Monday, November 21
吉岡斉『新版 原子力の社会史 その日本的展開』(朝日選書)。単純な増補かと思ってぱらぱらページをめくっていたら、ところどころ最近の文献がさし挟まれていて全面的に加筆修正されていることが判明。『一冊の本』に「基本的な骨格についてはとくに見直す必要はなく、主として表現上の修正にとどめることができた。これは基本的な骨格が、時間の経過によって陳腐化しなかったことを意味するので、筆者にとって誇らしいことであった」とあるのを読んだものだから、近過去の部分だけ読めばいいかなと軽く考えていたので、不意をつかれどこから読んだらいいものかと逡巡しつつ、さしあたりざっくり本の半分以降を読了。
夕食、トマトと小松菜とあさりのパスタ。赤ワインとともに。『セブンス・コンチネント』(ミヒャエル・ハネケ/監督、1989年、オーストリア)を鑑賞。
Tuesday, November 22
録音してみたものの完全放置状態だったNHKFMの「ワールドロックナウ」を再生したらひさしぶりに聴いてもやっぱり相変わらず渋谷陽一の声は甲高くて、還暦をこえた人間の声がはたしてこんなに軽々しい雰囲気をまとっていてよいものかと疑念が渦巻くのであるが、それはそうとロンドン情報の児島由紀子のテンションもまた変わっていない事態に「ラジオの長寿番組というものの変化のなさっぷり」について考える。
本日の読書、いとうせいこう・柳生真吾『プランツ・ウォーク 東京道草ガイド』(講談社)。夕食、白米、たらこ、小松菜の味噌汁、ひじきの煮物、ほうれん草ともやしの炒め物、焼き魚(鯵)。
Wednesday, November 23
勤労感謝の日。ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』(野口良平、那須耕介、石井素子/訳、みすず書房)を読みはじめる。夕方、近所の公園でバドミントン。キャッチボールおよびサッカー禁止とでかでかと警告の文字が躍っているその公園でバドミントンをやっていいものかいまいち判然とせず、バドミントン禁止とは書いていないのでほかの公園利用者に影響のでないよう隅のほうでラケットをとりだしたら、公園の中央で母と息子の親子連れがキャッチボールをはじめた。そしてその親子連れはキャッチボールに飽きると今度はサッカーをはじめた。自由すぎる。
夕食、醤油ラーメン(葱、ピーマン、もやし、ハム、卵)。『夜』(ミケランジェロ・アントニオーニ/監督、1961年、イタリア/フランス)を鑑賞。
Thursday, November 24
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『七つの夜』(野谷文昭/訳、岩波文庫)、五十嵐太郎『現代日本建築家列伝 社会といかに関わってきたか』(河出ブックス)を読む。途中まで。夕食、白米、葱の味噌汁、秋刀魚、大根おろし。
Friday, November 25
渋谷のマークシティにある「美登利寿司」で昼食。満腹。神泉から井の頭線に乗って駒場東大前。「河野書店」で古本を物色。澁澤龍彦『フローラ逍遥』(平凡社ライブラリー)と『ウクライナ民話 てぶくろ』(エウゲーニー・M・ラチョフ、内田莉莎子/訳、福音館書店)を購入。駒場公園で紅葉狩り。「旧前田侯爵邸洋館」でカフェラテ。渋谷にもどり、「SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS」に立ち寄る。いちど行ってみたかった本屋で、ただ立ち寄るだけのつもりが、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集をセールで安く売っていたので買ってしまう(といっても五千円したけど)。「ユーロスペース」でフレデリック・ワイズマンの映画を二本。『チチカット・フォーリーズ』(1967年)と『ボクシング・ジム』(2010年)。本日が最終日だとはいえ、延々と精神異常犯罪者のための州立刑務所マサチューセッツ矯正院の模様をうつすドキュメンタリーと、延々とテキサス州オースティンのボクシング・ジムの模様をうつすドキュメンタリーが、平日の夕方から夜の時間帯に立ち見が出るほどの盛況というのは一体。『チチカット・フォーリーズ』の影の主役は煙草ではないかとの感想を抱きながら、「フレッシュネスバーガー」の禁煙ルームで夕食。
Saturday, November 26
宮沢章夫『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット・第三集』(新潮社)。以前、宮沢章夫とやついいちろうが桑原茂一のラジオに出演した際にこの小説の話をしていて、ある事情があって室内から出られない中年の男が小説に登場するのだけれど、彼を慕う若い男が食事を用意する描写で、いつもコンビニ弁当ばかりではあんまりだからごはんと卵を買ってきて卵かけごはんはどうですかと伺うところがあるのだが、その叙述に対して新潮社の校閲から赤が入ったという。「出前をとればいいのでは?」と。新潮の校閲すごい。出前をとればいいのでは? 校閲というよりそれは、意見だ。
午後、清澄白河へ。「山食堂」で昼食。「eastend TOKYO BOOKS」と「しまぶっく」に寄り道。「eastend TOKYO BOOKS」でセルジュ・ゲンスブールを特集した『STUDIO VOICE』と、買うつもりのまま放置状態だった林田摂子の写真集『森をさがす』(POCKET BOOKS)を、「しまぶっく」で辻邦生『外国文学の愉しみ』(レグルス文庫)を購入。「清澄公園」で紅葉狩りののち、倉庫ギャラリーへ。「ディエゴ・シン Table for one.」(小山登美夫ギャラリー)、「アートとプロダクトの不穏な関係」(Ai Kowada Gallery)、「樋口佳絵展」(キドプレス)、「津田直 REBORN」(ヒロミヨシイ)、「前田征紀 ECHOES」(タカイシイギャラリー)、「米田知子 Japanese House」(シュウゴアーツ)など。
夜、ライトアップされた「六義園」で紅葉と大名庭園と甘酒と団子を堪能。帰る途中に書店によって高峰秀子を特集した『芸術新潮』を買う。帰宅後、なんとなく食べたくなって「日清食品」のカップヌードルを数年ぶりに。岡尾美代子曰く「ときどき無性に食べたくなるカップ麺のベーシック」(『スマイルフード』マガジンハウス)。
Sunday, November 27
ネストール・アルメンドロス『キャメラを持った男』(筑摩書房)。トリュフォー映画を9本撮影しているアルメンドロスだけれど、山田宏一『フランソワ・トリュフォー映画読本』(平凡社)をあわせて参照すると、トリュフォーの語る作品評価とアルメンドロスの感想がぜんぜんちがっていたりする。たとえば『恋愛日記』について。
『恋愛日記』は、フランスで観客と批評家の双方にたいへん好評を博した。トリュフォーと撮った三本の現代物コメディの中で、この作品は間違いなく私が最も気に入っているものだ。アメリカでは、この映画のリメークさえ作られている(『キャメラを持った男』)。
しかし、それにしても、『恋愛日記』のシャルル・デネルは、ちょっと老人くさくて、オドオドしていて、しつこい感じがあったかもしれない。『黒衣の花嫁』のころのシャルル・デネルだったら、もっとさわやかで、魅力的で、いきいきとしていたし、さっそうとしていた。たぶんこの映画を撮るのが五年遅すぎたのではないかと思っています。この映画は、フランスでも、当たらなかった。とくに女性観客の気に入られなかった。やはりシャルル・デネルに魅力がないというのです。(『フランソワ・トリュフォー映画読本』)
ちがいすぎる。
夕食、グリーンカレー。『夜』(ミケランジェロ・アントニオーニ/監督、1961年、イタリア/フランス)を鑑賞。なぜ水曜日に観た映画をふたたび観ているのかといえば言うまでもなく前回寝てしまったからにほかならない。