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Saturday, June 1

橋本治は誰にも似ていない。エッセイで書く橋本治の意見に同調するとかしないとか、ほかの書き手であればきっと判断の重要なポイントとなるだろうことが瑣末な話に思えてくるほど、橋本治の書くものが誰にも似ていないという事実にあらためて吃驚する。前を見ても後を見ても横を見ても、橋本治っぽい人は橋本治しかいない。思考の流れの痕跡を、その痕跡こそが肝要なのだと読者に強く訴えかける文章を書く人として、たとえば保坂和志の名前がすぐに浮かんでくるのだけれど、保坂和志っぽい文章を書く人は結構いる。インターネットに漂流するテキストを読んでいて、あー保坂和志っぽいなーと感じる事態に遭遇するのは、そう珍しいことでもないように思う。けれども、あー橋本治っぽいなーと感じる事態に遭遇するなんて稀だ。あー橋本治っぽいなーと感じたら、それは橋本治の文章だ。前を見ても後を見ても横を見ても、と書いたけれど、「前」はともかく「後」や「横」への影響は作家本人がコントロールできるようなものではない。独創的だとか個性的だとか言うけれど、換骨奪胎されながら周囲に伝播するのから逃れるのは難しい。橋本治はなんて異様な存在なんだろう。今月の『一冊の本』(朝日新聞出版)の連載を読みながら、そんなことを考えていた。内容は、『広告批評』の編集長だった島森路子への追悼。

午前中、新宿。前回確認せずに訪れた日曜日は休館で、出直しの訪問と相成った文化学園服飾博物館で「ヨーロピアン・モード2013 華やかな人々」展を見る。18世紀のロココ調から現代までの200年の服飾の歴史を辿るという、多幸感に満ち満ちた展示室。越路吹雪がニナリッチとサンローランを愛用していたことを知る。服飾博物館コレクションのブックレットを購入。

新装開店の新宿西口のブックオフを冷やかしてから、伊勢丹の地下食料品売場で食料を調達し、午後は新宿御苑でピクニック。どこかしら牧歌的な響きを奏でるピクニックなる行為だが、暑すぎず寒すぎず晴れており尚且つ休日にしか実施できない諸事情を勘案すれば、ピクニックの可能な日なんて一年のうちに何回あるだろう。われわれはピクニックと真摯に対峙しなければならぬ。夕方、冷たい風が強く吹きつけてきたので、撤収。風が強くないことも条件だった。移動中に岩波書店の『図書』(6月号)を読む。

Sunday, June 2

渋谷にて。Bunkamuraザ・ミュージアムで「アントニオ・ロペス 現代スペイン・リアリズムの巨匠」を見る。展示は素晴らしく、図録を購入。ドゥ マゴ パリでカフェオレとモンブランを注文し休憩するなかで、会場でも言及のあったビクトル・エリセが監督した『マルメロの陽光』(1992年)について、録画したVHSがどこかに眠っているはずとの情報を聴取。早急なる発掘が待たれる。

旦敬介による短編集『旅立つ理由』(岩波書店)を読了する。