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Saturday, May 18

湘南新宿ラインに乗って北の終着駅、宇都宮に向かう。

二時間弱の乗車時間のあいだに読んでいたのは、昨年出版されたサルマン・ラシュディの自伝 Joseph Anton: A Memoir。Kindle版の半額近い価格に値下げされていたハードカバーを購入したのだが、うんざりするほど重くて、読んでいると手が痺れてくるほど。持ち運びも大変で、ショルダーバッグに入れると肩が凝るほどの重量だ。Kindleのを買えばよかった。

宇都宮駅からバスで30分弱(遠い!)で宇都宮美術館に到着。愛知、長崎、宇都宮とめぐって、なぜか東京には巡回してくれない「クリムト 黄金の騎士をめぐる物語」を鑑賞するのが本日の目的。クリムト展というより、クリムトとウィーン分離派展といったほうが正確だと思う内容なったけど、でも、遠出の価値はあった。低層の瀟洒な美術館も居心地がよくて、建物のまわりに広がる芝生も心地よい。ずっとのんびりしていたい景色だったが、夜には新宿で予定があるので帰りの電車の時間を遅らせるわけにはいかず、一時間に一度くらいしか来てくれないバスに見切りをつけて、タクシーを呼んで宇都宮駅まで戻り、いちおうは「名物」を消化しなければと駅ビルで餃子とビールを胃袋に投入してから、東京に戻る。

保坂和志が、たしかに『途方に暮れて、人生論』(草思社)だったかで、同窓会って若い頃はなんだか後ろ向きな感じがしてあまりいく気になれなかったのだが、最近はおもしろいので行っているということを書いていて、この話に背中を押されたわけではないけれど、夜は大学のゼミの同窓会に参加した。参加者全員に10年ぶりの邂逅を果たす。同窓会となれば、みんなそれ相応に年を重ねるのが常というものだけれど(そしてそれを話のネタにする)、たぶん私の見た目は10年前と変わっていないか、むしろ若くなっている可能性がある。なにしろ私の体年齢18歳なのだ。アンチエイジングまっしぐらである。

同窓会はそれなりに楽しく、それなりに退屈だった。頻繁に会うことのない人たちとの、楽しさというものがある。退屈さというのもある。それではまた、10年後にでも会いましょう。

Sunday, May 19

胃がもたれ気味の日曜の午前中は、セルベール整胃錠と二冊の岩波新書を服用する。

一冊目は『新・現代アフリカ入門  人々が変える大陸』(勝俣誠/著)。冒頭に

社会科学、とりわけ「北」発の経済学では、数によって社会現象をすべて説明したい、またはその作業で満足したいという誘惑はいまだに強い。しかし80年代は、これらの多様な日常を生きる人々を統計の数だけで描写し、説明するだけで本当にいいのかという疑問を持ちだした時代でもあった。何よりも彼ら/彼女たちの言い分を聞きたい。そもそもこれらの「南」の声に自分はどれだけ真剣に耳を傾けてきたのか?

とあって、欧米のメディアでアフリカが取り上げられているのを読むと、「統計の数」で世界を記述することへの矜恃のようなものは、たしかに感じる。とはいえ、数での説明もそれはそれで重要な仕事であることに変わりはないので、理論と実地の齟齬を、どううまく折り合いをつけていくのかが地域研究の終わりなき課題なのかもしれない。というようなことは、勝俣誠はずいぶん前に別の場所で述べていたような気もする。

二冊目は『タックス・ヘイブン  逃げていく税金』(志賀櫻/著)。1949年生まれの著者の経歴を確認すると、大学在学中に司法試験に合格し、東大法学部を卒業してから当時の大蔵省に入り、主計局主計官やら警察庁に出向して岐阜県警察本部長やら東京税関長やらを務め、財務相を退官した現在は弁護士をやっているという、ほほー、エリートですなあという感じなのだが、そんな経歴より、イスラエルでの会議の合間の休日にひとりで車を借りて旧約聖書の遺跡を見て回ろうとしたら、道に迷って銃撃にあうとか、本題(租税回避)の合間に書かれるエピソードがおもしろいので、編集者はこの人にもっと本を書かせたほうがいいと思う。

このころから、危険な任務があると「志賀君、行ってくれないかね」と言われるようになった。「なんでいつも俺なんですか?」と聞くと、「だってキミ、そういうの好きじゃないか」と言われて終わりである。(pp.142-143)