Monday, January 4
胃が凭れてしまったので胃薬セルベールを飲んで朝食はお粥と煎茶の献立にする。昨日『汽車はふたたび故郷へ』(オタール・イオセリアーニ/監督、2010年)を見ながら赤ワインをたっぷり飲んだのがいけなかったと思われる。イオセリアーニの監督する映画では登場人物たちが酒を飲むシーンがやたらとでてくるが、見ているこちらも釣られて飲んでしまう。メディアの及ぼす悪影響である。
朝の音楽、Christiane Karg「Mahler: Lieder」とAnaju「MOOD」を聴く。
本日まで正月休み。自転車に乗って田園調布に向かう。洋菓子店SAVEURでバターケーキとマカロンとサブレを買う。食パン専門店の嵜本でフランボワーズジャムとミルクバターの食パンを買う。宝来公園まで足を伸ばし園内を少し散歩してから、田園調布駅前の施設内にあるマツモトキヨシで日用品を買って、プレッセで調味料やドレッシングを買う。山口晃がコロナ感染を恐れて食品の購入はすべて宅配にしたと『UP』(東京大学出版会)での連載「すゞしろ日記」に描いていたが、食品(に限らずあらゆる商品)は実物を見てから判断したい古風な意識が根強く残っているのでネットスーパーを使う気には未だなれない。アマゾンのプライム会員にもかかわらずアマゾンでの買いものもあまりしない。
まだ胃が本調子に戻らないので買いもの途中にソルマックEX2を購入して飲む。自宅に戻って胃にやさしい昼食。卵とかいわれをのせた温かいうどん、煎茶。SAVEURで買った洋菓子と百塔珈琲の豆で淹れた珈琲をお供に読書。年末に購入した本を消化する。『建築文学傑作選』(青木淳/選、講談社文芸文庫)。青木淳による青木淳悟の小説「ふるさと以外のことは知らない」読解が、建築家らしいとはいえ普通の思考からは泛かんでこなそうな発想で面白い。
『ふるさと以外のことは知らない』の発話者は観察して得た、あるいは入手して得た情報を、ある一定の個性を通して判断し、読者に向かって話しつづけている。その内容からいって知性は高いし、理解力も高い。しかし、この発話者の視点は非現実的で、すべてを知ることができる全能の神になりえる能力があるのに、とつぜん、家庭生活を覗き見る観察者ほどにまで、視野がせばまってしまう。誤謬もおかす。またその視点は、母親、父親、息子の心のなかにも入り込む、と思えば、とつぜん、建築関係の本から得た知識をそのまま語りだす。
発話者は本来は神の視点を持ちえるし、そうであろうとする意志も持っている。しかし、実際にとっている視点は自由に動きまわっているようい見えて、かなり不自由だ。発話者のコントロール下にはない。この家とその近傍からは出ることはないのである。という意味で、たしかにこの発話者は「ふるさと以外のことは知らない」。どう考えても、そんな発話者の視点、生身の人間のそれではない。
では、いったい誰の視点なのか。
それは現代の建築における発注者の視点だ、というのが、とりあえずの答えだ。とくに「公共建築」の発注者の視点。公共建築を発注するのは、形式としては、役所ではある。しかし、本当の発注者は役所ではなく、そこを実際につかう市民である。では、その市民とは誰かといえば、まさか声の大きい人というのでもあるまい。そうではなく、サイレント・マジョリティだ。しかし声なき人は見えない。存在しないに等しい。
『ふるさと以外のことは知らない』は、発話者の視点そして読者の間で、そんな現代の発注者、つまりわれわれの肖像を描いているように思えるのである。(pp.382-383)
夕食、おでん(鶏肉、大根、人参、ゆで卵、昆布、焼き豆腐、はんぺん、つみれ、玉葱揚げ)、きゅうりの糠漬けと白菜の浅漬け、熱燗。radikoのタイムフリー機能で「山下達郎のサンデー・ソングブック」を聴く。宮治淳一との新春放談。好事家同士が愉しそうに語り合うのを聴くと、たとえ語られている固有名についてさっぱりわからなくても愉快な感じがする。
小池百合子に外堀を埋められて不本意であろうが政府は首都圏一都三県に緊急事態宣言を出すことに決めたらしい。緊急事態宣言 is brought to you by 小池百合子。
Tuesday, January 5
午前4時半起床。朝の音楽、Dave Brubeck「Lullabies」を聴く。朝食、目玉焼き、ベビーリーフと紫玉葱とベーコンとトマトのサラダとフレンチドレッシング、トーストとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。
オフィスに出社するか在宅勤務にするかの選択は恣意的なのだが、仕事始めとなる本日は堅い決意をもって在宅勤務とする。正月の挨拶が嫌いなので、あけましておめでとうございますを連呼する光景に巻き込まれるのは避けたい。昼食、白米、おでん(はんぺん、つみれ、人参、玉葱揚げ)、きゅうりと人参の糠漬けと白菜の浅漬け、緑茶。夕食、白米、絹ごし豆腐とわかめの味噌汁、チーズ入りハムカツ、キャベツ、レモン、白菜の浅漬け、ビール。
