154

Monday, April 7

ここ最近英文ばかりを読んで煮詰まっているので、日本語のリハビリテーションとして、外岡秀俊『傍観者からの手紙 FROM LONDON 2003-2005』(みすず書房)を再読する。端正かつ流麗な時候の挨拶文には毎度唸らされるが、このたび読み返してみたら、10年前の報告としての時局をめぐる情報に目が向く。たとえば、著者がアンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』(沼野恭子訳、新潮社)を読み、ウクライナのキエフ在住の小説家にインタビューを試みた話がつぎのようにまとめられている。まるで2014年現在の話題であるかに見間違いそうなくだりが、ここにある。

ウクライナは二度、短期間独立した歴史を持っていますが、長い時代ロシアやポーランドに引き裂かれました。東南部ではロシア語が多く、西側のウクライナ語圏とは鮮やかな対比を見せています。宗教も前者がロシア正教、後者がカトリック。産業も前者が重工業や炭坑で、後者は農業です。ソ連が崩壊し、ウクライナは独立を勝ち取りましたが、ここに来て二つの異質な世界が分裂の兆しを見せています。ヤヌコヴィッチ派が前者、ユシチェンコ派が後者という色分けで、前者をロシア、後者を米欧が後押しする構図です。

しかし、マスコミが描くこうした構図は単純すぎる、とクルコフ氏はいいます。ソ連崩壊後、貧しいウクライナの国民は数百万単位で国外に出稼ぎに出ました。そこで見た欧州の民主主義の在り方が、共産国家から市場国家への移行の過程で私腹を肥やした資産家と政権との癒着への怒りに火をつける背景になったというのです。オレンジ革命をどう思うかと尋ねたところ、クルコフ氏はしばらく考えてこういいました。「革命というより、進化でしょう。ウクライナの市民社会の誕生といっていいと思う」

小説に登場するペンギンは、生まれながらに群れから引き離され、夏は暑いウクライナに適応できず憂鬱症になっています。快活で茶目っ気を振りまく姿で描かれがちなペンギンが、ここでは孤独で内に引き籠もっているのです。その宙吊りの存在を、訳者の沼野氏は、ソ連崩壊直後のキエフそのものの「寓意」と解釈していますが、けだし卓見でしょう。

動物園で育ったペンギンが、初めて海を見て、南極を夢に思い描く。ロシアと拡大する欧州連合(EU)に挟まれたウクライナにとって、今後も荒海が続くでしょうが、ここで誕生した市民社会が今後消えることはないと私は確信しています。

憂鬱症を患ったペンギンは、いまのウクライナ情勢をどのように眺めるだろうか。

Tuesday, April 8

先般届いた郵便物の封筒には、W.G.ゼーバルトの引用がドイツ語で印字されていた。それはちょうど鈴木仁子の邦訳でゼーバルトを読み返そうとしていた矢先の出来事で、まるでこちらの読書の動向を見透かすかのような不意打ちにいささか驚きながら、『移民たち 四つの長い物語』(白水社)のページをめくる。

あのとき、わたしに話したのですよ、とマダム・ランダウは語った、子どものとき、夏のヴァカンスでリンダウに行って、毎日毎日湖の岸辺から、列車が陸地から島へ、島から陸地へ、轟音を立てて渡っていくのを眺めつづけていたことがあったって。蒼い大気に立ち昇る白い蒸気、開け放した窓から手をひらひらさせる旅行客たち、湖に映った列車の影——規則的にくり返されるその光景はパウルをすっかり虜にしてしまって、ヴァカンスのあいだじゅう、お昼ご飯にまともに戻っていったためしがなかったと。伯母さんは首をふりつつもだんだんあきらめ顔になり、伯父さんのほうも、あの調子じゃ、鉄道員で生涯を終えるかもしれんな、とそんな冗談を言ったんだと。パウルがそう話してくれたとき、わたしは休暇のたわいもない思い出話として、いま受けとめているような重い意味を感じたわけではありませんでした、それでも最後のひとことは当時でもふしぎに気味が悪かったのです。〈鉄道で生涯を終える〉という伯父さんの使った方言の意味がとっさにわからなくて、かえって謎めいた暗い予言のように聞こえたのかもしれません。一瞬意味を取りちがえたための胸騒ぎ——あのとき、死の光景がまざまざと見えたような気がします——はけれどもほんのつかのまで、飛び立つ鳥の翳のように、わたしを掠めすぎてしまったのでした。

緒方修一による装丁のカバーのそでに目をやると、低く腰掛けて外した眼鏡を手に持ったゼーバルトがこちらに眼差しをおくる写真を確認できる。作家の相貌と作品の風合いが一致する必要などまったくないけれど、ゼーバルトの姿を見ると、嗚呼、この文章はこの人が書いたものなのかと、作品として残されたものと創作者とがとても似つかわしいように感じられてくる。大きな孤独を背負っているようでもあり、茶目っ気がひそんでいるようでもあり。

ゼーバルトが紡ぎだす物語はペシミスムが濃厚であるけれど、単なる陰鬱さとはちがっている。単純に暗い物語であれば、世の中にいくらでも転がっているだろう。訳者があとがきで「たとえばアンブロースの〈日記〉のなかに1911年版の『ブリタニカ百科事典』の記述がまるごと引用されていることに気づいたときは、正直言って一瞬ぽかんとしてしまった」と書くように、ゼーバルトの文章には随所に独特のユーモアが染みわたっている。「悪巧み」とでも言ったほうがいいようなユーモアが。このユーモアは、必ずしも物語に楽天性をもたらすわけではない。悲劇的な展開をユーモアによって軽やかにするような物語であれば、これまた世の中にいくらでも転がっているだろう。作品から「重い意味」が失われはしない。志向するのは悲劇と喜劇の中和ではなく、一切の妥協なしに両者が併存するかたちで物語を屹立させるということ。そうそう転がってはいないゼーバルトの世界に、しばし浸る。

