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Tuesday, September 13

『ガールフレンド』(しまおまほ、ブルース・インターアクションズ)を読む。しまおまほの著書をちゃんと読んだのははじめてだけれど、古くは「ひとりオリーブ調査隊」や雑誌に登場する彼女の言説によって多少なりとも本人には親しみをおぼえている。期待を裏切らない好感度バツグンのエッセイ。しかしあとがきの前のただしがきを読んでこのエッセイはすべてがノンフィクションというわけではないことを知り、読んでいる最中、すべてが本当に起こったことでないにしてもフィクションの部分はちょっとした細部にまぶされているくらいだろう、登場人物もみな本当に実在した人々なのだろう、と信じきっていたため少しびっくりしてしまう。びっくりするという言い方よりもほんとうは戦慄をおぼえる、くらいに言ったほうが正しい。血が飛び散ったり身体が異物に浸食されたりする恐怖よりもそういう、「いままでAだと思ってきたそれは本当はBだったんですよ」と淡々と世界をひっくり返されるほうがよっぽど恐ろしいという話。

夜、梨をむいて食べながら『ロマンチック』(佐内正史、朝日文庫)を眺める。被写体があんまりロマンチックじゃないところがいい。

*今日の一枚  come here/Kath Bloom

Wednesday, September 14

『パリを歩く』(港千尋、NTT出版)を読む。

夜、録音してあった、クリス・ペプラーがMCを務めるJ-waveの番組に楳図かずおが出ていて嬉しくて真剣に聴く。楳図かずおがマイケル・ジャクソンが好きというのは知っていたけれど、パロディで「Thriller」のプロモを作っていたとはわたしとしたことが知らなかったのでYouTubeで早速その映像を観ていた。

楳図かずおは『Prints 21 2010年春号 楳図かずお 漫画家デビュー55周年記念号!!』(プリンツ21)で、“楳図かずお×マイケル・ジャクソンの天国対談”として楳図かずおのなかの幻想のマイケルと対談していて、なかなかこの対談が黒いユーモアに満ち満ちていて面白い。ちなみに「Thriller」が大ヒットしていたその時分、楳図かずおはわたしがこれまでの人生でいちばん好きである漫画作品『わたしは真悟』をかいていた。

Thursday, September 15

昨日の興奮さめやらぬなか『恐怖への招待』(楳図かずお、河出文庫)読む。楳図かずおが自らの生い立ちや制作手法を交えながら“恐怖”というものを語る本だけれど彼の執筆によるものではなくインタビューから構成されており、岡本太郎や草間彌生といった、一見、論理を構築する言葉というものの介入を許さない作風や個性を持つ作家として語られがちな彼らの著したものをひとたび読めば、きわめて明晰でクールで論理的な思索がめぐらされていることに驚くのだが、今回の楳図かずおの著作は文章にそうしたものが表出されてこそいないものの、時間をかけ、神経を行き届かせた緻密な計算のうえにあの作品世界が成り立っていることがよくわかった。と書きつつ、そうはいっても、楳図かずおの破天荒さはあの本人のキャラクターから齎されるものであって、「グワシ!」とか「ギャー!」とか「ヒ〜〜!」とか言いながらも物語自体はなんと隙のない、精巧なものであることよと思い直したという話。それにしてもホラーやサスペンスがほぼ一切ダメというわたしがもっとも好きな漫画家が恐怖漫画を画く人であるというのが可笑しいのだけど、それはつまり作家と作品が恐怖漫画の第一人者であり代名詞でありながらもそれ以外のものをいかに豊かに内包しているかということで、わたしにとってはそこが楳図かずおのいちばんの魅力なのだろう。

*今日の一枚  Bach: Italian Concerto in F Major, Partitas/Glenn Gould

Saturday, September 17

3連休初日。バタートースト、グリーンリーフのサラダ、珈琲の朝食を済ませて外苑前のワタリウム美術館へ。『草間彌生展 Kusama’s Body Festival in 60’s』を観る。この展覧会はおもに彼女の60年代の活動に焦点をあてたもの。ニューヨークやドイツ、オランダで発表されたインスタレーションやハプニングアートを写真や映像で詳しく見せ、モニタには若き日の彼女の姿が次々と映し出される。館内の椅子や机は赤と白の水玉にペイントされ、もちろん男根型の突起物の群生作品や巨大な水玉バルーンが部屋を揺曳する一室にもお目にかかれる。

1990年代、草間彌生はガーリー・カルチャーの永遠のアイコンとして取りあげられることが多かったように思うが、違うだろうか。というのはわたしがはじめて草間彌生を知ったのが『STUDIO VOICE』(1996年7月号、インファス)の「特集 Girlquake! 秘められた少女たちの暴力性」においてで、リアルタイムに購入した同号を本棚から抜き取り捲ってみればそこでは尾崎翠、吉屋信子から岡崎京子、吉本ばなな、そして多和田葉子やローザス舞踊団、カレン・キリムニック、マヤ・デレン、エヴァ・ヘス、イーディ・セジウィックまでを拾いあげつつ少女性なるものについての考察がなされており、特集の中盤、見開きで掲載された男根のうえに寝そべる例の写真のなかからこちらを挑発的に見つめるのが草間彌生なわけで、そもそもこの特集号の表紙は一面、白とピンクの水玉に覆われているのだった。それから数年はそうした文脈のなかで彼女がカリスマ的に取りあげられるのを楽しんでいたわたしだけれど、やがてもうそういうのいいや、との思いに至り、それからほどなくして1999年東京都現代美術館、2004年森美術館、東京国立近代美術館、と相次いで個展が開かれたその頃からまた違ったとらえ方ができるようになり再び興味を持ちはじめて今に至る。しかも最近は90年代STUDIO VOICE的な扱い方もなかなかいいじゃないか、と思ったりしている。

