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Monday, September 17

休日。食材調達のための買いもの以外は終日自宅で穏やかに過ごす。

ドキュメンタリー映画『イヴ・サンローラン』(エール・トレトン/監督、2010年)を鑑賞。邦題からイヴ・サン=ローランの生涯を辿るドキュメンタリーかと想像するも、実際の作品を見ると、これは伴侶であったピエール・ベルジェが語るイヴ・サン=ローランの姿であり、邦題は映画を正確にあらわしていない。原題は『Yves Saint Laurent – Pierre Bergé, l’amour fou』。連名である。本作はピエール・ベルジェによる回想の映画、あるいはふたりが収集した美術品をめぐる映画なので、イヴ・サン=ローランの映画だと思って見ると肩透かしを食らう。

レコードとSpotifyを織り交ぜて、クリフォード・ブラウンのアルバムを聴く。クリフォード・ブラウンの25歳で交通事故死という事実にあらためて慄く。

先週ひさかたぶりに読んだタイム誌は別段おもしろいと思えるものではなく、もはやあってもなくてもいい雑誌だと思ったが、そのタイム誌をセールスフォース・ドットコムのCEO夫妻が買収したとの報道。

夜ごはん、鶏肉と茄子のカポナータ、枝豆のポタージュ、キャロットラペ、レーズンパン、赤ワイン。

Tuesday, September 18

ヨーゼフ・クリップス指揮&ロンドン交響楽団のモーツァルトを聴く。チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』(石塚裕子/訳、岩波文庫)の第4巻を読む。

夜ごはん、豚肉とトマトとほうれん草のアンチョビパスタ、麦酒。

SNS界隈から遠く離れて暮らしているので事情よく知らなかったのだが、夕餉の時間に『新潮45』(新潮社)が炎上していると教えてもらう。なんでも『新潮45』の最新号が、杉田水脈の所説を擁護する火に油をそそぐような特集を組んだらしい。さっそく『新潮45』最新号の目次を確認してみると、該当の特集のはじめに藤岡信勝の名前があって、藤岡信勝ってまだいたんですね、と郷愁に浸りそうになるのだがそれはさておき。新潮社の内部でもこのたびの『新潮45』の特集には反発があったようでtwitterを震源地として物議を醸しているらしいのだが、ケント・ギルバートの著作で稼いでいる講談社の顰に倣って、あまり品のよろしくない新潮ジャーナリズムがネトウヨ市場に参入しようと目論むのは別段驚くことではないと思うし、このたびの件は調子に乗って一山当てようとしたらあっさり撃沈したという新潮社のマーケティング能力の無能さを露呈しているだけだといえなくもない。騒がれているのは老舗の出版社だからで、新潮社でなかったら騒ぎになっていたか怪しいものである。目次にならんでいる執筆陣の原稿が『月刊WILL』(ワック)や『月刊Hanada』(飛鳥新社)に掲載されたのであれば、毎度おなじみのいつもの風景なのだから。問うべきは、いつもの風景では。

それにしても新潮社の本の不買運動をとかいっている人がいて驚く。新潮社ほどの大きな出版社が一枚岩であるはずもなく、雑誌の編集部内であっても一枚岩であるとは到底考えにくい。あなたが会社員であれば、じぶんの所属する部署のことを想起すればまったくおなじ話であって、みんな仲良しなんてことがあるはずもない。編集者も所詮は会社員である。

Wednesday, September 19

ヴィキングル・オラフソンのピアノでバッハ作品集を聴く。バッハゆかりの地を詳述しながらその生涯を追う、加藤浩子『バッハ 「音楽の父」の素顔と生涯』(平凡社新書)を読む。

夜ごはん、白米、塩辛、しめじと水菜の味噌汁、鯵のひらき、ほうれん草のおひたし、麦酒。

Thursday, September 20

アンドレア・バッケッティのピアノでバッハ「ゴルトベルク変奏曲」を聴く。

自民党総裁選は予定どおり安倍晋三が石破茂に勝利。ところで、安倍晋三を支持する保守系の雑誌がしきりに石破茂を叩いていたのは、石破茂が安倍政権に対して無闇矢鱈に敵対的というのを考慮しても、いささか妙といえば妙な話である。日本の保守派における最大の野望(?)である憲法改正、とりわけ第9条の改正について、石破茂は一貫して憲法第9条第2項を削除する案を主張している。保守派の主張としてこれ以上「正統」なものはない。一方で安倍晋三側の改正案は、世論の動向に妥協して自衛隊の存在を追記するという「軟弱」なものである。わたしが憲法改正論者であったならば、そんな日和見主義的な改憲など到底容認できないと思うのだが、こういう考え方はもう古いのであろう。臨機応変な思想信条が当世風なのかもしれない。当世風という言いまわしがすでに古い。

