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Tuesday, January 1

午前5時に鳴った目覚ましのアラームを無視して1時間後に起きる。白湯を飲み、去年のリッカルド・ムーティ指揮によるウィーンフィル・ニューイヤーコンサートをSpotifyで聴く。晴れ。窓から射しこむ太陽の光が眩しい。鈴木理策の写真集『Water Mirror』(Case Publishing)をめくる。

御節、雑煮、熱燗。味の濃い正月料理を食べて満腹になった途端、御節にたいする食傷が訪れる。もうふだんの食生活に戻りたい気分になりながら、どれだけ食べれば気が済むのかと思う吉田健一の文章のことを思い出す。去年の正月にも引用した文章をふたたび。

お正月は何といっても、飲んで食べて過すのに限る。年末も勿論であるが、例えば、年が改れば、酒屋もまた気を入れ換えて貸してくれるという特典がある。年末年始にかけては、食べることになっているものもいろいろあり、これは全部食べるとして、その他にも個人的に趣向を凝らさなければならない。今住んでいる家の近くの通りに鰻屋があり、その少し先の向う側が酒屋で、酒屋からちょっと先が中華料理屋、その向う側が蕎麦屋、また反対側に渡って少し歩くと鮨屋がある。西洋料理だけがないのが残念であるが、中華料理屋に頼むと豚カツにメンチボール位は作ってくれる。

外出。富士山をのぞむ青空の下を歩いて近所の神社まで。頭痛がするのでロキソニンを飲む。ロキソニン初め。

自宅に戻って映画観賞。『コンチネンタル』(マーク・サンドリッチ/監督、1934年)を見る。フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースの映画。例によっていい加減な脚本と素晴らしい踊りを堪能する。

大晦日から正月にかけてアダム・スミス『国富論』(大河内一男/監訳、中公文庫)を読んでいる。全3巻ある長い本なのでまだ途中。初読のときにも感じた印象だが、『国富論』は「論」というよりも「スミスおじさんの語る経済学のお話」といった趣で、中公文庫版の訳文の読みやすさもあって、経済学の古典にとっつきにくさはない。しかしこのおじさんの話はものすごく長い。

クリスティアン・ティーレマン指揮によるウィーンフィル・ニューイヤーコンサートをラジオで聴く。映像を見れないものかとオーストリア放送協会のウェブサイトにアクセスしてライブ映像のページをひらくも、日本からではアクセス制限がかかって視聴できず。演奏に耳を傾けながらの夕食。牛肉のバルサミコ酢ソテー、グリーンリーフとトマトとレモンのサラダ、バゲット、シャンパン。

岸政彦・北田暁大・筒井淳也・稲葉振一郎『社会学はどこから来てどこへ行くのか』(有斐閣)を読む。たぶんに業界内の話のような気がしつつも興味ぶかく読む。

Wednesday, January 2

フレッド・アステアの唄を聴く。Spotifyから「Fred Astaire’s Finest Hour」を選んでかける。

正月三が日から陰鬱なムンクの絵画なんて誰も見に行かないだろうと高を括って東京都美術館を訪れてみたら、その読みは完全に外れて開館時間前から大行列である。こちらが叫びたくなる。美術館での人混みほど不愉快なものはないので、諦めて退散する。ちなみに美術館の傍にある上野動物公園は、美術館のざっと10倍くらいの人の数だった。正月の東京は人が少ないというのは幻想かもしれない。

上野を逃れて渋谷に向かう。Bunkamura ザ・ミュージアムで「国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア」を観賞。さいわいこちらは観賞に差し支えない程度の客数。19世紀後半のロシアの絵画を見てまわる。

渋谷マークシティにあるJEAN FRANÇOISでバゲットとバタールを買って、東急東横の本家しぶそばで昼食。蕎麦とまぐろ丼のセットを注文。

恵比寿へ。東京都写真美術館にて「ニァイズ」の最新号を入手し、元学芸員の金子隆一もメンバーのひとりである橘雅友会による雅楽演奏(「とっぷ雅楽」)を聴く。開催中の展示はすべて観賞済みなので、恵比寿での用件はこれにて終了。帰り道の恵比寿ガーデンプレイスで獅子舞に頭を噛んでもらう。とっぷ雅楽鑑賞後から獅子舞に頭を噛んでもらうまでの流れは、去年とまったく一緒。

