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Thursday, July 6

松尾潔がジャニーズ事務所に言及したことが理由で在籍している事務所の契約が途中解除になった、自分を事務所に誘ってくれた山下達郎もそれに賛同した、とツイートしている。事実だとしたら(事実だと思うが)山下達郎の判断はどうかと思う。同日中に公開された日刊ゲンダイの連載『松尾潔のメロウな木曜日』でそれに関するコメント全文を読んだところ、松尾潔の客観的で的確で少々メロウな文章が素晴らしいと思った。

Friday, July 7





有給休暇を取得。恵比寿まで出て、お昼はwellkにてニース風サラダ、ヴィシソワーズ、パン、チーズケーキをいただく。

上野へ。東京都美術館で「マティス展 Henri Matisse:The Path to Color」を鑑賞。マティスの絵はものすごく好きというわけではないが、マティスの業績には興味がある。図録の装丁がとても素敵。

信濃町へ。明治記念館のビアテラス鶺鴒にて今年初のビアガーデン体験。ここ、何年も前から来てみたいと思いつつ、何年も何年も経ってしまった。謳い文句にあるように、頭上には何もさえぎるものがない空が広がり、緑豊かで、とても気持ちの良い場所。そこで飲むビールの美味しさよ。お料理も当然美味しく、アボカドボートや焼き鯖寿司、フレンチフライなどをオーダー。最後にオレンジワインを飲む頃、とっぷりと日が暮れて、お庭に灯された明かりがあたたかな光を放っていた。この幸福感を抱えつつ、生きていくうえでの憤りややるせなさや悲しみと併走していく日々だ。

Saturday, July 8



今日は延ばし延ばしにしていた自転車のメンテナンス出しのために中目黒まで行かねばならない。曇天でそこまで暑くない日を選んだものの、熱中症に気をつけないと。

向かう道でFactory&Labo 神乃珈琲の前を通りかかり、そういえばこのお店も気になっていたのだった、と入店し、クロックムッシュとアイスコーヒーでひとやすみ。店員が3人しかいないのにスピーディに提供してくれる。店内はゆとりのある空間でいい雰囲気。その後、中目黒の雅庵に寄って和菓子を買う。tokyobikeで自転車の点検を依頼し、自転車を預け、TRASPARENTEでパンを買い、&SPIRITSでスウェーデン産の蒸留酒を買う。奥沢のアトリエ ルルに立ち寄り、予約していたクッキー缶を受け取る。奥沢駅のホームの待合スペースに、ベビーカーご利用時の注意事項を喚起したポスターが貼ってあり、そこにベビーカーに乗って赤ちゃん役をやらされているのるるんがいてウケてしまう。のるるんは何をやっても愛嬌があって可愛い。

午後は、私だけ法事に参加。夜は、大阪寿司と焼鳥とビール。

Sunday, July 9

おやつに昨日購入した雅庵のわらび餅をいただく。お昼、かぶの葉ととうもろこしのパスタを食べながら『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(ヴィム・ヴェンダース監督、1999年)を観る。いつ観てもいい映画だな。この季節、特にいいかもしれない。

午後のおやつに昨日購入した雅庵のどら焼きをいただきながら山下達郎が自分のラジオ番組「サンデーソングブック」(TOKYO FM)で今回の騒動についてコメントするのを聴いたが、松尾潔のジャニーズ事務所への提言を「憶測」に基づいたもの、とする発言を聞いた時点で一発アウトだった。憶測はないでしょう、この期に及んで。そりゃ当事者は他界しており加害の現場は密室で証拠はないかもしれない、とはいえ被害にあったと証言する人があまりにも数多く存在している、そもそもジャニー喜多川本人が以前の裁判で認めたということになっているのにそれを憶測とは…とひとしきり憤ったが、まあ今回の山下達郎のコメントと態度は、すっとぼけというか開き直りというか(「今回の私のコメントを忖度などと受け取る人は私の音楽など不要でしょう」云々)…という感じでがっかりだった。まわりにそのコメントではまずいですよ、と進言してくれる人はいなかったのだろうか。

夜、ごはん、かぶと豆腐とわかめの味噌汁、鶏の唐揚げ、キャベツの千切り、トマト、レモン、ビール。

『ピカソ 剽窃の論理』(高階秀爾、ちくま学芸文庫)を読み終える。タイトル即ち出オチみたいなものだけど、この本はまさに「ピカソがどのように数々の作品を剽窃してきたかを論理的に説明する」ことに一点集中している。ベラスケスの《ラス・メニナス》にもとづく作品をピカソは多数生み出しており、1957年8月にまず連作第一号を制作するのだが、その時系列を追いながらの考察がとても面白かった。

この第一号の後、ピカソは今度は侍女マリアと、そして特に王女自身を何回も取り上げてそのさまざまの表現を追求する。このようにして九月六日までに計十七点のピカソの「ラス・メニナス」が作られた。その同じ九月六日、ピカソの連作の中にひとつの幕間が開かれる。彼のアトリエの窓から見える鳩小舎と、そこに飛び交う鳩たちを描いた九枚の作品がそうである。南仏の青く澄みきった海原を背景に、あるいは巣の中にうずくまり、あるいは緑豊かな樹々の枝先で囀り、あるいは大きく飛翔する鳩たちの姿は、少年の時からピカソが愛した主題のもう一つの新しい変奏曲である。
しかしその鳩たちとの対話も九月十二日には終わり、十四日からは再びベラスケスとの対話が再開される。その日以後九月中になお五点、十月には十二点、十一月に九点とやつぎばやに新しい「侍女たち」が生み出される。そのうち、ここではただ一点、「ピアノ」と題された十月十七日の作品があることを指摘しておこう。ベラスケスの作品には無論ピアノなど登場しない。それにもかかわらずこの作品はやはり「侍女たち」の変奏の一つであり、後に見るように、ピカソの芸術の一面をきわめて雄弁に物語っている好例であるように思われる。
十二月にはいると制作のリズムはやや緩やかになる。いやむしろ真の「ラス・メニナス」制作は十一月十七日をもって終わりを告げたというべきであろう。この日、一挙に六点の小品を描き上げてから、やや休息の時期が続く。そして十二月二日に再び絵筆を取り上げた時、カンヴァスの上に写し出されたのは激しい筆触の南仏風景三点であった。ついで翌三日、金色の縁に囲まれた古典的な「ジャックリーヌの肖像」が生まれる。千変万化する華麗な色彩世界の後で、この静かな愛人の肖像は何を意味するのであろうか。そしてその四週間後、十二月三十日に描かれた、ほとんど物静かと言いたいような落ち着いた色調の「王女マルガリータの像」によって、この壮大な連作は完全に幕を閉じるのである。
(p.76-78 ※図版番号は割愛)