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Monday, September 22

4時30分起床。早起きして稼いだ時間を読書に充てようとはりきって起きたが、起きるのが早すぎてはりきって眠い。ルイジ・ギッリ『写真講義』(萱野有美訳、みすず書房)を読んで、本棚から彼の写真集It’s Beautiful Here, Isn’t It…をひっぱりだして眺める。ウィリアム・エグルストンが序文を書いているこの写真集は、京都を旅したときに恵文社一乗寺店で買った。読んでいるうちに朝食の時間。ベーグルと珈琲。

最後に、一九八八年、ヴェネツィアでの春めいた夕暮れ時のギッリを思い出す。その晩、彼はアメリカの偉大な写真家、ウィリアム・エグルストンとヴェネツィアの細道を歩いていた。エグルストンは背が高く、痩身で、アメリカ南部の紳士の風格だった。その隣にいるギッリは、エグルストンの肩ほどの背丈に、軽装としか言いようのない格好をしていた。コーデュロイの長ズボンに、いくぶんくたびれた上着のギッリ。
二人がどんなふうに話していたかを憶えている。相手の気を引こうとせず、それぞれがそれぞれに話していた。まるで古い仲間同士のように話していた。おそらく二人ともその時代の空気に傷ついていたのだろう。彼らは偉大な注視者、そして丸腰の男。彼らは、彼らの空気のなかで、一時停止しているかのようだった。
(ジャンニ・チェラーティ「ルイジの想い出 写真と友情」)

彼らは偉大な注視者、そして丸腰の男。

午後、5時間半にわたる打ち合わせで疲労。会議の最後のほうは、相手の外部業者の人の声が小さく、こちらの声も小さく、お互いに何を言っているのかわからない状態に。夜、月見うどん。トッピングに炒めた豚肉と、茹でたキャベツと油揚げ。麦酒を飲む。

Tuesday, September 23

秋分の日。朝、目玉焼き、ベーコン、バゲット、グリーンリーフ、珈琲。

きのう読んだ「注視者」という言葉からの連想で、本棚から港千尋『注視者の日記』(みすず書房)をとりだす。ストラスブールで開かれた作家会議「文学の十字路」を取材した著者は、登壇したサルマン・ラシュディについて、

何十枚という重たい防弾チョッキと防弾ガラスとその他諸々の武器に囲まれている人間の、この軽さは、いったい何なのだろう。サルマンは、一晩かぎりの印象を正直に言えば、頼もしい偉丈夫だが、これといって特別なところはない人である。まったく普通に付き合うことのできる、ジョークのうまい男なのだ。だがサルマンは、ただの作家をこんな状態に陥れた政治のために、ひとりの人間が現代の恐怖といかに格闘するかという、ドラマを生きることになってしまった。

と書いているのだが、このくだりを読んで、そういえば積ん読状態で放置しているラシュディの自伝のことを思い出して、午後の時間をその読書にあてる。Salman Rushdie, Joseph Anton: A Memoir。ホメイニーによる死刑宣告のあたりまできて、ぐっと面白くなるのだが、しかし死刑宣告の場面がいちばん面白いというのは作家の回顧録としてどうなのか。平易な英文で書かれているが、如何せんぶ厚い本なので読了は当分先になるだろう。

夜、中村屋のレトルトカレー(スパイシーチキン)とサラダ、麦酒。

Wednesday, September 24

朝、ピザートースト、珈琲。

昼休みに会社近くの図書館に予約した本を取りにいく。持ち帰るのに難儀する重たい本ばかりを借りてしまう。西にある台風の影響か、帰宅時の東京は雨模様。郵便受けをのぞくと雑誌『MONOCLE』が届いていた。『MONOCLE』のホームページをみたら、スマホ用の無料ラジオアプリをリリースしたとの情報があがっていたので、早速ダウンロードしてみたら予想どおりいまいち使いづらいよく落ちる代物だった。これまでどおりPodcastで聴くことになるだろう。