読書。磯崎新『空間へ』(河出文庫)を読む。昨日読んだ『建築文学傑作選』(青木淳/選、講談社文芸文庫)は、紀伊國屋書店の新宿本店2階の文庫コーナーで探すも見つけられず、在庫検索端末で確認すると4階の建築の棚にあるというので階段を昇って向かうと、平積みで置いてあった。講談社文芸文庫の棚にも挟んであったほうが親切だと思ったがそれはそれとして、『建築文学傑作選』の隣に積んであった『空間へ』にもなんとなく食指が動いて購入するに至り、いま手元でページをめくっている。半分ほど読んで就寝。
Wednesday, January 6
朝の音楽、Kehlani「It Was Good Until It Wasn’t」とChannel Tres「i cant’t go outside」を聴く。朝食、目玉焼き、ベビーリーフと紫玉葱とベーコンとトマトのサラダとフレンチドレッシング、トーストとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。
昨日にひきつづき今日も曇天。読書。磯崎新『空間へ』(河出文庫)を最後まで読む。
都市の計画が、完成予想図といったスタイルから脱皮して、現実の変化に対応しながら展開する動的システムを内包すること、それがかりに未完成の都市予想図であったとしても、結果として新しい意味をもつかもしれない、というすべての計画のもつ現実と非現実の境界条件のようなものもまた、この全計画をながめることによって発見できるかもしれないという気がしている。(「スコピエ計画の解剖」、p.398)
昼食、お弁当。夕食、キャベツとトマトのクリームチーズパスタ、ビール。夜、溝口健二の映画を二本見る。『祇園の姉妹』(1936年)と『雪夫人絵図』(1950年)。世界中のシネフィルから絶賛される溝口映画だが、湿り気のある水分多めの作品群が少し苦手で溝口作品を見るたびに乾燥した映画が好きなのだと再認識する。溝口より乾いた小津のほうを好む。
Thursday, January 7
朝の音楽、Kronos Quartet And Friends Celebrate Pete Seeger「Long Time Passing」を聴く。朝食、目玉焼き、ベビーリーフとベーコンとトマトのサラダとフレンチドレッシング、トーストとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。
緊急事態宣言が発令されるらしい本日、通勤電車内での読書として選択したのはプルースト『失われた時を求めて』(吉川一義/訳、岩波文庫)の第8巻。世の中が喧しい時にはやや浮世離れした感じの読書がちょうどよい。ドレフュス事件について延々と語る『失われた時を求めて』は実際のところ浮世離れした小説では全然ないけれども。
昼食、お弁当。夕食、七草粥というか七草と鶏肉としらすを入れた雑炊、白菜の浅漬け、ビール。
新型コロナウイルスの感染者数が一挙に増大し、感染爆発を免れていた日本の特異性を都合よく解釈する言説を、蹴散らかすかのようなウイルスの快進撃がつづいている。近藤聡乃『ニューヨークで考え中』(亜紀書房)の第3巻にあれよあれよという間に感染が拡大するニューヨークについてふれたくだりがあり、おなじような事態が東京でどうして起こらないのだろうと不思議だったが、それ相応の感染者数に達すれば指数関数的に増加する単純な算数の話なのだろうか。
日本国内の混乱はさておき世界的な報道のトップはなんといってもトランプ支持者によるアメリカ連邦議会議事堂の占拠である。死人も出たとのことだが一体なんなんだあれは。命懸けのコントのようである。その光景は「風雲!たけし城」っぽいとの指摘がSNSであったようで成程と思う。合衆国憲法修正第25条を読み返す。
Friday, January 8
朝の音楽、Mary Halvorson’s Code Girl「Artlessly Falling」を聴く。朝食、目玉焼き、ベビーリーフとベーコンとトマトのサラダとフレンチドレッシング、バゲットとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。
去年4月の時もそうだったが緊急事態宣言の発令時は無駄に仕事が忙しく、緊急事態宣言など心底どうでもよい境地になる。行きも帰りも昨日までとさして変わらない通勤電車の乗客数。はたして「緊急事態」とはなんだろうか。会社から帰ると郵便受けにNHK受信料の案内が届いていたが、放送法64条1項に該当する受信機を所有していないので案内の封書はその場で破棄する。
