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Monday, November 7

ひさかたぶりにマックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄/訳、岩波文庫)を再読。日本のヴェーバー研究の成果を真面目に継承するのであれば、お手軽な岩波文庫ではなく、梶山力による訳文を復権させた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』 (安藤英治/編、未来社)にあたるべきなのかもしれないが、そこまで深追いする気はないので、通勤の読書として選択したのは大塚訳の『プロ倫』。日本におけるヴェーバー研究は、大塚久雄の存在により独特な発展を遂げ、大塚久雄批判によってあらたな展開を見せたように思うが、文庫に附された大塚久雄による解説を読むと、大塚久雄批判が血肉化している身からしても、その鮮やかなまでの啓蒙的な手捌きはさすがだと思う。はたして今、大塚久雄の著作を読む人がどれほどいるのかはわからないけれども。

ヴェーバーが言おうとしているのは、宗教改革後の一時期に、複雑な歴史の織りなす織物のなかに一つの、しかし大切な横糸か縦糸かを禁欲的プロテスタンティズムがつけ加えた、そういうことだけなのであって、宗教改革ないしは禁欲的プロテスタンティズムが資本主義文化をつくり出した、などといったことでは絶対になかったのです。その点はどうぞお間違えないように。(p.409)

Tuesday, November 8

博多駅前の道路が陥没。アメリカ大統領選挙の投票がはじまる。

Wednesday, November 9

冷たい風が強く吹き、冬の寒さ。気象庁は木枯らし1号が吹いたと発表。

ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプというどちらも劣悪な候補者だが、よりマシなほうを選ばなければならないというアメリカ大統領選挙は、事前の下馬評を覆してドナルド・トランプが当選した。ニューヨーク・タイムズのウェブサイトで選挙結果の速報を追っていたら、開票直後はクリントン有利の報らせがあったものの、日本時間の午前11時半ごろには形勢は怪しくなり、正午すぎにはほとんどトランプ優勢の雰囲気で、クリントン推しのニューヨーク・タイムズには悲壮感が漂う。僅差になる可能性はあるものの、最終的にはクリントンが勝利するだろうというリベラル系ジャーナリズムや知識層の予想が、自身の思いの襞が入り混じった希望的観測でしかなかったという事実は、今後検証されるべき事項かもしれない。

このたびの選挙結果をめぐってはさまざまな意見が飛び交っているが、アメリカの政治制度への視点を欠いた見解は、床屋談義の域を出ないように思う。アメリカの政治制度を考慮すれば、大統領交替によって情勢が劇的に変貌することは考えにくいからだ。しばしば指摘されてきたように、アメリカ合衆国の大統領は意外なほど内政に関する権限がなく、連邦議会を敵に回すとほとんど何もできない。オバマが国内政治において医療保険制度改革以外にこれといった実績を残せなかったのは、連邦議会を説得する手腕に欠けていたからである。ちょうど本日読んでいた待鳥聡史『アメリカ大統領制の現在 権限の弱さをどう乗り越えるか』(NHK出版)は、大統領の権限の弱さを歴史的経緯を踏まえて詳述した著作だが、アメリカ大統領制の性格を、明確につぎにように述べている。

アメリカ大統領制を、これまで述べてきた国際比較に基づく分析枠組みに位置づけるとき、その特異性は明らかである。すなわち、アメリカの大統領は憲法上の権限と所属政党指導者としての権力のいずれについても、限定的にしか有していない。
合衆国憲法において「多数者の専制」が生じないように権力分立を導入した経緯から、大統領の具体的な役割は連邦議会の暴走を抑止することに求められた。予算と法案のいずれについても提案権を持たず、連邦議会を通過した法案に対しては全体を拒否する権限しか持たない。拒否権を行使した場合にも、稀にではあるが議会によってオーヴァーライドがなされる恐れもある。大統領行政命令によって一時的に立法機能を代替することも不可能である。その一方で、近年になって変化の兆しが見られるとはいえ、政党の中央組織が実質的な機能に乏しく、大統領は中央組織に関与してもいないというアメリカの政党組織から、所属政党指導者としての権力行使もほとんど不可能である。比較政治学の観点からは、大統領が影響力を行使しにくいことが、アメリカ大統領制の基本的特徴というべきなのである。(p.117)

トランプがどれほど自覚的なのかは知らないが、アメリカ大統領は政策決定を行うにあたって、きわめて制約が大きいという現実が存在する。このたびの選挙で上院も下院も共和党が優勢となったので、穏当な政権運営をおこなえば、共和党から立候補したトランプの方針が通るように見える。しかし、事がそう単純に運ぶかはなんとも言えない。トランプがこれまで共和党の執行部と敵対するような姿勢を見せたりしたのもあるが、それ以上に、これもアメリカ政治の特徴だが、そもそも連邦議会の議員たちは党の方針に従うとは限らず、地元有力者の意見を取り入れながら是々非々で行動する。そのため大統領が意図通りに政権運営を行うには、連邦議会とうまく付き合わなければならないという政治的手腕が必要となる。トランプはビジネスマンなので大統領に就任したら戦略的に物事を運ぶにちがいないという楽観論もあるが、それではワシントンの狡猾な政治家たちと結果的におなじになってしまう。トランプの支持者は彼の「正直さ」に魅了されたのだから、戦略性の発露は諸刃の矢であり、それでもなお有権者の支持が持続するかは不透明である。アメリカ国外の対応についても、実現可能性の低そうな外交や安全保障に関するトランプの荒唐無稽な主張は、なにしろ相手のあることなので自分勝手にできるものでもない。トランプ大統領就任以後については、推量文でしか語れないことが多すぎて動向は未知数としか言いようがないのだが、ひとつあり得ると思うのは、結局そう何も変わらないという事態である。それはちょうど、アメリカ国民がオバマに多大な期待をして、大いに失望することなったように。ふたたび『アメリカ大統領制の現在』から引く。

