Monday, February 19
2017-18年版の『地球の歩き方 ロンドン』(ダイヤモンド社)を参照すると、旅で役立つ言葉の表現として、「聞きとれないときには正直に “Pardon?” と聞こう」と説明されている。しかし、ケイト・フォックス『イングリッシュネス 英国人のふるまいのルール』(北條文緒・香川由紀子/訳、みすず書房)を読むと、
「パードン」は上流階級と上層中産階級が忌み嫌う悪名高いことばである。ジリー・クーパーの息子は「ママが「パードン」は「ファック」よりずっと悪いことばだって言ってた」と友だちに話していたというが、そのとおりである。上流階級と上層中産階級にとって紛れもない下層階級の用語は、罵りことばよりも悪い。下層中産階級が住む一帯を「パードン族」という人もいるほどである。試しに、わざと相手が聞き取れないくらいの小さい声で話しかけてみれば、下層中産階級か中層中産階級なら「パードン?」、上層中産階級なら「ソーリー?」(あるいは「ソーリー・・・ホワット?」か「ホワット・・・ソーリー?」)と言うだろう。しかし上流階級と労働者階級はともにただ「ホワット?」と言う。労働者階級はtを省略して「ホワッ?」と言うだろうが、これが唯一の違いである。上層労働者階級でも中産階級志向の人は、上品に聞こえると思いこんで「パードン」と言うだろう。
と書いてある。めんどうくさい「パードン」の用法。『地球の歩き方』編集部は、『地球の歩き方』を携えて旅する日本人はイギリスの上流階級や上層中産階級の人びとと接点をもつことなどないだろうと踏んでいるのか。『イングリッシュネス』はイギリス人の生態を理解するうえで興味ぶかい本だが、原書の半分も翻訳していないと知って唖然とする。どうして全部翻訳しないのだろう。ページ数が多くなると値段が高くなるからというすぐに思いつく理由はあるものの、版元はみすず書房だし、どれほどのページ数になろうが価格はどうせ高くなるのだろうからどうでもよい気がする。本が売れた途端に原書は一冊なのに続編であるかのようにさらっと刊行したマイケル・ブースの『英国一家、日本を食べる』(亜紀書房)とおなじ戦略だろうか。
Tuesday, February 20
三島由紀夫の短編集『鍵のかかる部屋』(新潮文庫)を読む。
イスラム国が事実上壊滅状態に陥った結果、シリア情勢は落ち着くかと思いきや、むしろ対立の構図が複雑化している。
『メトロミニッツ』3月号(スターツ出版)を入手。特集はホテルのレストラン。
Wednesday, February 21
よりよい環境で映画を見るために80インチのスクリーンを買う。いい映画を家で見よう。
『人生タクシー』(ジャファル・パナヒ監督、2015年)を鑑賞。『白い風船』(1995年)を撮った監督がイラン当局から弾圧されている事実をいまさらながら知ったのだが、『人生タクシー』はどれほど撮影が制限されていても優れた映画作家は傑作を撮れることを証明している。
Thursday, February 22
大杉漣の訃報に驚く。
通勤途中にみぞれが舞った寒い一日。
桜井武『ロンドンの美術館 王室コレクションから現代アートまで』(平凡社新書)を読む。
Friday, February 23
会社で研修。研修終了後、懇親会という名の飲み会。絶体絶命の逃げられない飲み会以外は可能なかぎり欠席するのが今年の目標なので、本日の飲み会を今年最後の飲み会にしたい。
山田宏一と和田誠の対談集『たかが映画じゃないか』(文春文庫)を読む。今後の見る映画の参考にと、ふたりの掛け合いのなかで登場する作品を逐一iPhoneにメモしながら読む。
Saturday, February 24
晴れ。東京ミッドタウンのスターバックスで読書。カラー版として昨年復刻された高階秀爾の『近代絵画史』(中公新書)を読む。上下巻。上巻は「ロマン主義、印象派、ゴッホ」、下巻は「世紀末絵画、ピカソ、シュルレアリスム」という構成。その流麗な文体の素晴らしさを賞翫するとともに、とりわけ印象派を美術史上に位置づけるあざやかな手際は、何度読んでも感服させられる。
国立新美術館は「DOMANI・明日展」だから空いているだろうと思って出かけたら、印象派展をやっていて混んでいる。高階秀爾の印象派分析に感心しておきながらなんだが、印象派展を見る気はないので「DOMANI・明日展」だけを鑑賞。
お昼食は美術館併設のBRASSERIE PAUL BOCUSE Le Museeでフランス料理を食べる。ここのレストランは厨房がどこにあるのかいつも気になる。配膳用エレベーターが上がってくるのがちらっと見えるので店の下?
渋谷へ。CASE TOKYOで鈴木理策の写真展「Water Mirror」を見る。写真集も買ってしまう。
Sunday, February 25
自宅で映画を二本。『あなただけ今晩は』(ビリー・ワイルダー監督、1963年)と『三十九夜』(アルフレッド・ヒッチコック監督、1935年)。