夕食、ハムとほうれん草をのせたとんこつ塩ラーメン、ビール。クリス智子の番組「GOOD NEIGHBORS」(J-WAVE)に表参道のスパイラル5階にあるミナ ペルホネンのcallで働く小畑滋子という84歳の女性が出演していて、その話が興味深いというのでradikoのタイムフリーで聴く。若い頃から本とファッションが好きだったという彼女の人生はさまざまなエピソードに溢れていそうで、勿体ないので文章としてまとめればよいのにと思った。
Saturday, January 9
朝の音楽、Mipso「Mipso」を聴く。朝食、目玉焼き、ほうれん草のオリーブオイルソテー、トマトとイタリアンドレッシング、トーストとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。
Yahoo!ニュースを閲覧していたら、アメリカでチャプレン(病院勤務の聖職者)の職に就く日本人牧師についての記事を見つけて、写真の牧師の顔に見憶えがあると思ったら去年読んだ室橋裕和『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』(辰巳出版)に登場する、新大久保の教会にいた牧師の人だった。記事を書いているのも著者。本のなかではアメリカに旅立つところでエピソードは終わっていたので、『ルポ新大久保』の後日談のような内容として目をとおす。
自転車に乗って田園調布まで。月曜日と似たようなルートを辿る。洋菓子店SAVEURでクリームケーキとバターケーキを買う。SAVEURを紹介している昨年末に刊行された『POPEYE』(マガジンハウス)のガールフレンド特集を見返していたら、別のページで葛飾区の水元公園で撮影をしており、公園の紹介文としてつぎのような文章が添えられている。
最寄りは千代田線直通の金町駅だから、道中に表参道の『APOC』でパンケーキをテイクアウトするのもいいね。
この原稿、もしも新潮社の校閲に提出したら、表参道でテイクアウトしたものを携えて公園に向かうとすれば常識的には代々木公園で済ませるのではと指摘を受けそうである。
田園調布のプレッセに立ち寄って食料品を買って帰る。帰宅後、最寄りの図書館に向かって本の返却と貸し出し。昼食は、negombo33監修のラムキーマカレー。紫玉葱とミニトマトを添える。昼食後、珈琲とケーキと読書。マーカス・デュ・ソートイ『レンブラントの身震い』(新潮社)を読む。人工知能をめぐるサイエンス・エッセイ。向田邦子『海苔と卵と朝めし 食いしん坊エッセイ傑作選』(河出書房新社)を読む。スパイラルで開催予定の向田邦子の展示はどうなるのだろうと確認したら現地開催のイベントの類はすべて中止になっていた。
ドナルド・トランプのtwitterアカウントが凍結されたとのこと。twitterをみずからの言論発表の主要の場としているのがそもそも妙であって、トランプは「まだ」大統領なのだから記者会見を開いて云いたいことをいえばよいだけなのだが。ところでトランプがらみで菊地成孔のトランプ支持の文章が槍玉にあがっているようだが、トランプが大統領選挙で勝利したとき既にTBSラジオ「粋な夜電波」で「でもね〜、私トランプのことが好きなんですよ〜」と言っていたと思うので今更なんの話をしているのかと思う。
夕食、ローストチキンとディルとレモンとディジョンマスタード、キャベツと玉葱のコンソメスープ、サニーレタスと紫玉葱とトマトのサラダとイタリアンドレッシング、シメイホワイト。
Sunday, January 10
朝の音楽、Kirk Lightsey & Rudolph Johnson「Habiba」を聴く。朝食、目玉焼き、サニーレタスとトマトとベーコンのサラダとフレンチドレッシング、トーストとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。
近所のスーパーで食料品の買いもの。近所に一応の徒歩圏内としてスーパーは東急ストアとオオゼキとライフがあるのだが、東急カードのポイントに引き摺られてここ最近の買いものはずっと東急ストアである。東急資本のポイントサービス戦略に絡め取られている。近所のドラッグストアで日用品の買いもの。近所に一応の徒歩圏内としてドラッグストアはマツモトキヨシとココカラファインがあるのだが、LINE登録で10%オフのお知らせが頻繁に届くのに引き摺られてここ最近の買いものはずっとマツモトキヨシである。
買いものを終えたら終日自宅にて。昼食、辛子明太子のおにぎり、油揚げと絹ごし豆腐とキャベツの味噌汁、九条葱と大根の漬物、加賀棒茶。映画。『エル・スール』(ビクトル・エリセ/監督、1983年)を見る。読書。ジェイムズ・ワイリー『ナチの妻たち 第三帝国のファーストレディー』(大山晶/訳、中央公論新社)を読む。夕食、ビーフストロガノフ、ブルーチーズ、ビール。