てくてく歩いてひさしぶりの246 CAFEでお昼を食べて、BOOK 246をひやかして。BOOK 246などその店が厳選した本だけを売る小さな書店とかCDショップというのに弱くてそういうお店に行くと大体いつも何かを買ってしまうのだけど、今日は買わず。

またまたすたこら歩いてCOW BOOKSへ。ここでは今Oliveのバックナンバーをいっぱい売ってるらしーよ、との情報を得て来たのであるが入口の児童文学が置かれているラックで運命の出会いを果たしてしまう。なんと! なんと!! (©かしこいビル)長いこと探し求めていた「小人の冒険シリーズ」の『野に出た小人たち』『小人たちの新しい家』(メアリー・ノートン、林容吉/猪熊葉子訳、岩波書店)を見つけてしまった。「小人の冒険シリーズ」は映画『借りぐらしのアリエッティ』の原作である『床下の小人たち』からはじまる5巻からなっていて、前出の2冊は2巻目と5巻目で、これはわたしが小学生のときに心酔した物語であるにもかかわらず2巻目はなぜか文庫で購入し、5巻目にいたっては図書館で借りて読んでいたということから所有していなかったのだった。というわけで一も二もなくお買い上げ。このシリーズは美しく細密な挿画がストーリーに興趣をそえ、読んでよし眺めてよしの児童文学装丁の金字塔ともいえるため、近年ますます、なぜ当時すべて単行本でそろえておかなかったのかと忸怩たる思いを抱えていたのであるが、なにゆえそんなにうじうじ忸怩としていたのかといえば、わたしはいつものうっかりでこれらシリーズがもう絶版だと思い込んでいたのだった。帰宅して調べたらAmazonにあるではないか。古本でやすく買えた、というせこい喜びももちろんあるけれど、こうした優れた本が地道に版を重ねているということがなんとも喜ばしい。

うわさのOliveはわたしは1980年代中盤〜1990年代初頭がOliveの全盛期だと思われるため、全盛期の号が2、3冊しかなかったのが惜しい。とはいえ1980年代のOliveはよく知らない。1991年春、はじめて買った号のひとつ前の号が売られていたことには気づいた。それにしてもやはり本はご縁だなあ。

ラットホールギャラリーで「荒木経惟展 彼岸」を観て、初の旗艦店がオープンしたsacaiをのぞいて、銀座へ。ギャラリー弾丸ツアー。ギャラリー小柳で「ビル・ヴィオラ/Transformations」、BLD Galleryで「SCANDAL 2」、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで「工藤青石/形と色と構造の感情」、資生堂ギャラリーで「辰野登恵子/抽象—明日への問いかけ」、銀座ニコンサロンで「橋口譲二/Hof ベルリンの記憶」、シャネル・ネクサス・ホールで「ダグラス・カークランド/ココ・シャネル 1962」。このところギンザ・グラフィック・ギャラリーへはほぼ毎回行っていて、会期がそれほど長くないものが多いのでその分足しげく通うことになるわけだけれど、展示物によって展示空間が一新されるその変容っぷりも楽しめるというかわくわくさせられるが、昼間観た草間彌生はその昔恵比寿にあったオオタファインアーツで毎年草間彌生展を開いていて、何年からかわすれたけれどギャラリーのサイトを見るかぎり1998、1999、2000、2001、2002、2004、2005、2006年と開催しており、おそらく1998〜2002年頃まではなんの衒いもなく淡々と作品を並べるそのギャラリーに毎年飽きもせず同じような作品を観に出かけていたことが思い出され、それはそれで幸福な体験としてわたしのなかにある。

Sunday, September 18

東京都写真美術館で「鬼海弘雄写真展 東京ポートレイト」「江成常夫写真展 昭和史のかたち」、ナディフで「高松次郎 言葉ともの—純化とトートロジー」「上田義彦+川瀬敏郎 鎮まる」「原久路 Picture, Photography and Beyond」鑑賞。原久路を観ていたらギャラリーの方が丁寧に説明してくださった。原久路が以前発表したシリーズはバルテュスの影響を受けている、というかバルテュスの本歌取りともいえるもので興味深かった(アルバムを見せていただいた)。

いまじぶんがサブカル色強めなものに一切といっていいほど興味がわかない場所に立っていると認識している、というかサブカルって……という感じであるのとはうらはらにサブカル色の強い日記を残したことが今週の日記と呼ばれる文章を書いていて面白く感じたところでした。