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Monday, June 1

朝の音楽、Marty Holoubek「Trio I」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、ベビーリーフとイタリアンドレッシング、トマト、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、お弁当。晩ごはん、鶏肉とキャベツと玉葱とトマトのコンソメスープ、白ワイン。

小雨が降る。梅雨の気配。

ゆくえが気になっていた東京国立近代美術館の「ピーター・ドイグ展」は10月まで会期が延長された。とはいえ、新型コロナウイルスの再流行がいつきてもおかしくないので、悠長に構えず早めに訪れたいところ。

読書。ジョルジュ・バタイユ『宗教の理論』(湯浅博雄/訳、ちくま学芸文庫)を再読する。『みすず』6月号(みすず書房)が届く。本日から図書館の予約受付が可能となり、納めている住民税の元をとる吝嗇的精神で地域の図書館を利用している身として、制限冊数限界まで予約する。

夜、映画鑑賞。『第四の核』(ジョン・マッケンジー/監督、1986年)を見る。

クリスト・ヴラディミロフ・ジャヴァチェフの訃報を知る。

Tuesday, June 2

朝の音楽、Mourning [A] BLKstar「The Cycle」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、ベビーリーフとイタリアンドレッシング、トマト、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、お弁当。晩ごはん、ざる蕎麦、生姜とかいわれをのせた冷奴、あおさのお吸いもの、麦酒。

読書。中平卓馬『なぜ、植物図鑑か』(ちくま学芸文庫)を読む。映画。『けだもの組合』(ヴィクター・ヒアマン/監督、1930年)を見る。

Wednesday, June 3

朝、背中に激痛が走り、身悶える。この場所に日々の記録を書き残すことに実利があるとはさして思えないが、過去の病気を振り返る際には役に立つ。じぶんの日誌を「背中 激痛」で検索すると、複数件ヒットする。あまりに痛いので会社を休む。

夕方、バーンスタインとベルリンフィルによるマーラーの交響曲第9番を聴きながら、読みさしだったクロード・シモン『フランドルへの道』(平岡篤頼/訳、白水社)を読む。

晩ごはん、白米、キャベツとわかめの味噌汁、卵焼きとかいわれ、焼き魚(鯵のひらき)、レモン、緑茶。

Thursday, June 4

朝の音楽、græ「Moses Sumney」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、お弁当。晩ごはん、蒸し餃子、わかめスープ、麦茶。

会社帰りに無印良品で日用品を買う。読書。長尾龍一『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』(講談社学術文庫)を読む。映画。『静かなる対決』(エドウィン・L・マリン/監督、1946年)を見る。

Friday, June 5

朝の音楽、Kamasi Washington「Becoming」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、お弁当。晩ごはん、アボカドとトマトのパスタ、チーズ(フロマージュ・ブラン)、サンペレグリノ。

朝から暑いので、自宅から駅までの道のりはサマージャケットを手にもっての通勤。読書。伊藤俊治『20世紀写真史』(ちくま学芸文庫)を再読する。雑誌でもソーシャルメディアでも日常のなかでのストーリーを感じさせる写真に遭遇する機会があると、本書の以下のくだりをときどき思い出す。

戦後の『ライフ』誌の新しいヒューマン・ドキュメントの方向を示す傑作といわれ、フォト・ストーリーの重要な転機になったロバート・マッコムの作品は、広告関係の仕事で社会へ出ようとするニューヨークの女子大生の日常生活の喜怒哀楽を親密な眼差しで追ったものであるが、物語性が強く、物語が写真の選択や構図まで強く支配してしまっていたといっても過言ではない。戦時中はロンドン爆撃やノルマンディ上陸作戦などの戦争写真の名作を撮り、第二次大戦という砥石の上で才能を磨いたマッコムが、戦争が終り、誰もが普通の生活に戻りたいと思うような風潮のなかで、平凡な若い一女性にスポットをあてたことは象徴的なことであり、劇的な一瞬や史的な事件ではなく、日常への眼差しが戦後まもない頃からすでに用意されていたことがわかる。ただフォト・ストーリーはあくまでストーリー・テリングに支えられた日常への眼差しであり、日常をドラマ化する写真家の手腕や編集者の技術に大きなウェイトが置かれていたことを忘れてはならない。こうしたケースが高じると、ささやかな平凡な人々の日常さえも歴史ドラマのようになった。写真は物語ることを要求され、あらゆる事象が写真で物語化されることを求められた。見ることは写真家の視覚的行為から始まるのではなく、物語のシステムから生みだされ、見ることの経験はその過程で変色し、逆転することさえあり、生の人間が見ることではなくなってしまう。見ることは意味以前の行為ではなくなる。記録は外にある対象を写しとめるというより、記録のなかに対象を構成することになる。世界に参入するのではなく、世界を見られる形につくりあげてしまう。「見せること」を主とするフォト・ジャーナリズムは、記録が記録する側と世界との相互性を含んでいるという事実を無効にし、記録する者と世界との関係から生まれたものが物語になるというのではなく、記録する者と世界が無意識的な物語のフレームのなかでつくられてしまうといった状況を生みだすことになる。

Saturday, June 6

朝の音楽、Sondre Lerche「Patience」を聴く。朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。

外出。山手線に乗って恵比寿へ。ひさかたぶりの美術館探訪。東京都写真美術館で「写真とファッション 90年代以降の関係性を探る」と「森山大道の東京 ongoing」を見る。美術館再開後の最初の週末なのでそれなりに混雑するかと思ったら、意外とそうでもなかった。新型コロナウイルス感染拡大防止のためそれ相応の厳戒態勢といった風情だったが、こんなことをずっと続けるのは無理があるのではと思う。NADiff BAITENで「写真とファッション」展のカタログを買う。

恵比寿三越のLa Cucina Feliceで、会社で飲むためのインスタントコーヒー(INIC coffee)を買ってから、恵比寿から渋谷まで電車移動。タワーレコードでフリーペーパー『intoxicate』を入手する。タワレコの入口で検温を実施していたが、前にいたおじさんは店員に「何度だった?」と訊いていた。渋谷スクランブルスクエアに移動して、買いもの。紀ノ国屋で一保堂茶舗のお茶を、青山フラワーマーケットで花瓶とバラの花を買う。渋谷ヒカリエのIDÉE SHOP VARIÉTÉでバブーシュを買う。

帰宅してから遅めの昼ごはん。鶏ハムとグリーンリーフとチーズのサンドイッチを食べながら、ジョナス・メカスの短編を三本見る。『Travel Songs』(1981年)、『Happy Birthday to John』(1995年)、『This Side of Paradise』(1999年)。じぶんの行動記録を確認すると、『This Side of Paradise』は2017年12月に駒込のときの忘れもので一度見ていた。

晩ごはん、ベーコンと茄子とピーマンのパスタ、サンペレグリノ。

Sunday, June 7

朝の音楽、原摩利彦「PASSION」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、鶏ハムとサニーレタスとチーズのサンドイッチ、とらやの羊羹、珈琲。晩ごはん、白米、しらす、小松菜と茗荷の味噌汁、焼き魚(かます)、冷奴とかいわれ、緑茶。

ひさしぶりの図書館で予約本の貸出手続き。ぜんぶで単行本9冊の大荷物になる。自宅までの帰り道の途中、花屋に立ち寄る。芍薬とガーベラを買う。スーパーでの食材の調達を済ませて、午後はラジオと読書。沢木耕太郎『旅のつばくろ』(新潮社)と『沢木耕太郎セッションズ〈訊いて、聴く〉 I 達人、かく語りき』(岩波書店)を読む。