夜ごはん、ほうれん草とトマトのアンチョビパスタ、赤ワイン。

柴崎友香『公園へ行かないか? 火曜日に』(新潮社)を読了。アイオワ大学のインターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)に参加した著者によるエッセイ集、だと思ったら版元による本の紹介文には「連作小説集」とあるので小説なのだろう。

そのあとは誰か話せそうな人がいないかと見回しながら、食べ物を取りに行ってみたり、参加者の作家たちに自分が撮った写真のポストカードを渡して会話を試みたり、うろうろしていた。英語ができないというのも大きな原因だったが、小学校、中学校、高校、そのあとの職場や、とにかくどこでも、新しい環境が始まるたびに、わたしは似たような状況になっていた。気がつくと、他の人たちはあっという間に仲良くなっていて、自分は取り残されている。いつもと同じと言えば同じだった。
この十年ほどは、自分は「小説家」で会う前から相手がなんとなくわたしのことを知っていてあれこれ話しかけてもらえるという特殊な状況にあるからなんとかなっているが、こうして、自分のことを知っている人がいない場所、同じ条件でスタートする場所にいると、まったく成長していなかったのだなあ、と思い知らされる。ここでもIWPの参加者だと名乗ると、おめでとうとかどんなものを書いているのとか、もてなしてもらえる状況にもかかわらず。

日本人の留学生はほんとうに少なくなった、今の日本の若者は海外に出ようとしない、外の世界に関心がない、と何度も聞いた。なぜ、とわたしに問う人もいた。わたし自身が、こうして誰かからオファーされるまで海外へ旅行をほとんどしなかった。なにか小さなきっかけでもあれば思い込みを変えられたかもしれないし、今言っても言い訳になるが、留学など自分に縁のない遠い世界のことだというか、そんな能力もないし無理なのだと学生のころははなからあきらめていたから、そうして非難や揶揄のニュアンスで言われる「今どきの若者」の心情や状況を勝手に説明したくなってしまう。外国へ行くことが身近にある人とそうでない人の感覚の乖離は、大きくなっているように思う。ともかく、日本の人の関心が外にあまり向かなくなっているのは確かで、その背景に経済的な停滞、縮小があるのも間違いのないことだった。

ヴァージニアは、アイオワを離れる直前に香港の新聞の記事にするからとわたしにロング・インタビューをしてくれて、そのときに、トモカはなぜdelayなのか、と聞かれた。何時間か何日経ってから、このあいだ言ったことについてだけど、と遅れて答える、と。英語を理解していないから、というのもあるが、わたしは日本で日本語で話していてもdelayだ。そのことは、わたしが小説を書くようになったことととても深く関係していると、わたしは思った。

東京に住んで時間が経てば、わたしは共通語をもっと使いこなせるようになると思っていた。ところが、十年が過ぎて、共通語を話すときに感じる違和感はかえって大きくなっていった。東京に移る前から、わたしは相手に合わせて話す癖があったし、特に仕事の場では大阪弁を使わないようにしていて、インタビューなんかでは「大阪弁じゃないんですね」と毎回のように言われるくらい、話すことはできているが、その言葉が自分の内側にある感覚、伝えたい感情を表せているとは、思えなかった。話す度に、これじゃない、もっと別のこと、と思うのだが、口から出る言葉に中身も引きずられて、感じていたこと考えていたことが発した言葉によって消えてしまうような感覚にさえ、何度もなった。
では大阪弁をしゃべっているとき、同じ言葉をしゃべっているもの同士で、そうやん、そやろ、と難なく共感を得ることができるのは、それははたして、理解し合えているのだろうか、コミュニケーションなのだろうか、と思うこともある。楽をしているだけではないのか、手を抜いてわかったような気分を共有しているだけではないのか、と。
かといって、大阪弁を小説に書くときには気楽で自然にかけているわけではなく、共通語以上にどこまで通じるのか、どう書き表すかと、いっそう注意深くなる。

Friday, September 21

iPhoneで設定した目覚まし時計で起きるものの、肌寒いので二度寝する。

チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』(石塚裕子/訳、岩波文庫)の第5巻を読む。

夜ごはん、焼豚とゆで卵と水菜をのせた醤油ラーメン、麦酒。週末の予定を分単位で考える。

Saturday, September 22

曇天のなか横浜へ。みなとみらい線の元町・中華街駅から港の見える丘公園を抜けて、神奈川近代文学館に向かう。「没後10年 石井桃子展 本を読むよろこび」を鑑賞。幼少の頃から現在にいたるまで児童文学にはまるで関心がないのだが、展示内容はひとつの文学史としておもしろく見た。ところで尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』(新潮文庫)にも書いてあったが、欧米の児童文学紹介の熱心さに比して、石井桃子には「子ども好き」という雰囲気はあまり感じられない。