トランプの当選は困難であろうが、彼がもしも大統領になったらたいへんなことが起こるという不安が、アメリカはもちろん、日本の政策当事者たちの間にも存在することは理解できないことではない。しかし、一人の大統領がアメリカ政治をそれほどまでに変えることができるのだろうか。それは、オバマが唱えた「変革」に対して2008年から09年初めにかけて寄せられた、過剰なまでの期待と実は似通った部分があるようにも思われる。期待と不安という方向性に関しては違っていても、私たちは知らず知らずのうちにまた同じ轍を踏んでいるのではないだろうか。(p.210)

Thursday, November 10

ドナルド・トランプの物真似を練習している。むずかしい。まずは赤いネクタイを買いに行くべきか。

Instagramでセンスのよい写真を撮る外国人ばかりをフォローしているのだが、トランプ当選を受けてタイムラインがお通夜のようになっていた。twitterのタイムラインが自身の都合のよい意見の集合になることはよく指摘されるが、Instagramにおいてもある種の傾向が発生することを知る。街並みや食卓のセンスのよい写真をInstagramにアップしているトランプ支持者はいないのだろうか。タイムラインを眺めていると、とりわけニューヨーク在住者たちの悲壮感がすごいのだけれど、君たちはあのジョージ・W・ブッシュを大統領に据えて8年間も暮らしたのだから大丈夫なんじゃないの? と声をかけてあげたい。駄目かもしれないけど。

Friday, November 11

エコノミスト誌によるトランプ分析記事を読む。社説でアメリカ大統領の権限の制約について触れられているが、逆にいうと、そこにしか希望はないのかという話ではある。トランプの大統領就任後を考えると論点が噴出しすぎて、もはや収拾のつかないのつかない事態に。

Saturday, November 12

恵比寿のRue Favartで昼食ののち、リニューアル後の東京都写真美術館をようやく訪れる。枚数限定のため予定枚数に達し次第販売終了とホームページに予告されている年間パスポートの存在を受付で確認してみたところ、普通にまだ売っていた。もうリニューアルから2か月以上経過しているのだが、大丈夫なのかそれは。「写真新世紀 東京展 2016」と「杉本博司 ロスト・ヒューマン」を鑑賞。杉本博司は相変わらずあざとい。その悪趣味すれすれのあざとさがわたしは割と好きなのだが、嫌な人には、もう坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに嫌かもしれない。どれほど嫌っても杉本博司本人は余裕な雰囲気なのがまた癪に障るという感じで。美術館内のナディッフで、買い逃していた『街道マガジン』vol.3を購入。尾仲浩二は乙女チック少女漫画が好きで『りぼん』を買っていたという話に仰天する。

ナディッフアパートに向かい、「ニァイズ」のバックナンバーを漁り(東京都写真美術館には過去2号分しかなかった)、葛西薫デザインのカレンダーを買う(東京都写真美術館のナディッフには罫線なしのものがなかった)。地下の展示室で「植松琢麿 space colony」、MEMで「森村泰昌展 「私」の創世記」、G/P galleryで「photography / magic」を見る。

日比谷線で恵比寿から銀座に移動。8階から9階に移転していたギャラリー小柳で「かんらん舎(1980-1993):Daniel Buren/Tony Cragg/Imi Knoebel」、ツァイト・フォト・サロンで「友人作家が集う 石原悦郎追悼展 『le bal』」、メゾンエルメスで「ミシェル・ブラジー リビングルームII」を見る。銀座ライオンのビヤホールで麦酒とソーセージの小休憩。資生堂ギャラリーで「Les Parfums Japonais 香りの意匠、100年の歩み」を見て、季刊になった『花椿』を入手してから帰宅。

Sunday, November 13

シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ・オハイオ』(小島信夫、浜本武雄/訳、講談社文芸文庫)を再読。この小説をいま読み返してみたくなったのは、ジョージ・W・ブッシュがアメリカ大統領に再選された際に、外岡秀俊が『傍観者からの手紙』(みすず書房)のなかでつぎのように書いていたのを思い出したから。

今回の選挙の結果を決めたのは、やはり最激戦と呼ばれるオハイオ州でした。テレビの開票速報を見ながら、私はオハイオの架空の町の住人を描いたシャーウッド・アンダーソンの小説『ワインズバーグ・オハイオ』(小島信夫氏他訳、講談社文芸文庫)を思い浮かべていました。第一次大戦のさなかに書かれたこの巧みな掌編集は、中西部の田舎で「ひねこびた林檎」のように生きる人々の心性を多彩に、克明に描き出したサーガです。米国が孤立主義に引き籠もった時代を象徴する作品といっていいでしょう。
「宗教化する米国」を徒に恐れるのでなく、また蔑むのでもなく、その素顔を深く理解するには、アンダーソンのような目で生身のアメリカ人を見ることが必要でしょう。文学の方法論が歴史とともに古びることは、決してないと私は確信しています。(p.113)