑑賞。空港をバックに“La Jetée”とタイトルが現れるオープニングの映像がスタイリッシュで本当にかっこいい。

Sunday, September 25

都立中央図書館へ。麻布十番から広尾へと、歩く歩く。暑くもなく寒くもなく、太陽の光はやさしく、風は爽やか、なんて素晴らしい陽気だろう。今年もついに秋が来たのだ。

『ボドニ物語 ― ボドニとモダン・ローマン体をめぐって』(田中正明、印刷学会出版部)など、3時間ほど読書。1223現代絵画にて『長島有里枝 What I was supposed to see and what I saw』を観る。おもにスイスとイギリス王立植物園「キューガーデン」で撮影した花と、植物の名前が書かれた名札を撮影したもの。スイスでアーティスト・レジデンシー・プログラムに参加した際、長島有里枝は祖母が残した花の写真を部屋の壁に飾っていたそうで、このたびの多くの写真をわたしは昨年夏、SCAI THE BATHHOUSEで見ており、そのときも、実家でともに暮らした祖母が庭の植物を大切に育てているのを間近に見ながら何年も生活してきた自らの環境と、いまだに旺盛に庭の草花の写真を撮り続けている祖母の存在もあわせて親密な思いをもって作品を眺めることができたのだけれど、けっこうな数の写真をもうわすれてしまっていて、今回また新たな気持ちで鑑賞することとなった。でも長島有里枝の祖母が残した写真(を撮影した写真)とゲルハルト・リヒターの作品に花が添えられた写真ははっきり憶えていた。

通りがかったお店でチュロスが売られていたので買い食い→食べ歩き。チュロスといえばディズニーランドの記憶だなあ、と考える。ディズニーランドにはそれほど行ったことがないのだけれど、行くと必ずチュロスを食べていた。

ギャラリー le bainで『Zapf展 ヘルマン・ツァップ&グドルン・ツァップ カリグラフィーの世界』。最終日かつ貴重な映像の上映日ということもあったせいか大盛況。その貴重な映像『The Art of Hermann Zapf』(1967年、DVD)も鑑賞。ヘルマン・ツァップによるカリグラフィー・レッスン。

六本木ヒルズのカフェで大好きなアフォガードを食べて帰宅。