インテリ、ボケはじめました。

「今回は「インテリがボケるとどうなるのか」をテーマに喋ります。休日の昼下がり、銀座の三笠会館にあるイタリアンレストランで白ワイン片手に」

「優雅ですね」

「なにしろ掲げているテーマが「インテリ」ですから」

「インテリはわかるとして、「ボケる」っていうのがどうも……」

「誤解されないように言っておくと、「ボケる」といっても知識人が認知症を患う話ではありません」

「だれも誤解しませんよ」

「インテリが笑いをとるとどうなるのか、というのが趣旨です。「恍惚の人」の話ではありません」

「だからわかってますって」

「では、インテリがボケるひとつの事例として、むかし宮沢章夫が朝日新聞に連載していたエッセイで斎藤信治『刑法総論』(有斐閣)を紹介しているんだけど ((『青空の方法』朝日新聞社(朝日文庫)、118頁。))、 とにかくでてくる例文がすごいと。刑法の「実行の着手」にあたるかどうかを問う議論のくだりで、つぎのような例文を繰りだしてくる。

甲は、今後、一流の泥棒になって立派な生活をしたいと思い、まず、多くの種類の合鍵を収集した。

と」

「一流の泥棒って……」

「変でしょ。ほかにも

甲は、山奥で、真赤な顔をし、毛むくじゃらで、訳のわからない声を出している西洋人を、人かと思われる形状のものとは認識しつつ、 人ではなくヒヒか何かと考えて、殺してしまった。

とか」

「なんですか、これ?」

「刑法の本ですよ」

「それはわかりますけど……」

「宮沢さんが引用しているのは「改訂版」ですが、調べてみると『刑法総論』は第六版が最新のようです。ぜひ読んでみたい。 裁判員制度が導入された日本において必読の一冊かもしれませんよ。「ヒヒか何かと考えて、殺してしまった」容疑者の裁判に立ち会う可能性だってなくはない」

「はあ」

「で、インテリがボケるというテーマで紹介しようと思ったのは、長谷部恭男『憲法のimagination』(羽鳥書店)と 須藤靖『人生一般ニ相対論』(東京大学出版会)です。前者の専門は憲法、後者の専門は理論宇宙物理学。どちらも東京大学の先生ですね」

「いまの説明では申し訳ないですけど読んでみたいとはまったく思わないのですが……」

「ふつうそうでしょうけど。いずれも東京大学出版会の広報誌『UP』に連載されていたものを中心にまとめた書籍です。 インテリがボケるという題目においては『UP』の存在が外せないと思ったんですよ」

「外せないと言われましても。東京大学出版会ってみんな知ってるんですかね?」

「大学出版局の本って読みませんか?」

「うーん、学生や院生、研究者ならともかく、ふつうの会社員はあまり読まないんじゃないかと思いますけど」

「こちらもふつうの会社員なんですけどね」

「「ふつう」の定義がぐらつきますね。だって難しそうでしょ、端的に言って」

「あまり馴染みがない人も多いでしょうけど、大学出版局の本も読んでみるとおもしろいですよ。名古屋大学出版会とかしばしばいい本をだしますし」

「んー、法政大学出版局くらいであれば買ったことありますけど」

「法政大学出版局はメジャーですね」

「「メジャー」の定義もぐらつかせる気ですか」

「いまちょうど渡辺浩『日本政治思想史—十七~十九世紀』(東京大学出版会)と石原あえか『科学する詩人ゲーテ』 (慶應義塾大学出版会)を読んでいるんですが、 おもしろいですよ。そんなにむずかしくない。大学出版局はたしかに難易度の高い専門的な本も上梓しますけど、一般読者でもじゅうぶん愉しめる本もいっぱいでてます。数年前にみすず書房の広報誌『みすず』の「読書アンケート特集」で陳染『プライベートライフ』(関根謙訳、慶應義塾大学出版会) が紹介されていて。 挙げていたのは中国文学の藤井省三だったかな。これ、中国の現代小説で、新潮クレスト・ブックスだとか、いまなら白水社のエクス・リブリスだとかから 出てもおかしくないような内容なんですよ。大学出版局の本を追ってみると意外な発見があったりします」

「そう聞くとちょっとおもしろそうですけど。でも『みすず』の「読書アンケート特集」で知るってルートもなかなかないですよ。 今年の「読書アンケート特集」をちらっと読みましたけど、知らない人が知らない本を紹介していて……。 人文科学・社会科学・自然科学の学者の方ばかりなものだから、そのあたりの知識のない者にはやっぱりキツイですよ、正直。ハードル高いです。 大竹昭子とか坪内祐三とか見知った名前を目にしたらホッとしましたもん」

「でもぜんぜん知らない分野の人の回答でも侮れないのが「読書アンケート特集」ですよ。今回のでいちばんすごかったのは小西正泰という昆虫学の方です。 三橋淳『昆虫食古今東西』(工業調査会)という本をとりあげていて、その紹介文が

近年、昆虫食にかかわる本の出版が目立つ。

と」

「へ?」

「どこで目立ってるんでしょうか、昆虫食の本。ぜんぜん知らないんですけど。本に関してはそれなりに知ってるつもりだったんですけどね。 本好きの看板を外したほうがよさそうです。ほかにも青木淳一『ホソカタムシの誘惑—日本産ホソカタムシ全種の解説』(東海大学出版会)とか。でました大学出版会」

