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Monday, May 17

朝の音楽、BIALYSTOCKS「リストックス」を聴く。朝食、目玉焼き、ほうれん草とトマトとベーコンのサラダと玉葱ドレッシング、ミルクブレッドとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼食、お弁当。夕食、あんかけ焼きそば、ビール。

曇りのち雨。湿気が鬱陶しい季節の到来。読書。横手慎二『スターリン 「非道の独裁者」の実像』(中公新書)。2014年に図書館で借りて読んだ本をあらためて購入して読了。7年前の日誌を読み返してみたところ、「『フォーリン・アフェアーズ』だかなんだかで、ロシアにおいてスターリンはいまだ一定数の人気があるという論考を読んだ覚えがあるけれど、スターリンなんて悪い奴以外の何者でもないと思ってしまうが、本国での評価は少しちがうのだった。本書は、ロシアの内と外でかなりの温度差のあるスターリン像を踏まえて執筆された、手軽に読める評伝」との感想を記していて、このたびの再読の感触も似たようなものではあるが、スターリンとレーニンを比較してレーニンをもちあげるのは適切ではないとあらためて思う。

Tuesday, May 18

朝の音楽、Millie Turner「Eye of the Storm」を聴く。朝食、目玉焼き、ほうれん草とトマトとベーコンのサラダと玉葱ドレッシング、トーストとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼食、白米、絹ごし豆腐と茗荷とわかめの味噌汁、鶏肉の塩麹蒸し、ほうれん草のおひたし、加賀棒茶。夕食、焼豚とゆで卵と小葱をのせた醤油ラーメン、ビール。

久方ぶりの在宅勤務。本日もまたこれはもはや梅雨なのではと思う天候。夜、映画鑑賞。『美女と液体人間』(本多猪四郎/監督、1958年)を見る。

読書。丸山眞男『政治の世界 他十篇』(松本礼二/編注、岩波文庫)を読んでいる。丸山眞男による現実政治の論評(所謂「夜店」)は切れ味鋭い分析で圧倒される、とはあまり思わないが、いま読んでも有効性は失われていないという不気味さは感じる。有効性が失われていないとは詰まるところ、この世の中に進歩がないということ。

政治は物理的強制を最終的な保証としているが、物理的強制はいわば政治の切札で、切札を度々出すようになってはその政治はもうおしまいである。なぜなら政治がその切札で人間集団を動かすのを止むなきに至ったときは、それは人間の自発性と能動性に自己を根拠づけることを断念したことを自ら告白しているからである。物理的強制は手っ取り早いけれども、その対象の自発的忠誠を確保する事が出来ないから存外に持続性がない。そこで政治権力の把握者は、昔から被治者に対して、むしろ権力の強制的性格を露骨に出すことを避け、政治的支配に対してさまざまな粉飾を施すことによって、被治者の内面的心理にできるだけ奥深く入り込もうとした。強力で支配しているという契機はなるべく出さず、その成員から、できるだけ多くの自発的賛同を調達しようとするのである。(「人間と政治」、p.54)

Wednesday, May 19

朝の音楽、Kalbells「Max Heart」を聴く。朝食、目玉焼き、サニーレタスとトマトとベーコンのサラダと玉葱ドレッシング、トーストとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼食、お弁当。夕食、しめ鯖としらすと生卵と小葱をのせた丼、きくらげと長葱のお吸いもの、たたききゅうり、ビール。