夜、醤油ラーメン、麦酒。

Thursday, September 25

台風は温帯低気圧に変わった。窓の外が暗い。朝、バゲットにレバーパテを塗る。珈琲。

鳥飼玖美子『英語教育論争から考える』(みすず書房)を読む。最後の異文化理解について語るあたりはやや風呂敷を広げすぎな感のある展開だったけれど、1970年代に起こった「英語教育論争」(当時参議院議員であった平泉渉が提出した英語教育改革の思案に対して、渡部昇一が反論し、論争になった)について分析した箇所はおもしろく読む。当時の論争状況について知るだけでも益のある本で、それにしても「論争」というのは姿を変えてくり返されるものだなあとしみじみ。

夜、茄子、玉ねぎ、ピーマン、ベーコンを炒めて、白ワインで蒸し、パスタと和える。赤ワイン。

Friday, September 26

朝、ベーコンポテトドッグ、珈琲。

帰宅すると郵便受けに『装苑』11月号(文化出版局)が届いていた。『装苑』をひらくまえにiPadで今週号のエコノミスト誌を読む。読み進めていると、つぎのような広告が挟み込まれていた。

http://shop.economist.com/

なんだろうこれは。今週号にはヘイトスピーチやパチンコ産業など日本についてとりあげた記事が載っているのだが、そんなことよりこの広告だ。エコノミスト誌はTシャツやマグカップやトートバッグをつくっているのか。冗談としか思えず、実際冗談なのかもしれないが、微妙な本気さを感じさせるので反応に困る。Tシャツはアメリカンアパレルがつくっているし。イギリス人のインテリが考えることはわからん。

夜、ケンタッキーフライドチキンと麦酒。野菜不足のダメな見本のような夕食。

Saturday, September 27

朝、コーンとチーズのトースト、珈琲。

ゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」(NHKFM)でかかる音楽が部屋のスピーカーからは流れ、窓の外から近所の小学校からと思われる運動会の音が聞こえてくるなかで、『装苑』11月号(文化出版局)のページをめくった。

正午過ぎ、銀座の三笠会館にあるMezzaninoで昼食。食後は銀座のギャラリー遊覧。LIXILギャラリーで「建築の皮膚と体温 イタリアモダンデザインの父、ジオ・ポンティの世界」と「木村恒介展 光素(エーテル)の呼吸」。ギャラリー小柳でHIROSHI SUGIMOTO「ON THE BEACH」。Art Gallery M84でJeanloup Sieff写真展「美の視点」。ギンザ・グラフィック・ギャラリーで「So French Michel Bouvet Posters」。資生堂ギャラリーで「せいのもとで lifescape」。休憩しようと資生堂パーラーのカフェに入ろうとしたら満席。近くの椿屋珈琲店に向かったらこちらも満席。

日比谷線で六本木に移動し、OTA FINE ARTSで「インクアート」WAKO WORKS OF ARTでフィオナ・タン「Nellie」。Taka Ishi Gallery Modernで「サラ・コナウェイ+メラニー・シフ」。Zen Foto Galleryで張曉「海岸線」。帰り道、青山ブックセンターに立ち寄り雑誌を二冊購入。ひさしぶりに書店で雑誌を買った。

夜、近所の焼鳥屋で、焼鳥各種、大根サラダ、鶏雑炊、麦酒。

Sunday, September 28

マイルス・デイヴィスの命日にジャズのラジオ番組が次々と終わってしまう。とりわけ10年以上にわたりつづいた鳥山雄司「BODY AND SOUL」の終了が残念でならない。なんで終わるのだろう。ドコモがスポンサーを降りてしまったからだろうか。JAZZの有名曲からマニアックな曲までかかる選曲は心地よく、どこか浮世離れした鳥山雄司の淡々とした口ぶりもよかった。鳥山さんの「余裕っぷり」が存分に発揮されたのは震災直後の放送で、節電が呼びかけられているのでパソコンの使用を3台までにしますとか(ふだん何台使っているのか?)、震災による緊張をやわらげるのにスポーツマッサージを紹介したり(スポーツマッサージって何だ?)、彼の育ちのよい雰囲気がなんだかわからない方向に向かっているのもこの番組の聴きどころであった。このたびの番組改編期にあたり終了する番組のほとんどがお別れモード全開で進行するなか、圧倒的な淡々さで最終回の放送がなされたのも印象的。番組のエンディングで、最後のコメントがこうである。

ごきげんよう、さようなら。

学習院か。