Saturday, November 1
午前4時半からラジオを聴く。この半年間というもの、バタバタだったが、明け方に聴くラジオと、部屋に飾った花には本当に助けられた。眼の痛みのせいで早朝に本を読むこともパソコンに向かうこともできない日が増えたいまでは、ラジオを聴きながら花を眺めてぼうっとするのが心休まる早朝の過ごし方。老人か。眼はあまり酷使し続けなければ回復するだろうけれど。明け方に写真集を眺めるのも、とても心落ち着く行為だった。
しとしと雨が降っている。晩秋の雨はことさら冷たい。朝は軽く、ヨーグルトと珈琲のみ。出かける支度をして外苑前まで。WORLD BREAKFAST ALLDAYでクロアチアの朝ごはんを美味しくいただく。ちょうどお客さんが我々のほかにもう一組しかいなかったので、店主の方とかなり長い時間おしゃべりしてしまった。いろいろな話が聴けてとても楽しかった。わたしは異国のレシピを2つ、紹介した。数分歩いてワタリウム美術館で「磯崎新 12×5=60」を鑑賞。建築の展覧会は苦手だけれど、これは楽しめた。
その後、学芸大学まで移動し、SUNNY BOY BOOKSで『In-between 6 野村恵子 イタリア、スウェーデン』(EU・ジャパンフェスト日本委員会)、津田直『SAMELAND』(limArt)、『なnD 2』(nu)を買う。重くなったバッグをさげ、CLASKA 1階のカフェで赤ワインを飲んで休憩。雨はまだやみそうにない。
代官山へ。雑貨屋を数件めぐる。お店に出入りするたびに傘をさしたり閉じたりせねばならず、猛烈にイライラする。わたしは心底雨が嫌いだ、というか、もしかしたら傘をさす、という行為が嫌いなのかもしれない。その一方で、折りたたみ傘をたたむ作業が大好きだったりする。乾かした折りたたみ傘を丁寧にたたんだり、液体石けんやシャンプーやリンスを詰め替えたり、花瓶の水を変えたりする時、生活生活、と思う。雑貨屋ではほしいものがないわけではなかったが、何も買わず、代官山TSUTAYAで1時間ほど本を見る。夜はIVY PLACEにて。ビーフとラムのスパイシーミートボール、チキンとくるみとフレッシュグレープのグリーンサラダ、チキンレバーソテーとマスカルポーネのレモンクリームリゾット、ビール1杯に赤ワイン2杯。IVY PLACEは代官山T-SITEができた直後に一度行ったきりだったけれど、大好きなお店。お料理は美味しいし、落ち着いて過ごせる。訪れる客を見ているのも楽しい。お給仕担当の店員さんが終始同じで、きょうも、お会計は別の人にお願いしたが、最後の締めの時にはわたしたちのテーブルの担当の人にレシートを渡して、最後の挨拶ができるようにしてくれたのが席から見えて、こういう心遣いはいいなと思う。外国のカフェ慣れしている人などそのように強く感じるのではないだろうか、まあ、外国もいまは、実際は、どうなのだろう、担当したテーブルを終始担当する、という慣習はいまでは薄れかけているのかな。わずかながら自分が海外のレストランに入った経験としては、わりと同じ店員がずっと担当してくれているように思えるのだが。
TSUTAYAで金井美恵子『砂の粒/孤独な場所で 金井美恵子自選短篇集』(講談社文芸文庫)を買って帰る。1680円。文芸文庫高いわー、と、あらためて。帰宅。雨はしょぼしょぼとしつこく降り続けていた。ほんとにしつこい。
Sunday, November 2
きょうは横浜へ。日本大通り駅で下車し、久しぶりにCharan Paulin(チャラン・ポラン)でお昼。本日のおばんざいプレートは、十六穀ごはん、新秋刀魚の甘露煮、ごぼうとこんにゃくのキンピラ、柿とかぶの白和え、里芋の唐揚げ、にんじんとクミンのサラダ、おから、味噌汁、ほうじ茶。港を眺めながらいただくここのごはんは、いつ食べても美味しい。そして必ず、わたしもお料理がんばろー、と思い、翌日には数品真似してつくることになる。
お店を出て歩きながら、このあたりの街の景色は本当に良いなあ、子どもの頃は当然まだ良さを理解できなかったけれど、高校生になった頃からか、大好きな場所になったなあ、とつらつら考えた。ちょくちょく来られるわけではないけれど、定期的に足を運びたい場所のひとつだ。山下公園、港の見える丘公園を散歩。停泊している客船の太い鎖のひとつひとつにカモメたちがとまって整列している姿が可愛く、皆、写真を撮っていた。わたしもパチリと。
神奈川県立近代文学館で『須賀敦子の世界展』を鑑賞。須賀敦子の著書はほとんどすべて読んでいるし、経歴や業績もひととおり頭に入れているつもりだ。端正で繊細で芯のある文章のように、彼女の人柄もまた非常に折り目正しく、律儀で、芯の強い女性であろうと、これまで想像してきた。でも、展示内容を追うごとに、それだけではなく、須賀敦子には圧倒的な「明るさ」というか、「陽」の気質が備わっていたように思えた。この文献とかあの手紙を読むとわかるとか、具体的な因子は挙げられないけれど、全体的な印象としてそう感じられ、それは同時に、なんというか、この自分が勇気づけられることでもあった。生きていて勇気づけられることなどそうそうないのだから、そういう意味でもやはり須賀敦子は偉大だ、と言っていい。
山手イタリア山庭園まで歩いて、「外交官の家」の喫茶室Bluff Garden Cafeでチョコレートのソフトクリームを食べたらやたらと美味しく、疲れが一気にとれた。元町のショッピングストリートを抜けて、中華街へ。上海豫園小籠包館にて、鮮肉小龍包、春巻き、野菜スープ、チンジャオロースー、海老のチリソース、ビールをいただく。このお店は料理家の野口真紀がおすすめしていて、わたしは彼女のレシピが大好きで、それはつまりわたしと味覚が非常に似ていると認識しているため、中華街に来たときはだいたいここを選ぶ。あともう一軒おすすめしていたお店があり、そこも美味しいのだが、店内がちと狭いのだった。食後、照宝で27cmの檜の蒸篭を購入。ついに買ったぞー。これまで杉の蒸篭を2つ使い倒し、そろそろいいよね、ということで最高級の檜の蒸篭に手を出した。ちかいうちに無水鍋も買う予定だし、またお料理がんばろー。
帰宅し、夫に、わたしが感じた須賀敦子の「明るさ」について思うところを話したら、実際、本当に明るい人だったらしく、何かで読んだというその人柄をうかがわせるエピソードを教えてくれた。まあ、そうした表出される部分ももちろんあるけれど、内部にとても大きな光を蓄えているような、うまく言えないけれど、そういう明るさを強く感じる。