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Monday, January 23

冷たい風が吹く。

トランプ以後の世界ではピンチョンを読むのがいいんじゃないかと昨晩ふと思いたって、『競売ナンバー49の叫び』(志村正雄/訳、ちくま文庫)を再読する。妄想と陰謀の現実にたいして、妄想と陰謀のフィクションを対峙させる。

西アフリカのガンビアで、昨年の大統領選挙での敗北を無視して居座りつづけたヤヤ・ジャメ前大統領が、亡命するかたちでようやく退陣した。しかし亡命にあたり、1100万ドルもの政府資金を勝手にもちだして国庫が空になってしまったという冗談みたいな現実が起きている。

Tuesday, January 24

喉の様子があやしく、風邪をひきそう。第一三共ヘルスケアの「ルルアタックEX」を飲む。市販薬のなかではそれなりに効く薬だと思うが、副作用として眠くなるうえにだるくなるので、まるで風邪をひいているような症状に陥る。

プラトン『国家』(藤沢令夫/訳、岩波文庫)の上巻を読む。

一般にどのような種類の支配的地位にある者でも、いやしくも支配者であるかぎりは、けっして自分のための利益を考えることも命じることもなく、支配される側のもの、自分の仕事がはたらきかける対象であるものの利益になる事柄をこそ、考察し命令するのだ。そしてその言行のすべてにおいて、彼の目は、自分の仕事の対象である被支配者に向けられ、その対象にとって利益になること、適することのほうに、向けられているのだ。

Wednesday, January 25

ヴァージニア・ウルフ『自分だけの部屋』(川本静子/訳、みすず書房)を読む。ヴァージニア・ウルフはこわい。

Thursday, January 26

御厨貴+芹川洋一『政治が危ない』(日本経済新聞出版社)を読了。事情通のふたりによる政治談義は、政界ゴシップとしてはそれなりにおもしろく読めるものの、裏事情をたくさん知っていることと鋭敏な状況分析ができることとは別次元の話なので、居酒屋でおっさんふたりが喋っている雰囲気以上のものはないように感じた。

Friday, January 27

エコノミスト誌をiPadで。

いまのところ碌でもない発言ばかりしているトランプだが、トランプのような存在がずるいのは、今後少しでもまともなことを言ったりおこなったりした場合、過大評価される可能性があることである。不良が子犬をかわいがるようなもの。

Saturday, January 28

『OZ magazine』2月号(スターツ出版)に載っていた池袋にあるコーヒー専門店「COFFEE VALLEY」に行く。おいしいコーヒーを飲みながら『MONOCLE』2月号を読んでいたら、近くの席にいた女性グループから「ナチスがどうのこうの」と喋っているのが聞こえてきた。今朝耳にしたBBCのラジオニュースでも取りあげられていたが、1945年1月27日にソ連軍によりアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が解放されたことをうけ、昨日27日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」と制定されている。カフェでそんな話が展開されているのかと耳をそばだてたら、このあいだの合コンに来た男がナチスの話をしだしたということだった。その後は合コン参加者たちの容姿と経済力の品評会という、たいへん俗な会話がなされた。

JR池袋駅構内のカレー店「camp express」で昼食ののち、六本木に移動してギャラリーめぐり。「日本のシュルレアリスム写真」(タカ・イシイギャラリー東京)、「戸谷成雄 森X」(シュウゴアーツ)、「ヴァルダ・カイヴァーノ」(小山登美夫ギャラリー)、「リナ・バネルジー」(オオタファインアーツ)、「グレゴール・シュナイダー」(ワコウ・ワークス・オブ・アート)、「山本悍右」(タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム)、「BEYOND 2020 BY JAPANESE PHOTOGRAPHERS #4」(IMA gallery)、「柴田敏雄 31 Contact pprints」(gallery ART UNLIMITED)。日比谷線の隣駅、広尾にも立ち寄って「横須賀功光 光と裸体」(エモン・フォトギャラリー)。

Sunday, Monday, 29

今村夏子『あひる』(書肆侃侃房)を読む。

エマニュエル・リヴァの逝去を知り、本棚からエマニュエル・リヴァの写真集『HIROSHIMA 1958』(港千尋+マリー=クリスティーヌ・ドゥ・ナヴァセル/編、関口涼子/翻訳)をとりだす。1958年、アラン・レネが監督した映画『ヒロシマ・モナムール』(邦題は『二十四時間の情事』)のロケのために来日したエマニュエル・リヴァが、映画撮影の前に広島の市井をカメラにおさめた写真がならぶ。リヴァの撮影した写真の存在は知られることなく、ネガは半世紀にわたり本人の元に保管されていた。

6×6サイズのカメラで写されたのは、原爆投下から13年後の復興途上にあった広島の町の風景であり、人々の生活であり、そして子どもたちである。平和記念公園からほぼ川沿いに歩きながら、彼女は道すがら出会う対象を、やさしく受けとめるようにシャッターを切った。まなざしは柔らかいが、被写体をとらえる観察は驚くほど正確であり、過不足ない構図のなかに水辺の輝きや路上の空気までが写しこまれている。
映画のなかでは、フランス人女性にたいして日本人男性が「君はヒロシマで何も見なかった」という有名なフレーズを繰り返す。現実のフランス人女性は、これに対して、ヒロシマで多くのことを見るだけでなく、それをかけがえのない記録として残したことになる。映画では、記憶と忘却のドラマとは別に、ものごとをよく見ることの大切さを、女性が口にするシーンがあるが、あたかもリヴァは映画の撮影の前に、それを実行したかのようである。
『ヒロシマ・モナムール』は、24時間の後に男女の別離を予感させるシーンで終わる。しかし物語のほうは、FINの字幕とは別にどこかでつづいていたのかもしれない。半世紀の時を流れて現れるイメージは、その瑞々しい生命力をもって、わたしたちと再会する。人生は芸術を模倣するとも言える、ひとつのイメージの奇跡である。
(港千尋「イメージの奇跡 刊行に寄せて」)