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Monday, November 14

二週間弱つづいている酷い頭痛は、ようやく快方に向かいつつある。昨晩枕を少し高くして就寝したのが功を奏したのかもしれないが、しかしそのような単純な事由で改善する症状とは思えないので、いまがちょうど恢復期にあたっているのかもしれない。読書。小沼丹『懐中時計』(講談社文芸文庫)を読む。文庫解説で秋山駿が小沼丹の小説に言葉を与えるにあたって、「人生の機微」でもなく「ユーモア」でもなくもっと違った性質の何かなのだが、ふさわしい言葉が見つからないと書いている。ほかにも「哀愁」なり「諦念」なり「洒脱」なり「軽妙」なり表現する言葉はいくらでも連想することはできると思うが、たしかにどんな語彙をもちだしても欠落のないしっくり嵌まる修飾がでてこないので、これらすべてを煮詰めていい塩梅の出汁として濾過されたものが小沼文学なのかもしれない。夕食、白米、長葱とわかめの味噌汁、回鍋肉(塩豚、キャベツ、人参)、胡瓜の糠漬け、ほうじ茶。

Tuesday, November 15

頭痛は恢復傾向だが今度は首が痛くなる。読書。多和田葉子による連作長編三部作の三冊目『太陽諸島』(講談社)が上梓されたので、読む前の復習として前作の『星に仄めかされて』(講談社)を再読中。夕食、肉うどん、玄米茶。夜、映画鑑賞。自宅にあるDVDの棚から『ノスタルジア』(アンドレイ・タルコフスキー/監督、1983年)を再見。幾度も見ている好きな映画だが、ラストシーンにおける雪の降り方が雑なのとカメラの揺れがいつも気になる。

Wednesday, November 16

読書。多和田葉子『星に仄めかされて』(講談社)を最後まで。つづけて『太陽諸島』(講談社)。冒頭に「読書のためのガイド」として、『地球にちりばめられて』と『星に仄めかされて』のあらすじを要約したものが掲載されているが、きわめて正確な要約にもかかわらず一体何の話なの感が漂っているところに、小説の要約に意味がないことを実感させられる。もっとも「一体何の話なの感」はこの連作長編三部作特有の事態といえるかもしれなくて、劈頭に掲げられた登場人物紹介の短文も、物語の内容に即して何も間違った点はないにもかかわらず、一歩引いて文章を咀嚼すると「一体何の話なの感」が漲っている。午後、脳神経外科で頭部MRI検査。状態に変化はなし。疑いのある血管の膨らみが以前からのものなのか最近できたものなのか判断できないので、来月また来てくださいと山岡士郎のような科白を医者から告げられる。血管と頭痛との因果関係はなんとも云えないとのこと。頭痛は完治しないのでロキソニンを処方してもらう。夕食、鶏肉と玉葱を加えた焼きそば。ウクライナ国境近くのポーランドの村にミサイルが着弾して2人が死亡との報道の推移を追うと、ロシア側の攻撃ではなくウクライナ側が発射した可能性があるとのことだが、それにしても運悪く戦火のとばっちりに遭うというのは、いかにもポーランドっぽい話ではある。

「わたくしの生まれた町は当時ポーランドではなくロシア領だった。ポーランドにとっては国がなくなるという事件はそれほどめずらしくはない。だから国よりも町の方が信用できる。町というものは石やレンガでできているから、そう簡単には消滅しない。国は書類上の約束事に過ぎない、つまり紙でできている。」(多和田葉子『太陽諸島』講談社、p.77)

Thursday, November 17

読書。多和田葉子『太陽諸島』(講談社)のつづき。三部作なので既刊の『地球にちりばめられて』と『星に仄めかされて』を踏まえ、書名も倣って『〇〇に〇〇れて』となるのかと思ったら『太陽諸島』だった。『太陽に諸島られて』はどうか。どうかもなにもないが。会社帰りに本屋に立ち寄る。ティモシー・スナイダー『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(布施由紀子/訳、ちくま学芸文庫)の上下巻をレジにもっていったつもりでいたら、店員に「こちら両方とも上巻ですが」と指摘される。治りきらない頭痛による体調不良が原因なのか、はたまた老化が始まったのか、日常におけるぼんやり度数が上昇している。夕食、紫玉葱をのせたラムキーマカレー。

Friday, November 18

読書。多和田葉子『太陽諸島』(講談社)を最後まで。夕食、持ち帰り寿司、味噌汁。

Saturday, November 19

晴れ。朝食、目玉焼き、トマトとピーマンとベーコンのグリル、イングリッシュマフィン、ヨーグルト、珈琲。掃除と洗濯と本の整理。近所のドラッグストアとスーパーマーケットで買いもの。昼食、チキンカレー。映画鑑賞。「ザ・シネマメンバーズ」の配信サービスで『右側に気をつけろ』(ジャン=リュック・ゴダール/監督、1987年)をおよそ20年ぶりくらいに再見する。すっかり内容を忘れていたかと思いきやショットの数々をわりとよく憶えてた。映画のあとはメロンを食べて、読書。イリナ・グリゴレ『優しい地獄』(亜紀書房)を読む。夕食、豚挽肉のロールキャベツ、「DAILY by LONG TRACK FOODS」で買ったイエローマスタード、「AND THE FRIET」のドライフリット、赤ワイン。

Sunday, November 20

曇天。朝食、目玉焼き、ベーコン、サニーレタスとベビースピナッチとトマトと紫玉葱のサラダ、トーストとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。旅の計画と準備。荷造りを考える。旅の荷造りで思い出すのは『ku:nel』2009年11月1日号(マガジンハウス)に載っている「持っていきすぎかしら」と題された黒田朋子の記事で、タイトルのとおり持っていきすぎの荷物が披露される。昼食、ベーコンとキャベツのパスタ。映画鑑賞。『裁かるゝジャンヌ』(カール・テオドア・ドライヤー/監督、1928年)を見る。20年以上前に高田馬場の小さな映画館で見た記憶を手繰り寄せる。曇りのち雨。柿と玄米茶。夕食、白米、豆腐とキャベツの味噌汁、とろ鯖の干物、蛸と山葵、すぐき漬け、麦酒。イーロン・マスクが買収したtwitterがこれまでと同様のかたちで存続できるかが危惧されているらしい。twitterがなくなると、本日の東京都における新型コロナウイルス感染に関する発表が「7人死亡7777人感染」であることに対して、条件反射的に即反応する媒体が消えることを意味すると思ったが、それはべつに消えてもどうということはない。