移動中の電車のなかで読んだのは、山田稔『こないだ』(編集工房ノア)。

自宅に戻ってからポール・フスコの写真集『RFK』(aperture)をめくる。暗殺されたロバート・ケネディの棺をニューヨークからワシントンD.C.まで列車で移動させる際に、同乗した写真家が沿線に集まったアメリカ国民の姿をスナップしてゆく。日本初公開のプリント「RFK Funeral Train」を東京都写真美術館で目にして感銘をうけたのは、2011年1月2日のこと。

夕食は御節と熱燗をふたたび。

Thursday, January 3

Olivia Chaney「Shelter」を聴く。

終日自宅にて。ロンドン土産の紅茶を飲みながら読書。料理研究家の若山曜子が香港を旅した模様をInstagramに投稿しているのだが、「香港の人たちが甘物屋に行列をなすのは21時から。23時頃はどこもすごいことに。あんまりお酒を飲まないのかな?逆に昼下がりのおやつの時間はすいていて、のんびりできていい」と書いているのを記憶として残っていたなかで、藤井省三『魯迅と紹興酒 お酒で読み解く現代中国文化史』(東方書店)を読んでいたら、つぎのような記述にでくわす。

あたかもニューヨークでアメリカ人がスシ・バーへ行くように、香港でも地元の人が日本レストランに行っているのは、日本人としてとてもうれしいことではある。それにしても香港人に付き合って香港の日本食を食べるたびに残念に思ったことは、清酒の種類が限られていることである。そもそも愛飲家が肩身の狭い社会である上に、ワインほどには日本酒の知識は普及しておらず、日本の有名酒造会社のブランド清酒を熱燗で飲む、というのがほとんど香港人の飲酒スタイルであった。

香港は「愛飲家が肩身の狭い社会」だと知る。

午後は、御節料理の戦後処理を実施しながら、今年の旅の計画をたてる。

夕食、御節の具材を消化しながらの蕎麦、ビール。食事をすませつつ、エルンスト・ルビッチ監督による映画を二本見る。『青髭八人目の妻』(1938年)と『陽気な中尉さん』(1931年)。いささか唐突なエンディングを迎えるロマンティック・コメディをたのしむ。

Friday, January 4

スカートの澤部渡がラジオで絶賛していたアルバム「Columbia Groovy Songbirds」を聴く。澤部さんがお薦めの楽曲を紹介するときの喋りかたが、熱が入りすぎるあまり完全にやばい人になっていておもしろい。ブロッサム・ディアリーをかけるときは毎回やばい人になる。

買ったけれど放置気味だったエコノミスト誌の年末号(Christmas double issue)と、届いたけれど放置気味だったモノクル誌の別冊号(The Forecast)に手をのばす。

上野へ。Brasserie L’écrinで遅めの昼食兼夕食。上野駅の旧貴賓室を利用したこのフランス料理店が好きで、気軽に入れる雰囲気でありながら適度に品があっていい。ランチタイムが16時半までなので、本日のように15時という食事をするには中途半端すぎる時間でも受け入れてくれるところもよい。甘鯛とトマトのショーフロア、メカジキのポワレ、若鶏のソテー、生姜風味のブランマンジェ、珈琲、というコースメニューとともに赤ワインを注文する。

東京都美術館の「ムンク展 共鳴する魂の叫び」に向かう。午後8時までの夜間開館を狙っての参戦。入口で少し待たされたものの、鑑賞が困難になるほどの混雑ではなかった。しかし混雑するからとの理由で、《叫び》の鑑賞にあたっては一列になってカニ歩きのごとく立ち止まらずに見よとの指示は、絵画の鑑賞方法としてあまりに侮辱的である。やや距離はできてしまうが列の後ろに立てばゆっくり見れるので、いよいよ意味不明なシステムだと思う。

ムンクがニーチェの妹に依頼されてニーチェの肖像画を描いていたと知る。妹の肖像画も描いている。ムンクはニーチェを愛読していたらしい。後年、ムンクの作品はナチスによって退廃芸術の烙印を押され、ニーチェの妹は熱心なナチス支持者となったのは、皮肉な話ではある。

本日の読書は、米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』(講談社文庫)。何度読み返してもおもしろい。本書にはアウシュビッツについての言及があるのだが、アウシュビッツをめぐって積みあげられてきた数多の言葉たちにくらべて、これほど「重くない」アウシュビッツにかんする文章というのも珍しい。TBSのプロデューサーからの伝聞として、つぎのように書き留められてある。

