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Monday, January 30

届いた『図書』2月号(岩波書店)をぱらぱらめくっていくなかで、篠田謙一「宣教師のDNA」をおもしろく読む。2014年に文京区のマンション建設現場で発見された人骨が、DNA分析によって、鎖国下の日本に渡来したイタリアの宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッチであることがあきらかになるまでの経緯を述べたエッセイ。

Tuesday, January 31

エマニュエル・リヴァの訃報をうけて、彼女の撮影した広島の写真を発掘するにいたる道程をつづった、港千尋『愛の小さな歴史』(インスクリプト)を再読する。港千尋の数ある著作のなかで、この本がいちばん好きかもしれない。

Wednesday, February 1

ドナルド・トランプはビジネスマンだから大統領に就任したら暴言を控えて職務を遂行するだろうという予想は外れそうな雰囲気で、トランプはスタートから飛ばしまくっている。そんななかで「アメリカ文化を読む」と題する特集を組んだ『ユリイカ』1月号(青土社)をざっと読んだ。いくつかのレポートが指摘するように、トランプ支持者を一枚岩のようにとらえると足元をすくわれる。

Thursday, February 2

さまざまな分野の著名人に食をめぐってインタビューした平松洋子『食べる私』(文藝春秋)をひらくと、冒頭にデーブ・スペクターが登場する。そのデーブ・スペクターの話が抜群におもしろい。デーブ・スペクターは食にまつわるあれこれに一切興味がなく、懐石は食べる時間が長すぎて耐えられないと不満をもらし、わかち合う鍋料理は気をつかうから面倒くさいと文句を言い、バイキングは自分の労働量が多すぎて嫌だと、つづけざまに不平をあらわしたあとでつぎのように語る。

昼はみんなお酒飲まないから二軒目行かないし、よく業界で、「食事でも」って言うじゃないですか。でも、僕はここ二十年、ぜったいに夜行かないのがポリシー。お酒が入ると相手はなに話したか覚えてないし、メール一通ですむのに長いし。お酒は嫌いじゃないけど、家に帰ってから新聞二十紙くらい読んで、海外のニュースやメールをチェックしたり三時間は必要。飲むと集中力がなくなって効率が悪くなる。

食事の時間が無駄だというデーブ・スペクターの主張はとてもよくわかる。わたしは料理もするしそれなりに充実した食生活をおくっているけれども、あれが無駄だという主張に異論はない。無駄だ。そして無駄だと思っているからこそ、ほとんど反動的なまでに洗練させようとしている。一枚のコインの表と裏のようなもので、食の状況は対極であっても、根底を流れる思考はおなじものだ。それにしても、これほどストイックに時間管理をしながら情報収集に明け暮れるデーブ・スペクターのパブリックイメージが、駄洒落ばかり言っている埼玉出身の疑いのあるアメリカ人だというのが素晴らしい。

Friday, February 3

有給休暇を取得。iPadでエコノミスト誌を読む。朝からたっぷり時間のある休日であれば、その日のうちにすべての記事を読み終えることも不可能ではないはずだが、そうは問屋が卸さず、途中でだれる。昼すぎに買いものに出かけ、家に戻って郵便受けを確認すると、『みすず』の読書アンケート特集号が届いていた。

JASRACが大手の音楽教室から著作権料を徴収する方針を発表して波紋を呼んでいる。不特定多数の生徒にレッスンをおこなう音楽教室が、著作権法にある「公衆に直接見せ又は聞かせることを目的」に該当するからだと法理論上は解釈できるのであろうが、音楽教室なんてずっとむかしから存在しているのに「なぜいまさら」という疑問は消えない。まあ疑問もなにも、著作権料がもっと欲しいから以外の理由はないだろうが。ただでさえヤクザ扱いされて嫌われているJASRACが、さらに積極的に嫌われようとしているとしか思えない方策を打ちだす態度には、もはや清々しさすらおぼえる。それはそうと、むかしからある音楽教室の話とは論点がややずれるが、そもそも著作権法が音楽をめぐる現状と乖離しているのがよろしくない。本棚から増田聡『その音楽の〈作者〉とは誰か リミックス・産業・著作権』(みすず書房)をひっぱりだす。

今日の音楽著作権ビジネスにおいては、「作品」が帰属する作者と、その「作品」について制度的に所有権を賦与される音楽出版社、原盤制作会社、他の権利所有アクターは複雑な関係を取り結んでいる。そこでは著作権法は、単純に「作者」の創作的個性を反映した「作品」の所有権を、その「作者」に対して保証するといったものではなく、現在ある法制度や関連規定(JASRACの使用料徴収規定など)をさまざまなアクターが利用しつつ、音楽実践から経済的利益をなんとか回収しようとするゲームの規則として機能するものに他ならない。
著作権法は「帰属」と「所有」の間のルールを定める規範として機能している。しかし、「楽譜として書かれた」音楽作品を念頭に置き、それを書いた一人の「作者」を保護する著作権法のパラダイムは、現代のポピュラー音楽の実践ーーそれはメディア・テクノロジーによって集団的な音楽実践となっており、音楽産業によって様々なアクターが経済的利益を要求することになるーーと齟齬をきたすのである。

JASRACが著作権料の徴収に躍起になっているのは、この「ゲームの規則」がもはや機能しなくなっている証左かもしれない。

Saturday, February 4

今年5月に実施されるフランス大統領選挙をめぐる報道を追っていると、いまフランスで左派が勝利できる雰囲気はあまりなさそうなので、フランソワ・フィヨンvs.マリーヌ・ル・ペンの争いとなり、これはほとんど右翼vs.極右の構図だなと眺めていたら、フィヨンは家族ぐるみの公金横領疑惑という舛添要一のようなネタを暴露されて、一気に評判を落としている。ル・ペンの相手は、独立候補として立候補したエマニュエル・マクロンになりそう。

食材の買いものと旅の調べものをしていたら一日が終わってしまった。

Sunday, February 5

テロ対策を理由にイスラム圏7カ国出身者の入国を一時禁止するトランプの大統領令に対して、ワシントン州の連邦地裁が入国制限の即時差し止めを命じる仮処分を下した。トランプ政権側は異議を申し立てるだろうから、今後は法廷闘争へ。全世界にむかってアメリカの三権分立を見せつけるような流れである。劇場型三権分立。

夜は自宅シネマ。『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years』(ロン・ハワード/監督、2016年)と『メリーに首ったけ』(ファレリー兄弟/監督、1998年)の謎の組み合わせの二本立て。過去のライブ映像をふんだんに盛りこんだビートルズのドキュメンタリーは、当時の観客の熱狂が伝わってきておもしろく見た。現在、どれほど人気のあるアイドルであっても、あんな発狂したようなファンに囲まれているスターは皆無だろう。映画は、ライブにおいて誰も演奏を聴いていないことにビートルズの四人が嫌気をさすという流れなのだが、しかしそもそも、デビョー当時のライブにおいても演奏をまともに聴いている聴衆はほとんどいない(みんな発狂している)。