422

Monday, January 21

会社からの帰り道、煌々と輝く月が夜空に浮かんでいる。満月。

読みさしだった、港千尋『風景論 変貌する地球と日本の記憶』(中央公論新社)を最後まで。

欧米発の喧しい絶滅論はひとまず措くとして、気候変動期の風景を個別の現場で観察すればするほど、ひとつの疑問が頭から離れなくなる。それは少なくとも最初の都市国家が成立して以降、すなわち「文明世界」と呼ばれる時代が始まって以降の社会は、相対的に安定した気候を前提にして作られてきたのではないかということである。もしそうならば、近代以降の国民国家を単位にした政治と経済の制度は、あくまで安定期の思想に基づいたものであり、現在到来している変動期にはとても対応しきれないものかもしれない。異常気象という言葉に惑わされがちだが、変貌する自然の側に立ってみれば、異常なのは近代の政治と経済の制度のほうなのかもしれない。

ビートルズのオリジナルアルバムを順繰りに聴いている。本日で完遂。「Yellow Submarine」と「Abbey Road」と「Let It Be」。スピーカーに耳を傾けながら、東急線沿線のフリーペーパー『SALUS』を読む。特集は日本茶。

夜ごはん、ちらし寿司、セリとたまごのお吸いもの、麦酒。『MONOCLE』2月号が届く。

Tuesday, January 22

DaughterのボーカルElena Tonraによるソロ・プロジェクト「Ex:Re」を聴く。

夜ごはん、うなぎの蒲焼き丼、小松菜と豚肉のスープ、れんこんの煮物、クンチョビとかいわれ、ビール。東京メトロ各駅で配布されている『メトロミニッツ』(スターツ出版)を読む。特集は「仕事のおやつ」。

Wednesday, January 23

Inara George「Dearest Everybody」を聴く。

午前9時から午後5時まで、途中1時間の昼休みを挟んでずっと会議。疲れる。昼ごはんは会社ちかくの寿司屋で。

夜ごはん、白米、油揚げとほうれん草の味噌汁、焼き魚(カレイ)、しらす、クンチョビとかいわれ、麦酒。

Thursday, January 24

冷たい風が吹く。

ジョナス・メカス死去の報せ。アニエス・ベーの映画レーベルによるメカス作品のDVDボックスセットがあるので、いますぐ自宅で追悼上映を実施することもできるのだが、それはまた後日にして、『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』(2011年)だったかで、赤ワインのそそがれたグラスを手にしながらエイミー・ワインハウスのことを絶賛していたメカスの姿を想い起しながら、彼女のアルバム「Back to Black」に針を落とす。

夜、『リアリティのダンス』(アレハンドロ・ホドロフスキー/監督、2013年)を見る。ホドロフスキーの映画はふつうの役者は断りそうな役柄ばかりなので、どのようにキャスティングをしているのか気になる。

Friday, January 25

Miguel Baptista Benedict「Super(b)-Child-Ran」を聴く。

今週ずっと読んでいたアリ・スミス『両方になる』(木原善彦/訳、新潮社)と岡崎乾二郎『抽象の力 近代芸術の解析』(亜紀書房)を読み終える。

夜ごはん、鶏肉とキャベツと玉ねぎのコンソメスープ、麦酒。

Saturday, January 26

冬本番の寒さ。近所への用事(買い物と図書館)以外は、暖房の効いた部屋に引きこもる。外は寒いけれど、晴れた冬の日差しが窓からさし込んでくるので、部屋のなかは穏やかな空気がつつむ。Leonardo Marques「Early Bird」を聴く。

沼野恭子『ロシア文学の食卓』(NHK出版)、山内聡彦『ロシア現代史再考 ソ連崩壊から読み解く大国の真相』(東洋書店新社)、オヤマダアツシ『ロシア音楽はじめてブック』(アルテスパブリッシング)を読む。

夕方、自宅シネマ。ジョナス・メカス『リトアニアへの旅の追憶』(1972年)を見る。ひさかたぶりに見返してみて、ニューヨークとリトアニアの映像は覚えていたが、映画の終盤でメカスがウィーンに赴くことをすっかり忘れていた。

夜ごはん、鮪の海鮮丼、味噌汁、麦酒。

Sunday, January 27

ミシェル・ルグランの訃報をうけて、『ロシュフォールの恋人たち』のサウンドトラックを聴く。

自宅の本棚にあるジョナス・メカス関連の本をピックアップする。ジョナス・メカス『フローズン・フィルム・フレームズ 静止した映画』(木下哲夫/訳、河出書房新社)を再読。初読時には意識にのぼらなかったが、このたび読み返してみて、「通訳=横田佳世子」とか「構成=松浦泉」とかの固有名に目がいく。

夜ごはん、白米、おでん、豚肉と白菜の蒸し煮、麦酒。