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Monday, August 8

読書。北杜夫『楡家の人びと』(新潮文庫)を読む。よく知られた長編小説だが遅ればせながらの初読。書架から取りだした文庫本の奥付を確認すると平成4年印刷製本の45刷とある。いま流通している新潮文庫と較べると随分と字が小さい。新潮文庫の現在の文字サイズは大きすぎると思うし、高齢者に配慮した印刷物の文字の肥大化には嫌悪感を抱いている偏狭な人間ではあるものの、平成4年の新潮文庫を現在地からの眼で眺めてみると、さすがに文字が小さいなと思う。しかしかつての新潮文庫の『楡家の人びと』は上下巻で、いま販売されているものは全3巻なのだから、どれだけ字を大きくしたのかという話でもある。活字にまつわる文字の大小といえば、青山ブックセンターにおけるトークイベントで、吉増剛造を相手に堀江敏幸が語ったことに「むかしの『ユリイカ』の後ろに載っていた「ワールド・カルチュア・マップ」くらいの字の小ささ」という細かすぎて伝わる気のしない喩えがあったのをふと思い出す。会社から帰宅すると『UP』8月号(東京大学出版会)が届いている。夕食、チキンピラフ、ほうれん草とベーコンと玉葱のコンソメスープ、麦酒。食事を摂りながらradikoで「山下達郎のサンデーソングブック」(TOKYO FM)を聴く。強制的な休養が効いているのか新型コロナウイルス感染直前より感染後のほうが元気そうな山下達郎。夜、映画鑑賞。『市街』(ルーベン・マムーリアン/監督、1931年)を見る。

Tuesday, August 9

読書。北杜夫『楡家の人びと』(新潮文庫)の上巻を最後まで。日暮れ時、風が強く吹いている。夕食は五反田の「おにやんま」で肉うどんを食べる。帰宅してから中井久夫と三宅一生の訃報を知る。夜、映画鑑賞。『ゴッドファーザー PART III』(フランシス・フォード・コッポラ/監督、1990年)を見る。

Wednesday, August 10

猛暑日がつづいているものの朝晩は風があるので晩夏に向かっている気がしなくもないという淡い期待。終日労働三昧。読書。追悼として中井久夫の本を読み返そうと書架に向かうも、図書館で借りて読んだものが大半なので、蔵書としては数冊のみ。中井久夫『関与と観察』(みすず書房)を本棚から取りだす。刊行時の2005年に新刊で購入したのは、記憶は曖昧だが本を新刊で買う気分の時期に嵌ったからだと思う。再読。中井久夫が優れた文筆家であるのは世評のとおりであるが、綺麗な輪郭線として中井久夫という像を思い描くことのできない摑みどころのなさを感じるときがある。喩えば、青土社の刊行する雑誌に『現代思想』と『ユリイカ』があるが、木村敏の特集であれば『現代思想』一択であるのだが(実際2016年に企画されている)、中井久夫の特集だと『現代思想』でやってもよいし『ユリイカ』でやってもよい。というより、どちらでやってもなんとなく収まりが悪い感じがする(過去に存在した青土社の雑誌『imago』であれば迷いは解消するという話はさておき)。それと中井久夫が自身の思考の理論化を避けていることも一因だろうが、折にふれて含蓄に富む筆致を前に感歎しはするものの、結論として何が言われていたかの印象が希薄である。中井久夫の文章は要約がむずかしい。そんな摑みどころのない中井久夫であるが、『関与と観察』を読み返してみると、戦史が大好きであることはよくわかる。夕食、ポークビンダルー、麦酒。夜、映画鑑賞。『ベル・オブ・ニューヨーク』(チャールズ・ウォルターズ/監督、1952年)を見る。

Thursday, August 11

祝日。夕方のごみ捨て以外に玄関の扉を開けることなく終日自宅にて。午前は映画鑑賞。『まぼろしの市街戦』(フィリップ・ド・ブロカ/監督、1966年)を見る。午後はバッハやモーツァルトのレコードを流しながらの読書。北杜夫『楡家の人びと』(新潮文庫)の下巻を読む。八月に太平洋戦争がらみの本を読むのはとってつけたような読書で趣味ではないのだが、物語の内容を知らずに読みはじめたのでうっかり時機が相応の読書になってしまった。夕食、白米、玉葱とほうれん草の味噌汁、しめ鯖と小葱と生姜、大根の煮物とおくら、人参しりしり、胡瓜と大根の漬物、麦酒。

Friday, August 12

カレンダーどおりの労働。出勤。お盆休みに突入しているオフィス街は閑散としている。昼休みに鮨を食べに向かうも目当ての鮨屋が夏季休業中だったため、代わりに「和幸」でとんかつを食べる。久方ぶりに訪れたら各種メニューは値上がりしていた。読書。『斎藤茂吉随筆集』(阿川弘之、北杜夫/編、岩波文庫)と読みさしとなっていたアンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア 刻印された時間』(鴻英良/訳、ちくま学芸文庫)を最後まで。

最近、私は幾度も観客の前で発言する機会があった。そして私の映画のなかには象徴もメタフォーもないと私が主張すると、観客は決まってひどい不信感を表明するということに私は気づいた。たとえば私の映画のなかで雨がなにを意味するのかということを、私は幾度も執拗に聞かれた。なぜ雨がどの映画にも出てくるのか、なぜ風や水や火のイメージが繰り返されるのか、というぐあいに。(pp.337-338)

珍しく定時で帰途に就き、帰りがけに「KALDI」でワインを買う。本日届いた『週刊読書人』(読書人)を読んでから遅めの夕食。ハンバーグ、ポテトサラダ、「Soup Stock Tokyo」のえんどう豆の冷たいグリーンポタージュ、麦酒。

Saturday, August 13

サルマン・ラシュディがニューヨークの講演中に刺されたとの報道。台風8号が関東に接近中なので開店時刻にスーパーマーケットに赴いて買いものを済ませる。昼食、豚肉とキムチと茗荷とおくらとしらすと生姜をのせた素麺。昼、映画鑑賞。『黒猫・白猫』(エミール・クストリッツァ/監督、1998年)を見る。八月に太平洋戦争がらみのとってつけたような読書をつづける。加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)を再読。夕食、ローストチキンとマスタード、アスパラガスのバターソテー、ベビーリーフと胡瓜とトマトのサラダ、麦酒。

Sunday, August 14

胃薬と頭痛薬。リビングと本棚の整理整頓は終わったので、寝室とクローゼットの掃除に精を出す午前中。昼食、サーモンのペペロンチーノ。午後は読書。夏の課題図書っぽい読書として、本棚からドストエフスキー『悪霊』(江川卓/訳、新潮文庫)を抜きとる。夕食、白米、玉葱とわかめの味噌汁、鶏の唐揚げ、ベビースピナッチとトマトのサラダ、麦酒。