495

Monday, May 4

朝の音楽、Amina Claudine Myers「Salutes Bessie Smith」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、トマト、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、鮭と昆布のおにぎり、ほうれん草と絹ごし豆腐の味噌汁、しば漬け、緑茶。晩ごはん、春巻き、蛸とかいわれ、麦酒。

雨のち曇り。予定のない連休は、レコードと読書と映画で過ごす。読書。市野川容孝『社会』(岩波書店)、中井久夫『関与と観察』(みすず書房)、山田宏一『映画この心のときめき』(白川書院)を読む。映画。『満月の夜』(エリック・ロメール/監督、1984年)、『地球の静止する日』(ロバート・ワイズ/監督、1951年)を見る。

「人間は孤独でもありえず、社会的でもありえない厄介な動物である」というのは、バートランド・ラッセルの警句であるが、ほとんどすべての人が思い当たるフシをもつであろうこの警句の底にあるものは、あるいは、われわれの自己の中に「他者」が矛盾を醗酵させるパン種のように仕込まれていることによるのではあるまいか。(中井久夫『関与と観察』)

Tuesday, May 5

朝の音楽、Arthur Verocai「Arthur Verocai」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サニーレタスとイタリアンドレッシング、トマト、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、ピザ、ポテトチップス、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、白ワイン。晩ごはん、白米、玉葱と小松菜の味噌汁、キムチと小葱と豚肉の炒めもの、麦酒。

本と映画。村上春樹『遠い太鼓』(講談社文庫)を読む。『天使の入江』(ジャック・ドゥミ/監督、1963年)を見る。

Wednesday, May 6

朝の音楽、Ben Williams「I Am A Man」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サニーレタスとイタリアンドレッシング、トマト、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、ざる蕎麦、絹ごし豆腐とかいわれ、緑茶。晩ごはん、白米と生卵と醤油、レタスとトマトの中華風スープ、焼売、春巻、麦酒。

本と映画。リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』(柴田元幸/訳、みすず書房)を読む。『悲愁』(ビリー・ワイルダー/監督、1978年)を見る。

いつもより長めの近隣散歩から戻り、音楽を聴いて本を読んで映画を見て食事をとる。その生活に不満があるといえば我儘との謗りを免れないかもしれないが、どうにも物足りなさは残る。東京の街を歩きたい。田舎で暮らすことのできない都市生活者であることを自覚する。

夜、この世の終わりのような激しい雷雨。アウグスト・ザンダーの写真集を眺める。Schirmer/Mosel社の刊行したぶ厚い写真集で、書架にあるなかで一番重い本。

Thursday, May 7

朝の音楽、Anja Garbarek「Smiling and Waving」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サニーレタスとわさびドレッシング、トマト、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、ソーセージとキャベツのパスタ、炭酸水。晩ごはん、鱈とガーリックのソテー、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、豚肉の赤ワイン煮込み、ミルクブレッド、赤ワイン。

本と映画。堀江敏幸『バン・マリーへの手紙』(岩波書店)、蓮實重彦『映像の詩学』(筑摩書房)を読む。『アンティゴネー』(ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ/監督、1992年)、『家族の肖像』(ルキノ・ヴィスコンティ/監督、1974年)を見る。

Friday, May 8

朝の音楽、Anthony Naples「Fog FM」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とわさびドレッシング、トマト、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、赤パプリカとレタスのレモンパスタ、炭酸水。晩ごはん、豚挽肉と長葱の蒸し餃子、麦酒。

映画鑑賞。『地球最後の男』(ウバルド・ラゴーナ、シドニー・サルコウ/監督、1964年)と『奇跡の丘』(ピエル・パオロ・パゾリーニ/監督、1964年)を見る。

Saturday, May 9

朝の音楽、Kraftwerk「Autobahn」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サイーレタスとイタリアンドレッシング、トマト、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、焼豚と茹で卵と小葱をのせたとんこつラーメン、炭酸水。晩ごはん、ソーセージ、鱈のソテー、サラダほうれん草、白ワイン。

本と雑誌と映画。鴨居羊子『カモイクッキング』(ちくま文庫)、料理特集の『POPEYE』(マガジンハウス)を読む。『夜』(ミケランジェロ・アントニオーニ/監督、1961年)を見る。

日本語の書名を見ただけでとても読む気にはなれないなと思ったパオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』(飯田亮介/訳、早川書房)をめぐって、山形浩生が批判的に論じている文章を読んだ [1]。だいたいその通りだとは思うが、ひとつ、ポストモダン思想の影響力を過大評価して叩き落とす山形浩生の鉄板ネタは、現在でもなおごく一部の人びとに対しては意味のある指摘なのかもしれないが、もう聞き飽きました感あふれる。シェフのお気に入りの献立のようで、ことあるごとにメニューにぶち込んでくるのだが、食べるこちらはいささか食傷気味である。

Sunday, May 10

朝の音楽、Kraftwerk「Radio-Activity」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サイーレタスとイタリアンドレッシング、トマト、あんバタートースト、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、アボカドとトマトのパスタ、晩ごはん、白米、茗荷とわかめの味噌汁、豚肉の冷しゃぶ、茄子とパプリカの揚げもの、ブロッコリー、麦酒。

本と映画。『作家の仕事部屋』(ジャン=ルイ・ド・ランビュール/編、岩崎力/訳、中央公論社)を読む。『緑の光線』(エリック・ロメール/監督、1986年)、『快楽の漸進的横滑り』(アラン・ロブ=グリエ/監督、1974年)を見る。

SNSから遠く離れて暮らしていたところ、twitter界隈で「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグが乱舞していると教えてもらう。早速話題の法案(「国家公務員法等の一部を改正する法律案」)に目をとおしてみると、定年延長に関してのずいぶんとテクニカルな内容が書かれており、抗議するもなにも複数人の専門筋の見解を並べて吟味しないとよくわからんぞと思っていたら、ハッシュタグの付与されたツイートがどんどん拡散されている。なかには日本の三権分立が危うくなるという、いったいどう読めばそんな解釈が成立するのか不思議な言明も登場していた(日本において三権分立は機能しているのかというそもそも論であれば共鳴するけれども)。該当のハッシュタグが膨らみつづけている光景をまえに、日本のtwitter住人は迅速に法律文書を読みこなしたうえで的確に解釈のできる有能な人たちの集まりだということが実証された、というのは意地の悪い嫌味でしかないが、視野狭窄のなかで瞬発的に反応してしまいがちなtwitterのあまりよくない面がでている。陰謀論まがいの雑な抗議をしても負け戦でしかないと思うが、もっとも、この現象自体が無意味というわけではない。法案自体の是非というより、これまでの安倍政権への不信感の反映と見たほうが正確だろう。

ところで、このたびの通常国会に提出されている法案で、「地域における一般乗合旅客自動車運送事業及び銀行業に係る基盤的なサービスの提供の維持を図るための私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の特例に関する法律案」というのがあって、すごい日本語だと感心する。地方のバス事業者や銀行の合併に関して独禁法の特例を定めるということだが、こう簡単にいえる話をこんな文章に仕立てあげるのは特殊技能がないとできない。

  1. コロナを前にしたインテリの自己矛盾 []