Monday, August 17
イメージフォーラムで『フリーダ・カーロの遺品 石内都、織るように』(小谷忠典監督、2015年)を鑑賞。現在を生きる石内都が、かつて主人とともに生き、今は残されたものとして存在する、フリーダ・カーロの遺品を撮る。フリーダ・カーロは知っていたもののそれほど興味は持ってなかった、と語る石内都の撮影方法が少しずつ変化していくことがわかる。フリーダの熱狂的なファンともいえるわたしは、石内都の中立的な目を通して、過度にドラマティックでヒロイックな存在としてではなく、メキシコの歴史や風土や文化や生活、この土地の大きなうねりの中で、すべての人と同じように唯一無二の人生を生きたフリーダをとらえることができた気がした。あがってきたプリントを初めて見た石内都の表情と、発した言葉は忘れられない。「はい。写ってます。フリーダ・カーロちゃんと写ってます。大丈夫です。」なんてぐっとくる言葉だろう、“フリーダ・カーロがちゃんと写ってます”。そうして石内都は涙ぐむのだ、あの明るくさっぱりとして気丈そうな石内都が。
窓辺に吊るしたフリーダのペチコートを逆光で撮影するシーンも、神々しいくらいに美しかった。石内都が撮ったのはフリーダが残したドレスやコルセットや靴や薬といった「もの」だけれど、その向こうには、過ぎ去った時間やメキシコの風土、人々が育んできた文化、日々の営みもひろがっていて、この映画を観た人は、そのことを確実に実感できるだろう。映画としてはパーフェクトというわけではないが、いろいろとひっかかりがあって、さまざまなことに思いを馳せることのできる作品だった。
夜は、自宅で『ウィークエンドはパリで』(ロジャー・ミッシェル監督、2013年)を観る。こういう映画だとは思わなかった! ゴダールへのオマージュかあ。ずっと、走っているものね。
Saturday, August 22
朝7時50分から美容院で髪の毛をカットしてもらって、10時前、東京駅を出発する東海道本線に乗り込む。目指すは三島。まずは腹ごしらえ、牛タン弁当とサラダをいただく。美味しい。茅ヶ崎を過ぎたあたりの窓から見える、海に注ぎ込む川面の美しさに興奮する。船も幾艘か浮かんでいる。大磯あたりで一度海原が見えて、またしばらく見えなくなる。国府津手前で、間近に海。台風の影響で、怖いほどに波が高い。エメラルドグリーンの海が綺麗だ。早川と根府川のあいだはまさに海沿いを走る感じで、緑も多く、散歩して、町の歩道から見る海の写真を撮りたい! と思う。真鶴も歩いてみたい場所のひとつ。
三島に到着。ホームに降り立つと遠くに山並みが見える。バス停に着いたらものすごい人の列で、なんだなんだ、と戸惑う。まさかクレマチスの丘に向かう人々ではあるまいて、と訝しんでいたら、どうやら富士山麓で長渕剛のライブがあり、そちらへ向かう人々とのこと。長渕ファンを一度にこんなにたくさん見たのは初めてである。
ヴァンジ彫刻庭園美術館で「クリスティアーネ・レーア 宙をつつむ」を鑑賞。良かった……来て良かった。吹けば飛ぶような植物の種子や馬の毛で構築された構造体の、奇妙な安定性と儚い美しさ。幼い頃から草や花や虫や土に触れる機会が多かったわたしにとっては、レーアの作品を見ることイコールそれらの質感を古い記憶の中から探り出す作業でもある。展示室を歩きながら、子どもの頃から大好きだった、こんもりした低木や草の茂みの姿や手ざわり、その中に潜り込みたくなる衝動、低木の下に寝転がると木の枝や葉っぱの匂いを吸い込みながら遠くに空を眺めることができる、木の枝がちくちくして痛い、草や土に接した身体はみるみる湿気を帯びるーーといった感覚を呼び起こした。レーアは18歳の時から馬を飼っていたそうで、前からなぜ馬の毛というマテリアルを選んだのだろう、と思っていたが、これで謎がとけた。こうした必然性とも呼べる事実の強度に、最近とりわけ興味があるというか、駆動される。
続いてIZU PHOTO MUSEUMで「戦争と平和—伝えたかった日本」も観る。バスの時間までわりと余裕があると思っていたが、詳しい解説やキャプションを読んでいたらみるみる時間が経ってしまい、焦った。ギリギリまで集中して観て、バスに飛び乗り、三島駅へ。北口の寿司屋でお寿司をつまんで、帰りの電車ではあっという間に夕闇に包まれ、当然、海は見えない。