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Monday, February 13

アメリカ合衆国憲法をおさらいするために、松井茂記『アメリカ憲法入門 第7版』(有斐閣)を読んだ。

Tuesday, February 14

『柄谷行人講演集成 1995-2015 思想的地震』(ちくま学芸文庫)を読了。講演の内容自体はそれなりにおもしろく読んだが、『思想的地震』というタイトルはちょっとダサい。『日本近代文学の起源』『マルクスその可能性の中心』『内省と遡行』『探究』といった柄谷行人による過去の仕事の、その論述の是非はともかく、書名のかっこよさはいまでも痺れる。もっとも、いちばんひどいと感じたのは『倫理21』で、リーブ21かと思う。

Wednesday, February 15

小杉泰『イスラーム帝国のジハード』(講談社学術文庫)を読む。世界史を勉強したくなったので、講談社学術文庫のなかから歴史の本を漁っている。講談社学術文庫である理由は、単純に持ち運びが楽だから。読後、復習がてら山川出版社の『世界史B』に目をとおしてみると、教科書の記述はびっくりするほどつまらない。過酷な字数制限のなかで執筆者が奮闘しているのは了解するものの、事実関係の文脈を端折りすぎなので、これでは機械的な暗記科目になるのも当然である。

Thursday, February 16

通勤中の読書にジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論 付「戦争法原理」』(坂倉裕治/訳、講談社学術文庫)。付録の「戦争法原理」を読みたくて。

Friday, February 17

政治哲学というジャンルにあまり興味をもてないことはマイケル・サンデルが流行ったときに感じたが、このたびジョナサン・ウルフ『「正しい政策」がないならどうすべきか 政策のための哲学』(大澤津・原田健二朗/訳、勁草書房)を読んでみてもやはり、いまいち面白味がわからない。

Saturday, February 18

自宅シネマ。イェルサレムでのアイヒマン裁判の映像を編集した記録映画である、『スペシャリスト 自覚なき殺戮者』(エイアル・シヴァン/監督、1999年)を鑑賞。記録映画といっても必ずしも中立的な装いをもつものではなく、製作者たちはハンナ・アーレントによる裁判傍聴記『イェルサレムのアイヒマン』(大久保和郎/訳、みすず書房)を下敷きにしていることを明言している。もっとも、公開当時に劇場(BOX東中野)で見たときも感じたが、アイヒマンの姿から、アーレントの導いた「悪の凡庸さ」という結論を引き出すのが正しいかどうかは疑問符をつけたくなる。小賢しい役人風情であることは確かだが、とても凡庸だとは思えず、隠していることがふんだんにありそうな悪そうな奴に見えてしまったので。

ところで、この映画でいちばん印象に残るのは、アイヒマンの姿よりもエンドクレジットで流れるトム・ウェイツの「ロシアン・ダンス」である。

また、エンディングのクレジット・ロールの背後でトム・ウェイツの『ブラック・ライダー』からの「ロシアン・ダンス」が響き渡る、これはなかなか鋭い選択である。長田弘も指摘するように(『朝日新聞』2000年3月2日夕刊)、ウィリアム・バロウズが台本を書いたこの音楽劇は、「初めて『ドイツ国民歌劇』を確立したウェーバーの歌劇『魔弾の射手』とおなじ物語を、20世紀の物語に読み替えた」ものだ。それは「『魔弾の射手』のように、父なる神への感謝の合唱に終わらない。発射された魔弾のえがく輪のなかで、人びとは叫び、喚き、踊り狂い、やがて悪魔のカーニヴァルへなだれこんでゆく」のである。そこから取られた「ロシアン・ダンス」は、二時間にわたる法廷ドキュメンタリーに、異様な迫力をもったカタルシス−−ただし、浄化というよりむしろ異化を目的とするカタルシスを与えるのに成功していると思う。(浅田彰『映画の世紀末』新潮社)

Sunday, February 19

ポーランドについて調べているなかでひっかかった、副田護『中欧の街角から ポーランド三都市・ウィーン旅行記』(批評社)を読む。じぶんの娘がポーランド人と結婚したのを契機に東欧を訪れた旅行エッセイ。いざとなればポーランド語のできる娘に頼れるし、親族大勢で移動していることもあって、異国にいる緊張感の欠けたのんびりかつぼんやりした旅行記。しかし著者の筆致は気負いがなくて、どこか憎めない。