雨ときどき曇り。やや肌寒いが湿度は高い。読書。ひきつづき丸山眞男『政治の世界 他十篇』(松本礼二/編注、岩波文庫)を読む。

彼は職場で機械のベルトのように毎日きまりきった仕事に精根を尽き果し、ヘトヘトになって夜、家庭に帰ります。家庭だけが恐らく人間関係が機械化されないで保たれており、従って彼が「全体性」を恢復しうるまず唯一の場所でしょう。しかし現代人がそこに憩いうる時間というものはほんと僅かしかありません。彼はそこで朝起きたときと、夜遅く仕事を終えて帰ってから、新聞や雑誌類に目を通したり、ラジオをきいたりします。彼の政治や社会に対する考え方、見方は大部分はこの短い時間に得られた「知識」を基にして形成されるわけです。ここにまた問題があります。つまりそうした新聞・ラジオ・テレビといった報道手段は一方ではさりげない見出し・解説のうちに一定の傾斜をつけて読者や聴取者の思考・判断を一定の溝に流し込むと同時に、他方では政治的・社会的事件を興味本位に報道して大衆の関心を瑣末なもしくは私的な問題にそらせ、あるいは消費文化に興味を集中させるなど、いろいろの仕方で大衆の非政治化に拍車をかけています。マス・コミュの恐るべき役割は積極的に一つのイデオロギーを注入することよりも、むしろこうして大衆生活を受動化し、批判力を麻痺させる点にあるといえましょう。「新聞の自由」は民主主義の合言葉となっていますが、実は現代の世の中では「新聞からの自由」−−新聞の見出しや報道の仕方にまどわされずに、その背後の真実を読みとる力−−の方がはるかに実現困難な理想であり、それだけに強調する必要があるわけです。(「政治の世界」、pp.148-149)

Thursday, May 20

朝の音楽、St. Vincent「Daddy’s Home」を聴く。朝食、目玉焼き、サニーレタスとトマトとベーコンのサラダと玉葱ドレッシング、トーストとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼食、お弁当。夕食、新玉葱の炊き込みごはん、鶏肉とレタスと玉葱のスープ、ビール。

読書。自宅の本棚から渡辺守章・山口昌男・蓮實重彦『フランス』(岩波書店)を抜き取って再読。

代々木公園がいま、全面的ではなく一部の区画が囲いに覆われているのを妙だと思っていたら、新型コロナウイルスの感染拡大防止を目的とした囲いではなく、東京オリンピックのためのイベントスペースを構築するための囲いだという。この世には救いようのない馬鹿が存在する。

Friday, May 21

朝の音楽、Chantal Acda「Saturday Monn」を聴く。朝食、目玉焼き、サニーレタスとトマトとベーコンのサラダと玉葱ドレッシング、ミルクブレッドとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼食、お弁当。夕食、白菜とミニトマトのアンチョビパスタ、ビール。読書。古川隆久『昭和史』(ちくま新書)を読む。

Saturday, May 22

朝の音楽、Jorja Smith「Be Right Back」を聴く。朝食、目玉焼き、サニーレタスとトマトとベーコンのサラダと玉葱ドレッシング、ミルクブレッドとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。近所のスーパーマケットで買いものを済ませてから、昼食。白米、油揚げと茄子と小松菜の味噌汁、辛子明太子、はりはり漬け、鰹のたたき、冷奴としらす、加賀棒茶。

読書。尾脇秀和『氏名の誕生 江戸時代の名前はなぜ消えたのか』(ちくま新書)とアン・ケース+アンガス・ディートン『絶望死のアメリカ 資本主義がめざすべきもの』(松本裕/訳、みすず書房)を読む。映画。『正しい日 間違えた日』(ホン・サンス/監督、2015年)を見る。

夕食、ロールキャベツ、ラビゴットソース、赤ワイン。

Sunday, May 23

朝の音楽、Sons Of Kemet「Black To The Future」とCrumb「Ice Melt」を聴く。朝食、目玉焼き、サニーレタスとトマトとベーコンのサラダと玉葱ドレッシング、ミルクブレッドとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼食、焼豚と小葱と生卵をのせた豚骨ラーメン。

読書。山尾悠子『山の人魚と虚ろの王』(国書刊行会)と田中純『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』(岩波書店)。自転車に乗って田園調布周辺まで。大黒堂で買ったソフトクリームを食べてから、くまざわ書店、プレッセ、嵜本、Metzgerei SASAKIで買いもの。

夕食、ローストチキン、トマトとキャベツのブイヨンスープ、ホワイトセロリとサニーレタスのサラダ、紫キャベツとレーズンのサラダ、バゲット、白ワイン。夜、よしながふみ『きのう何食べた?』第18巻(講談社)を読む。