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Monday, December 10

小林秀雄『近代絵画』(新潮文庫)を読む。

先日ラジオで会社の忘年会は残業代がでるのか訊いてきた新人がいたとの投稿が紹介されていて、番組内での会話では非常識な新入社員の登場という扱いだったが、むしろそういうことを述べる彼/彼女らのほうが常識的な思考回路なのだと日本人の大勢が理解できるようになる日は、はたして到来するだろうか。

本日は所属部署の忘年会だったが、月曜日から疲弊することをやる神経がまるで理解できないので欠席。浅薄な会話で時間を潰す「宴会」というものが根本的に嫌いなのだと思う。会社からの帰り道に、Les mille feuilles de liberteでダイニングテーブルに飾るための花を買う。

夜ごはん、焼豚と万能ねぎと半熟たまごをのせた醤油ラーメン、麦酒。

マグワイア・シスターズのクリスマスアルバム「Greetings From The McGuire Sisters」を聴く。

Tuesday, December 11

川北稔+喜安朗『大都会の誕生 ロンドンとパリの社会史』(ちくま学芸文庫)を読む。

要するに、19世紀のイギリスでは、衣服の全国的なマスマーケットが成立したのだ。衣服の消費量を正確に知ることは、「ホーム・スパン」的な自家生産はよほど減ったにしても、加工面では自給の要素も残っていたし、とりわけ古着が重要な役割を果たしていたこともあって、非常にむずかしい。しかし、大まかな推計では、多少低めにみても1861年から半世紀間で、500%くらいは増加した、と考えられている。このようなマスマーケットをリードしたのは、いうまでもなくファッション・センターとしてのロンドンであった。産業革命期以降の衣料産業といえば、誰しもコットンのマンチェスターや毛織物のリーズを思い浮かべるであろう。しかし、これらの街は「布地」の生産地であって、必ずしも最終消費財としての衣服の生産地ではない。衣料品加工業、つまり仕立業こそは、工業化がロンドンにもたらした最大の産業だったのであり、それこそ湾港労働とならんで、ロンドンに惹き寄せられながら没落した「二台目の首都住人」に、その日暮らしの糧を与えたものなのである。

夜ごはん、キャベツとベーコンのリゾット、赤ワイン。

ジョン・レジェンドのクリスマスアルバム「A Legendary Christmas」を聴く。

Wednesday, December 12

ストラスブールのクリスマスマーケットでテロ。

Spotifyで高橋悠治の「ゴルトベルク変奏曲」と「バッハで始まり、高橋悠治で終わる」を流しながら、青柳いずみこ『高橋悠治という怪物』(河出書房新社)を読む。

どうして日本人なのに西洋音楽を演奏しているのかとか、どうして日本人らしく弾くことがいけないことなのかとか、どうして他人のつくった曲を一字一句間違えずに弾かなければならないのかとか、どうして何回もくり返して練習しなければならないのかとか、どうしてすべての音が均等にそろっていなければならないのかとか、どうして長い音楽史の中ではたった200年にすぎない機能和声音楽に支配されているのかとか。
子供のころから、疑問には思いながらもそういうものだと言い聞かされ、絶え間なく追いかけてくるレッスンやコンクールや入試に追いまくられてずっと答えを出さないままきてしまった根源的な命題のひとつひとつを、高橋は愚直なまでにつきつめ、問いかけるだけではなくあちこちで騒動を巻き起こしながら不器用に実験・実践しつづけている。そして、今なおどこにいくかも定かではないまま飄々と彷徨っている。そんな在り方にふと感動をおぼえる。

