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Tuesday, April 26

朝、ホテルで朝食。朝食は卵料理をリクエストできるので、目玉焼きを注文する。

外は晴れて、初夏のような陽気。ホテルに近い地下鉄の駅(Weinmeisterstraße)から電車を乗り継いで、ジャンダルメンマルクト広場に向かう。北側にフランス教会が、南側にドイツ教会が建ち、そのあいだにはカール・フリードリヒ・シンケルが設計したギリシア風の建造物が鎮座している。現在は音楽堂として使われているらしい。建築家シンケルの名前は、谷口吉郎『雪あかり日記/せせらぎ日記』(中公文庫)を読んで、記憶として刻み込まれた。第二次世界大戦の開戦直前にベルリンを訪れた建築家の記録を読み返す。

十九世紀のプロシャ時代といえば、カントやヘーゲルの名とともに、フィヒテ、シェーリング、ランケなどの名前が頭に浮かんでくる。今、私の目の前に立っている石像のフンボルト兄弟も当時のプロシャ文化を代表する碩学として世界にその名を知られている。
同時に、建築家シンケルの名前もまた、それらの哲学者と同じく、ドイツ文化史上にその名を高く認めれられている。ことに、ベルリンではこの建築家の名前は市民の誇りであった。
事実、今のベルリン市は、その中央部にある主な建築の多くを、この十九世紀初期の建築家シンケルによって設計されていた。さらに、今なお彼の設計によって工事を継続しているものさえある。だから、今のベルリン市が世界に誇る都市となり、その外観に特有の性格を発揮するに至ったのは、多分に、シンケルの抱いていた古典主義の意匠心によるものといわねばならない。
なお、その後、二十世紀に至って、ドイツが革新的な建築運動の中心地となり、世界に広くその影響を及ぼすに至ったのも、十九世紀に、そのシンケルが古典主義を主張していたからだといい得る。さらに、ナチスの今日に至って、「第三帝国の様式」というギリシャ様式の復古的建築が強い主流となり、それによって、建築のみならず、絵画、彫刻、工芸を一丸として、新しい様式樹立のため、政治力が活潑に動きだすに至ったのも、既に十九世紀に於て、このシンケルが古典主義の美意識を主張し、それによってギリシャ的なものとプロシャ的なものを、しっかりと結びつけたためといわねばならぬ。

すこし歩いてベーベル広場へ。空っぽの本棚を見学。観光初日からベルリンのだだっ広さにおののく。ベルリンを紹介するガイドブックに久保田由希『歩いてまわる小さなベルリン』(大和書房)があるが、あまりに巨大な街をまえにして、とても歩いてまわれる気がしない。

フンボルト大学の前まで来て、予定より時間を余したので、バスに乗ってブランデンブルク門に向かう。平日の朝だが観光客だらけ。ふたたびバスに乗って元の場所に戻り、ノイエ・ヴァッヘ(Neue Wache)を見学する。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世により衛兵所として建築されたもので、こちらもシンケルの設計。



つづいて、すぐそばにあるドイツ歴史博物館(Deutsches Historisches Museum)へ。受付でベルリンの主要な美術館・博物館を期間限定で見学できるミュージアムパスを購入。ドイツ歴史博物館はそれなりに大きな博物館ですべてを見てまわる余裕はないので、関心のある19世紀後半から20世紀の展示を中心に見学する。

ミュージアムの集中する博物館島へ。一部工事中のベルリン大聖堂と旧博物館(Altes Museum)を横目に見ながら、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの作品が充実している旧国立美術館(Alte Nationalgalerie)へと向かう。ここはドイツなのに、2階の展示室の中央に鎮座するのが19世紀フランス印象派の作品群だというのが、ドイツは絵画の国ではないことを象徴しているかのよう。この美術館でユダヤ系のドイツ画家レッサー・ユリィ(Lesser Ury)の存在を知る。好みの絵だったので日本で展覧会をやってほしい。



つづいてお隣のペルガモン博物館に向かうも大行列で、いつになったら入場できるかわからない状況だったのでパスする。ギリシャ、ローマ、ヘレニズム、イスラムの美術品を展示している観光客に大人気の名所で、個人的にはあまり関心の湧かない分野なので当初は予定から外していたのだが、谷口吉郎が詳しく書いていたのですこし興味をおぼえて行ってみようと思ったら実現ならず。ちなみに谷口吉郎によれば、1930年代末の冬、雪の舞う朝は、博物館は空いていたとのこと。

ボーデ博物館(Bode-Museum)を訪れる。館内に素敵なカフェがあるというのでそこを目指す。松永明子『ヨーロッパ最大の自由都市 ベルリンへ』(イカロス出版)によれば「いつも空いていて、穴場」とあり、半信半疑で向かったところ本当に数名のお客しかいなかった。昼どきなのに。ソーセージとサラダと珈琲を注文する。食事もサービスも別に悪くないし、いい空間だし、なんでいつも空いているのだろう。


ボーデ博物館の内部をざっと見学してから、川沿いを歩いて帝国鉄道防空壕(Reichsbahnbunker Friedrichstraße)へ。戦時中に防空壕として建造された重々しい巨大な建物は、現在ボロス・ コレクションという名の現代アートを展示する空間となっている。Freunde von Freundenというサイトでボロスさんの自宅が紹介されているのを数年前に見ていて、すごい家だなと感服していたのだが、このたびの旅の計画の最中に、自宅の下の階がギャラリーとなっていて見学できることを知った。ウェブで事前予約して、約1時間半かけてまわる英語解説ツアーに参加。


トラムに乗ってアートギャラリー(Michael Fuchs Galerie)の入っている旧ユダヤ人女学校(Ehemalige Jüdische Mädchenschule)へ。建物が素敵な場所。1階にあるレストランPauly Saalは、このあいだ藤原ヒロシがラジオで勧めていて、きっと美味しいのだろうがお高い店なのでスルー。

夜はまた出掛けるので、いちどホテルに戻って、ラウンジでサンドウィッチとサラダを食べる。見知らぬ土地で中途半端な時間にちょっとした食事のできる店を探すのはめんどうで、かといってスーパーで買ったものを部屋で食べるのも侘しいというわがままな要望に、このホテルは応えてくれる。ベルリンの街を見晴らせる最上階のラウンジで、いつでも簡単に食事ができる。しかもおいしい。Casa Camperはバルセロナとベルリンにあるようだが、世界中の都市につくってほしい。

地下鉄を乗り継いでポツダム広場へ。ショッピングセンター(MALL OF BERLIN)の中をすこし見てから、ソニーセンターを横目にベルリン・フィルハーモニーに向かう。クラシック音楽鑑賞である。事前にベルリンフィルのWebページで注文すると、送料無料でチケットが自宅に送られてくる。本日はThe Varian Fry Quartetの演奏で、演目はメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第5番とシューベルトの弦楽五重奏曲。一日中くたびれるほど歩きまわってからのクラシック音楽とは睡魔との闘いのようなものだが、前から二列目の席で演者に近いので眠るわけにはいかない。前の席のドイツ人のおじいさんは途中からうとうとしていたけれど。上演後、割れんばかりの拍手で盛りあがる。

すっかり日が暮れた夜、ホテルに戻ってラウンジでビールを飲む(アルコールは有料)。