元町・中華街駅から馬車道駅に電車で移動し、洋食屋のグリルエスでお昼ごはん。開店と同時にあっという間に満席になる。ハヤシライスとサラダと赤ワインを注文。

「新・今日の作家展2018 定点なき視点」を見るために横浜市民ギャラリーに向かう。歩いて行けない距離ではないが体力温存のため駅近くからタクシーで。岩井優、川村麻純、阪田清子の展示を鑑賞。

徒歩で横浜美術館まで。「モネ それからの100年」展を見る。モネの切り開いた地平をめぐって、直接でも間接でも影響下にあると考えられる現代作家の作品をモネの絵画と併せて展示するもの。展示作品の大半が国内の美術館から借用されたものだから、限られた予算のなかで意欲的な構成を試みたわりと玄人向けの展覧会だと思うのだが、すごい混雑っぷりで驚く。「モネ それからの100年」という展覧会のタイトルが誤解を呼びそうというか、モネの展覧会だと勘違いしそうな人がたくさん来てそうである。モネの絵画も展示されてはいるが、主題はそこではない。しかし「誤解」によって観客動員数が増大していることが明白なのは、パリのオランジュリー美術館を軽く模したような円形状の空間に、左側にモネの絵画が、右側に鈴木理策による睡蓮の写真が対比的に展示されていたのだが、モネの絵のまわりに人びとがわんさか群がっていて、鈴木理策の作品の前はずっと少人数の鑑賞者、という状況だったから。モネのせいで混んでいる。もっとも、立ち止まってじっくり見ている人は稀とはいえ、中西夏之や岡崎乾二郎の絵画作品の前に人がわんさかいるという状況はなかなか貴重な光景であった。美術館を出ると、入場を待つ行列が美術館の外にまで連なるおかしな事態になっている。

MARK ISとクイーンズスクエア横浜で洋服を少し見てから、観覧車に乗って夕暮れ間近の臨海部の景色を眺めてから帰る。

夜ごはん、ざる蕎麦、鰹のたたき、ホタルイカの沖漬け、きゅうりの漬物、麦酒。

Sunday, September 23

朝早く、分単位での電車の乗り換えをこなして北陸新幹線の自由席に滑り込む。軽井沢へ。別荘にもゴルフにも縁がないので軽井沢にははじめて来た。肌寒くて驚く。北口の駅前の何もなさに驚く。タクシーで旧軽井沢方面に移動。タクシーの運転手さんが「まだ開いている店はほとんどありませんよ、パン屋さんくらいしか」と説明してくれたそのパン屋さんに向かう。ベーカリー&レストラン沢村旧軽井沢にて朝食。新宿のNEWoManにある沢村もいつも行列ができているが、こちらも満席で行列ができている。しかし座席数が多いので少し待ったら無事座れた。

バスで軽井沢駅まで戻る。はたしてここは観光地なのだろうかと疑問を挟みたくなるバスの本数の少なさ。軽井沢駅から御代田駅までしなの鉄道で移動。はたしてここは観光地なのだろうかと疑問を挟みたくなる鉄道の本数の少なさ。

本日の目的地である浅間国際フォトフェスティバルの会場に到着。はるばる訪れた甲斐のある空間で満足。フォトフェスティバルは楽しいので今後もつづいて欲しい。会場内のIMA cafeでソフトクリームを食べる。

しなの鉄道で中軽井沢駅まで。バスで軽井沢現代美術館に行く計画なのだが、いつまでたってもバスが来ない。20分程遅れてようやく来た。タクシーで行こうにもタクシー乗り場も行列で、しかも一向にタクシーの来る気配はない。ここは観光地じゃないのかもしれない。観光客はいるけど。

最寄りのバス停からこの道は正しいのだろうかと道中不安になるような奥地にある軽井沢現代美術館に到着。神保町にあるギャラリー海画廊が運営している美術館で、日本人作家の現代美術作品を展示している。企画展は草間彌生の近作版画。鑑賞後、受付でタクシーを呼んでもらって旧軽井沢方面へ(ずっと先の時間にしかつぎのバスが来ないのだ)。

早めの夕食は、川上庵にて。朝訪れた沢村の向かいにある川上庵。旧軽井沢近辺の二大繁盛店といっていい沢村と川上庵。中途半端な時間に入店したのでスムーズに席を確保できたが、日が暮れ始めたあたりですごい行列になっている。旧軽井沢銀座通りを少し散策してから、新幹線で帰るために軽井沢駅へ。タクシーで。バスが来ないので。