三年ほど前のことかな、星見敏夫さんをチーフにアウシュビッツを取材したときのこと。ガス室で窒息死させられた人たちの死体と遺品を、ナチスは資源として活用しようとしていたでしょ。資料館は、それも展示してある。眼鏡の山とか、古着の山ばかりではない。死体から抜き取られた金歯ばかりが集められた山とか、髪の毛の山とか。その人毛から織った毛布、人体から抽出した脂肪からつくった石鹸まで。
こういうものを全部見終わって、出口に向かう人々の顔は血の気を失い、皆焦点を失ったかのような目つきをしているものなんだ。ショックから立ち直るのに、一週間。いや二週間たっても、肉が食べられない人がいるくらいだ。
この出口の前の最終コーナーで、資料館は見学者に、収容所は当時、囚人たちにあてがわれていた一回分のスープを当時と同じ食器で試食させるのよ。
「囚人たちは、スープ待ちの行列には、なるべく後ろの方に並ぶようにした。バケツの底の方に残る具を多めにせしめるために」
なんていう解説付きでね。もちろん、これを口に運ぶ人はほとんどいない。みな沈鬱な表情で、スープの入った器を眺めては溜息をつくばかり。世界の秘境、僻地、激戦地などを股にかけてきた、神経の図太いテレビ屋たちも、ここばかりは、肩を落として音もなく佇んでいる。それでも好奇心が勝って、スープを啜ってみるものの、ウッとこみ上げてきて、それ以上は喉を通らない。でも、ひもじい思いをして、このスープを貪ったであろう囚人たちのことを思うと、食べ残していくのも忍びない。呆然と立ち尽くすしかない。
そのときよ、その場にはいかにも似つかわしくない朗らかな声がしたのは。
「いやあ、コレなかなかうまいなあ」
星見ちゃんよ。ペロリとスープを平らげて、
「おかわりしてもいいのかなあ」
そう言ったのよ、星見ちゃんは。信じられる?

Saturday, January 5

地元の図書館に本の返却を済ませてから、山手線で有楽町へ。ルミネのセールを軽く見てまわるも、なにも買わず。まだお昼どきで時間が早すぎるからなのか、これがアパレル業界の現状なのかはわからないが、どの店舗も人はまばらだった。30%引きだの40%引きだのしみったれたことをいわずに、100%引きにすればよいと思う。大賑わい必至である。

お昼食は、コリドー街ちかくのデリー銀座店にて。人気のある店なので席につけなかったらどうしようと思いつつむかったところ、余裕で座れた。正月の銀座の賑わいがどういうものなのか、いまいち掴めず。カレーはおいしい。

目黒に移動。東京都庭園美術館で「エキゾティック×モダン アール・デコと異境への眼差し」の展示を見て、庭を散歩する。ところで、この美術館の英語表記が「TOKYO METROPOLITAN TEIEN ART MUSEUM」であることにいまさら気がつく。庭園を英訳せずに「TEIEN」となっているのは、英語にしてしまうと庭園の歴史を紹介する美術館だと勘違いされるのを危惧してだろうか。しかし日本語でも庭園の美術館だと勘違いする人がでてきても不思議ではない。弥生美術館は弥生土器を展示する美術館だと勘違いして、土器はどこにあるんだとぶつぶつ言いながら館内を歩きまわるおっさんがいたことを、わたしは知っている。

目黒に来たので、Jubilee Coffee and Roasterによって珈琲を飲みたいと思ったものの、まだ年末年始の休業中だった。

夜、冨田恵一『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』(DU BOOKS)を読みつつ、レコードでドナルド・フェイゲンの「The Nightfly」を聴く。昼食で満腹になったので夜の食事は簡単に済ます。

Sunday, January 6

散歩にうってつけの上天気がつづくので、正月は東京で過ごしたいと編集者の岡本仁がInstagramに書いていて、北海道などは大雪でたいへんなようだが、たしかに正月の東京は大抵晴れているように思う。もっとも本日は曇天なうえに寒いので、終日自宅にて読書。堀江敏幸『傍らにいた人』(日本経済新聞出版社)と多和田葉子『穴あきエフの初恋祭り』(文藝春秋)を読む。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮によるブラームスの交響曲第3番&第4番を聴く。演奏はドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン。

夕食、豚の角煮と白菜の漬物と煮卵をのせた丼、長ねぎとしめじのお吸いもの、大根と人参のなます、ビール。