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Monday, October 31

『MONOCLE』のPodcastでリュック・タイマンスがインタビュイーとして登場しているのを聴いて、たしか家の本棚に画集があるはずと探したら、あったのはミヒャエル・ボレマンスの画集だった。

夜、自宅シネマ。トッド・ヘインズ監督『キャロル』(2015年)を見る。いい映画を見た。

Tuesday, November 1

外来の風習のなかで、いつまでたっても感謝祭の根づくことのない日本では、ハロウィンが終了した瞬間、突如クリスマスがやってくる。もうクリスマスだということで、先日購入したレコードからフィル・スペクター制作のクリスマスアルバム「A Christmas Gift for You from Phil Spector」を聴く。

夜、復刻された長谷川町子『サザエさんうちあけ話』(朝日新聞出版)を読む。

Wednesday, November 2

J.S.ミル『自由論』(塩尻公明・木村健康/訳、岩波文庫)を読了。

職場の歓迎会という事務作業を終えてから、よしながふみ『きのう何食べた?』(講談社)の最新刊を買って帰る。このマンガに出てくる人物たちは、しょっちゅう誰かに泣きついているな。

Thursday, November 3

文化の日は晴れる。快晴。注文しておいたヘルシンキ・スクールの一員であるスサンナ・マユリの写真集『Sense of water』(KEHRER)が届く。

このあいだ日経新聞の読書面で國分功一郎が言及していたのを読んで懐かしくなり、東浩紀『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』(新潮社)を再読した。書棚が手狭になった際、『批評空間』やら『現代思想』やらの雑誌とともに道連れのように処分してしまったので手元になく、図書館で借りることにした。表紙をめくると「この資料は劣化資料です」という随分な文言の記された紙片がさし挟まっていたのだが、しかしもちろん、劣化との指摘は内容ではなく書物の体裁にかかわる話で、つまりは過去にそれなりの頻度で貸し出されたことを意味する。最後までちゃんと読まれたかどうかはともかく。『存在論的、郵便的』の刊行は1998年。わたしが読んだのは1999年のことで、大学一年生であったこちらの学力の問題もあり、理解の届かない部分がかなりあったのだが、このたび否定神学的思考を執拗なまでに批判する本書を読み返してみたら、最後の章ではかなり込み入った議論をしているものの、わからない箇所はほとんどなかった。こちらの学力がそれなりにましになったということかもしれないけれど、もっとも、読んで理解できることと実際に書くことはまったく別の次元の領域であり、議論の妥当性はともかく、このような本を二十代で書いた東浩紀は凄かったとあらためて思う。そして、東浩紀がいまのような感じになるとは当時誰も予想しなかったんじゃないかとあらためて思う。

Friday, November 4

フィリピンの大統領ロドリゴ・ドゥテルテの名前が言いにくいので、わが家では、フィリピンの顔がゴリラに似た大統領、略してフィリピンのゴリラと呼んでいる。

Saturday, November 5

板橋区立美術館で見た「よりぬき長谷川町子展」の展覧会図録に、長谷川町子の妹である長谷川洋子の文章が冒頭に掲載されている。長谷川町子美術館の学芸員・橋本野乃子が長谷川洋子に向けて手紙で質問し、それに対して回答するという形式なのだが、回答の最後に「追伸」としてつぎのような記述がある。

川口さん(長谷川町子美術館館長)、橋本さんを含めて美術館の方達は町子像を世間に紹介する役目を背負っていらっしゃると思います。その場合、正面から見た、表の町子像だけでなく立体的な三次元の姿をとらえて頂きたく、良い面も悪い面もなるべく正確に書きました。

良い面も悪い面もとあるが、サザエさんの名前のルーツは志賀直哉の短編小説『赤西蠣太』の登場人物からであるのに長谷川町子はのちのインタビューで「読んだことはない」と答えていただとか、サザエさんのアニメ化に際して画面に出る原作者の名前の字が小さいとクレームをつけて大きくしてもらっただとか、かなり「悪い面」を暴露している。これは何かありそうと気になって、長谷川洋子『サザエさんの東京物語』(文春文庫)を読んでみると、晩年は良好な関係とは言い難いものがあったよう。黙っておかずにある種の権威崩しが必要であるかの議論はともかく、親族ならではの親族でしかわからない「不満」が蓄積していたというのは、話としてはわかる。

夜、自宅シネマ二本立て。小津安二郎『お早よう』(1959年)、ジャック・タチ『ぼくの伯父さんの休暇』(1952年)を見る。小津映画に出てくる高橋とよの存在がいつも気になる。高橋とよを軸に据えた小津論というものは存在しないだろうか。

Sunday, November 6

秋の鎌倉散策へ。移動の電車で、『UP』(東京大学出版会)と『みすず』(みすず書房)を読む。『みすず』をひらけば、ブレイディみかこがイギリスの貧困地域の託児所がフードバンクに変わったと訴える話につづいて、丸元淑生の『家庭の魚料理』について綴る三浦哲哉の連載がくるというごった煮ぶり。

鎌倉着。江ノ電で由比ヶ浜まで。松原庵で昼食。予約をしなかったので一時間ほど待つことに。こちらでお待ちいただくことも可能ですと紹介された隣接するカフェで赤ワインを飲み、だし巻き玉子と鴨南そばを食べながら麦酒を飲んだ。

由比ヶ浜海岸で海を見て、高徳院で鎌倉大仏を見て、鎌倉文学館で薔薇を見た。鎌倉の大仏をはじめて見た。小津安二郎の『晩春』のなかで杉村春子が財布を拾ったのはどのへんだろうかと大仏の周囲を歩いたのだが、あとで確認したら大仏がでてくるのは『麦秋』で、財布を拾うのは鶴岡八幡宮だった。鶴岡八幡宮には今日は寄らずに帰宅。