夜ごはん、焼き餃子、キムチ、ほうれん草とたまごの中華風スープ、麦酒。

Thursday, December 13

平出隆『私のティーアガルテン行』(紀伊國屋書店)を読む。

版を組む、版を翻して刷る。この二つのことを考えるだけで、人は未知のひろがりの中に入っていく自分を感じ取ることができる。インクを刷る、絵の具を塗る、文字を消しては書く。そしてまた、ページを立て、それらを綴じる。これらは新しい迷路を組み立てることに等しいが、迷路を建築することは、それ自体で、通俗の歴史がこしらえてきた地上に立ちどまることへの逆らいではないだろうか。
本のことは、やはり世界のことである。
そして、本がままごとのようであればあるほど、世界はくっきりと姿をあらわして立ちはだかる。あらゆる本の彼方へと私たちを連れ去ろうとしない本に用はない、といったのはニーチェである。そしてニーチェはまた、動物たちから寄越される人間への批評、「きわめて危険なふうに健全さを喪失した同類」という批評を感じ取っていた人でもあった。
一個の動物として本をつくりたいと私が考えるのは、そのような意味においてである。

夜ごはん、ほうれん草と豚肉のコンソメスープ、赤ワイン。

シー&ヒムのクリスマスアルバム「A Very She & Him Christmas」を聴く。

Friday, December 14

J-WAVEでかつて放送されていた「THE VOYAGE」という旅先の音と音楽を掛け合わせてストーリーを紡ぐ番組が好きで、当時録音したものが手元に残っている。そのなかからロンドンをとりあげた放送分を聴きつつ、これまでの旅の資料を整理する。番組のなかで、ロンドンの変わらないものとして「狭くて、臭くて、あてにならない地下鉄」と言及されているのを耳にして、「狭くて」と「あてにならない」はともかく、11月にロンドンを旅した印象としては「臭くて」はあまり感じられず、番組が放送されたのはもう10年弱あまりむかしのことだから、多少なりとも環境の改善はあったのかもしれない。一方、ロンドンで変わったこととして「パブで煙草を吸えなくなった」とあり、現在ももちろんパブで煙草は吸えないし、ロンドンの施設のあらゆるところが禁煙なのだが、あまり意味がないように思ったのは喫煙者たちはみんな歩道を歩きながら吸っているからだ。内で吸えないので外で吸っている。

Saturday, December 15

東京ところどころ。品川駅で降りてキヤノンギャラリーで「鈴木理策 知覚の感光板」を見てから、2020年末に閉館してしまうという原美術館へ。Cafe d’Artでパスタと赤ワイン昼食ののち、「リー・キット 僕らはもっと繊細だった。」を鑑賞。品川から原宿まで山手線で移動する。The Massで「ニック・ナイト STILL」を見て、スパイラルで田根剛とコラボしたシチズンのイベントを見る。フランセ表参道本店で休憩。フランセパニエと紅茶を注文。表参道から銀座まで銀座線で移動する。ギャラリー小柳で「Michaël Borremans | Mark Manders」、ポーラ・ミュージアム・アネックスで「WE ARE LOVE photographed by LESLIE KEE」、シャネル・ネクサス・ホールで「ジャン=ポール・グード In Goude we trust!」、資生堂ギャラリーで「それを超えて美に参与する 福原信三の美学」を見る。資生堂ギャラリーで『花椿』の最新号をもらう。有楽町から浜松町まで京浜東北線で移動して、東京モノレールで天王洲アイルまで。Yuka Tsuruno Galleryで「流麻二果 色の足処」を見る。夜、T.Y.Harborで夕食。

本日の読書は、市田良彦『ルイ・アルチュセール 行方不明者の哲学』(岩波新書)。

Sunday, December 16

ようやく12月らしい寒さになる。買いものと炊事洗濯。

ロンドンを旅したときにLondon Undercoverで折りたたみ傘を新調しようと考えていたのをすっかり忘れて日本に戻ってしまった。というわけでMR PORTER経由で購入。MR PORTERをつかうと、送料無料だし、わりとすぐに届くし、立派な箱に入っているしで、わざわざ現地で購入する理由が「旅先での記念」以外なくなってしまう。

村上春樹のラジオ番組はクリスマス音楽特集。番組の最後にまた来年、と言っていたので継続的にやるつもりだろうか。

夜ごはん、昨日Cafe d’Artで食べた菜の花とアンチョビのパスタを再現する。赤ワイン。