「ホソカタムシを知らないです」

「ホンマタカシなら知ってる」

「でもこの本、Amazonでレビューが三つもついててどれも高評価です。養老孟司が毎日新聞に書評を書いていたんですね。それにしても世の中、知らないことだらけです。「読書アンケート特集」で紹介されている膨大な本のなかでわたしが惹かれたのは アルフレート・デーブリーン『ポーランド旅行』(岸本雅之訳、鳥影社)ですね。ポーランド好きなもので。版元がローベルト・ヴァルザー作品集をだしている鳥影社なのもポイントですよ」

「大学出版局ネタの向こうを張るマニアックな話がでてきたところで、ではそろそろ長谷部恭男『憲法のimagination』と須藤靖『人生一般ニ相対論』について触れておきましょうか。インテリがどのようにボケているかという話ですが、長谷部さんの本はわりとまじめです。 「日本国民、カモーン!」や「「ガチョーン!」の適切さについて」といったタイトルのエッセイが収録されています」

「どこがまじめなんですか」

「まじめですよ。前者は『となりの801ちゃん』の引用からはじまる憲法制定権力をめぐる議論で、後者は谷啓のギャグを導きの糸にH・L・ハートの提示する「認定のルール」とその概念の出所であるウィトゲンシュタインの「規則」に関する哲学の話をしてます」

「さっぱりわからないです」

「ええ、無理があるな、と思いながら喋ってますが。長谷部さんの本でいちばん最初に読んだのは『憲法と平和を問いなおす』(筑摩書房)で、立憲主義をめぐる話にとても感銘を受けまして。だから基本はまじめな議論をする人なんですが、時折ふとよくわからないことを言いだすんですよ。たとえば政治学者の杉田敦との対談で「たとえばこういう話はどうですか」と喩話をはじめるのだけれど、これがまた唐突感あふれてて。

いま多くの難民が来るとわれわれの生活の水準が下がる。そのために、もう能楽が鑑賞できなくなってしまう。その次の難民の方がどんどんやってくると、今度は文楽が観られなくなる。さらに難民が来て、最後に長谷部教授の歌うビートルズしか聴けなくなってしまう。善がどんどんわれわれの生活から失われていきます。仮にどこかで歯止めをかけるとすると、なぜ最初の能楽でいけないのか。 ((『これが憲法だ!』朝日新聞社(朝日新書)、164頁。))

と言いだす。わかるようなわからないような喩えで。難民と長谷部教授の歌うビートルズ。唐突でしょ」

「唐突ですね」

「理性を維持したままボケる。ボケているのかも、ちょっと曖昧な感じ。長谷部さんの文章に較べると須藤靖『人生一般ニ相対論』はけっこうわかりやすくボケてきます」

「さきほどちょっと読みましたけど、この本、ほんとにくだらないことばかり書いてますね。電車のなかで笑いをこらえるのが大変でした。物理学の先生が書いたものとは思えない」

「あとがきで著者の記す妻の突き刺さるような意見がいいんですよ。

単行本の話を聞いた家内は「あんな文章はタダだから読むのであって、お金を払ってまで読む人がいるとは思いがたい。即刻やめるべきだ」と言い放った。さらには「ただでさえ中身がないと感じていたが、回を重ねるたびにくだらなさが増幅されているだけである」と、身内ならではの温かさがにじみ出た極めて率直な意見を述べてくれた。説得力に溢れたコメントであることは素直に認めよう。

だそうです」

「いいですねー」

「読んでいて気づいたのは『憲法のimagination』にせよ『人生一般ニ相対論』にせよ、自身の妻に対してのどこか屈折を含んだ微妙な物言いをしてるということです。『憲法のimagination』では

配偶者が洗濯物はどうするのかと聞いているのは、別に疑問を提示しているわけではなく、その語用論的な意味は「あなたが帰宅して取り入れてくれるんでしょうね」という事実上の命令だし、それに対する筆者の応答も認識の表明ではなくて命令の応諾である。 ((『憲法のimagination』、104頁。))

とあるし、『人生一般ニ相対論』では

しわとりエステに通うことを検討されている女性の皆様は、(a)ほとんど効果がなく無駄にお金を費やしてしまう、あるいは全く逆に、(b)効果てきめんでしわはなくなったもののそれとひきかえに自分の大切な刻印を失ってしまう、のごとく、いずれの場合も重大な危険性をはらんでいることを十分認識し、さらに家計の状況も勘案しながら、ご家族と慎重に協議した上で最終的に決断されることを切に望む(ちなみに、この注はけっして私の家内に宛てた個人的な文章ではないことは、いくら強調しても強調しすぎることはない)。 ((『人生一般ニ相対論』、105頁。))

と書いてる」

「なんでしょう、この奥歯にものが挟まったような言いまわしは。インテリがボケるとまわりくどくなるんでしょうか」

「言いたいことは言っているし、笑わせようとしてるんだけど、どこかひっかかりを残す文章。ちなみにさきに挙げた渡辺浩『日本政治思想史—十七~十九世紀』でもちらっとでてくるんですよ、そういうのが。

徳川家当主には、「天下様」「天下殿」、そして「天下」としての威信があった。それは、彼が織田信長・豊臣秀吉から受け継いだ、戦国の覇者としての呼称である。本来、「天子」の統治対象を指す語が、現実の全国統治者の呼称に転化していたのである(「天下」が恐ろしい支配者の呼び名であるとは奇妙なようだが、今でも「かかあ天下」という)。 ((『日本政治思想史—十七~十九世紀』、58頁。))

こうしてみてくると男性インテリにおける配偶者の立ち位置という問題について考えさせられますね」

「テーマが変わってますよ」

2011年2月某日 銀座 三笠会館 Trattoria Mezzanino にて ( 文責:capriciu )