Saturday, January 8
朝聴いていたラジオ(「RADIO DONUTS」)にサニーデイ・サービスの田中貴が出ていてラーメン本を上梓した話をしていた。タイトルは『ラーメン狂走曲』だそうで、いいね、そうこなくちゃね。もちろん書体も『青春狂走曲』のジャケットに合わせているのね。
図書館とスーパーに行くために外に出る。木曜日に降った雪がまだ鋪道のところどころに残っている。日陰の雪はなかなか溶けない。帰宅後、お昼に夫がラーメンをつくったのだが、朝のラジオの影響だろうか。
外岡秀俊の訃報が伝えられて驚く。外岡さんは、結婚してすぐに夫が『傍観者からの手紙』を勧めてくれて知ったのだった。気品があって骨のある知性にあふれた文章は読んでいて背筋が伸びる思いだった。昨年末の『週刊読書人』には2021年の収穫本として3冊挙げる特集に名前があったし、折にふれお名前を見かけていたので本当に直前まで執筆されていたのだな。もうすぐ出る『月刊みすず』読書アンケート特集にはお名前があるだろうか。きっとあるだろう。みすずの読書アンケート特集は原稿が届いた順に掲載されているらしいのだけど、外岡さんはここ十年間、2019年の号以外はすべて冒頭部分にいるのだ。
夜は、七草粥に、鰹のたたき、漬物、梅干し、ビール。諸般の事情により昨日七草粥ができなかったので、本日七日気分で、七草粥をいただいた。正確には七草鍋かな。お酒を添えるのは七草のコンセプト的にアウトだが、まあよしとする。
就寝前、首の後ろに痛みがはしり、不穏な状況になる。
Sunday, January 9
朝起きると首の痛みは悪化していた。基本的な生活は送れるけれど、上を向く、左右を見る、振り向く、などの動作をすると痛みが走る。ぎっくり腰ならぬぎっくり首だな、と思って検索したらその名称はたしかにあるようだった。湿布を貼って大事にする。今日予定していた美容院はやむを得ずキャンセル。
『ザ・ビートルズ:Get Back』Part 3(ピーター・ジャクソン監督、2021年)を観る。これで全パートを観終えた。多くの人がそうであるように、わたしも普段は取り立ててビートルズが好きだと表明しないもののビートルズのことは本当に大好きで、彼らの表情を見つめ、声を聴き続けたこの6時間超の上映時間は至福の時だった。映画『レット・イット・ビー』ではかなり陰鬱な雰囲気のビートルズが映し出されていると聞くが、今回の映画では4人が楽しそうにセッションしていて微笑ましい場面もいっぱいあって、でも確実に終わりが近づいていることは明らかで、静かに終結に向かっていく時ってこういうものだなというリアリティがあって切なかった。
松浦寿輝『わたしが行ったさびしい町』 (新潮社)を読み終える。よかった。どの章もすべてよかったが
疲れたなというのは子供の頃からずっとわたしの生の常態とも言うべき感覚だったような気がする。しんねりとした倦怠ともつかぬこの疲労から逃れられたためしはかつて一度もなかった、と言ってしまえば大袈裟すぎるか。(p.36-37)
というくだりがとても印象に残った。安易に共感するのもあれだが、素直にこの文言を受けとめるのであれば、わたしも物心ついたときからずっとずっとそうだったからだ。こういうことをしたから疲れたのかな? と要因を考えてはみるのだけど、何か疲れる原因があったわけではない。ただひたすら疲れている。いまでもずっとそうだ、体調がすこぶる良くても、楽しく高揚した気分のさなかであっても。
ちなみにわたしが行った寂しい町はと考えると、ひとつにはハンブルクが挙げられるだろうか。ハンブルクには内アルスター湖という一周散歩するのにちょうどよい人口の湖があって、ハンブルク旅行中、夕暮れ時にそこを散歩した。そのときの茫漠とした寂しい気持ちをいまも覚えているけれど、いまになってその寂しさは増幅されている。2020年1月、わたしたちは厄災に見舞われた(いまも見舞われ続けている)が、その夕暮れの散歩はそのたった8カ月前のことで、あれはこれまであった世界そのものの夕暮れ時だった。
夜は餃子とビール。