Wednesday, April 9

職場で歓迎会があるというので、ほぼ強制的なかたちで出席するはめに陥り、例によって「谷」になる。「谷」とは何か? 宴会がおひらきになり、そそくさと家に帰って山口晃『すゞしろ日記 弐』(羽鳥書店)の該当箇所を確認する。漫画の文章部分を強引に引用のかたちにすると、以下のとおりだ。

「谷」な性分である。
何が「谷」なのかと云えば、例へば飲み会などで——
気づけば、私を谷にして話題が分かれている
座る場所が悪いのかと思ったが——
どこに座っても自然とそうなる
人として最低限の存在感に欠けると云うのだろうか…

「谷」である。ところで、外岡秀俊『傍観者からの手紙』で知った本に、16世紀のイエズス会宣教師ルイス・フロイスが記した『ヨーロッパ文化と日本文化』(岡田章雄訳注、岩波文庫)があるのだが、そのなかで「日本人の食事と飲酒の仕方」という項にあるつぎの指摘に感銘をうける。

われわれの間では誰も自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこくすすめられることもない。日本では非常にしつこくすすめ合うので、あるものは嘔吐し、また他のものは酔払う。

飲み会の席で、飲みもののグラスが空になった瞬間、間髪を容れずつぎは何注文するのか誰も彼もが訊いてくるので、余計なお世話だ、飲みたくなったら自分で注文すると思いながら、ルイス・フロイスの観察を思い出していた。400年以上変わっていないのかこの国の風土は。

Thursday, April 10

先日『みすず』の年間購読料3780円を支払った。少し高いなあと思うけれど、すべて読み切るのに結構な時間を要するボリュームを考えれば、むしろ安いのかもしれない。年11冊で1冊あたりおよそ344円。

4月号では、丸山眞男をドイツ語に翻訳している日本学の研究者ヴォルフガング・ザイフェルトとの対話について書いた、野口雅弘の指摘をおもしろく読む。日本と西ドイツのベトナム戦争をめぐる報道を読み比べたところ、日本の記事の方がアメリカに対して批判的であったことに関心を抱いたというザイフェルトの話を受けて、以下のような分析へと進む。

日本の研究者がドイツとの二つの戦後を比較するときには、「過去の克服」に成功したドイツと、あいまいにしがちな日本という図式で考えることが多いし、それには十分な理由がある。しかし、もちろん歴史はそれほど単純ではない。私はベトナム戦争の報道については詳しく知らないが、ドイツでも戦後直後から今日まで一貫して直線的に「過去」との取り組みが行われてきたわけではないということはたしかだ。50年代にはむしろ過去を封印しようという雰囲気が強かったが、1968年を転換点にして政治文化が大きく変化する。これに対して日本では戦後直後においてこそ戦争への批判的な言説が強かったが、その後はあいまいにされる傾向にある。ザイフェルトさんが報道の読み比べをしたのはちょうどこの交差の時期にあたる。固定的なステレオタイプが形成されていないきわめて不安定な数年間に、日本の「戦後啓蒙」を彼なりの仕方で発見していったのだろう。彼の翻訳が戦後直後に力点を置いているのも、このように考えれば納得できる。

ちゃんと過去と向き合ったドイツとダメな日本という図式はわかりやすい。しかしこうしたステレオタイプで思考することは、展開される潜在性をもちながら、結局埋もれてしまった丸山眞男らの戦後の言説の可能性を「ダメな日本」という現実に従属させることでもある。

会社帰りに書店へ。W.G.ゼーバルト『鄙の宿』(鈴木仁子訳、白水社)と『芥川竜之介随筆集』(石割透編、岩波文庫)を買う。芥川ファンとしては「竜之介」ではなく「龍之介」の表記のほうが好ましいのだが。

Friday, April 11

スギ花粉のピークを過ぎたという報せを妄信して通勤中にマスクをしなかったら、途端に体調が悪くなる。「とうきょう花粉ネット」で飛散の状況を確認したら、スギ、ヒノキともに真っ赤である。悲惨なことになった。

『The Economist』を読む。その論調に賛同するかはともかく、『The Economist』という雑誌(正確には週刊新聞)は、経済はもちろん政治や文化や科学にいたるまで広範な話題をとりあげているので、情報を得るための媒体としてはとても便利だと思うのだが、通勤の電車内で『The Economist』を読んでいる会社員を見かけることはまずない。そもそも日本人は英語の新聞や雑誌なんて読まないという根本的な話はさておき、読まれない理由として大きいのは、『The Economist』の記事には難しい英単語の登場が頻発するというのがある。英文の構造や背景知識の問題も無視できないが、なによりまず、はじめは語彙不足で跳ね返される。それでも我慢して辛抱強く読み続けていれば、だんだんわかるようになってくるのだが、それなりの勉強は必要になる。だが逆に、その事実が、日本で不思議な読者層を生んでいる。それは英語学習者という層である。『The Economist』の読者で「英語の勉強として」という人はけっこういると思う。水準の高い英文が毎週厖大な量で発信されるというのは、学習の素材として申し分ないわけで。語学学習と情報収集という二兎を追うのにとても都合がいいのだった。極東でそんな読まれ方をしているとイギリスの編集部が想定していたかどうかは知らないが。

ところで、山手線の車内にあれだけ英会話の広告をぺたぺた貼っておきながら、まともに洋書を買えるリアル書店が紀伊國屋と丸善くらい(それもとても充分とはいえない)という事実は、なんなのだろう。

Saturday, April 12

具合が悪く、体温を計ると微熱。昼過ぎまで寝込む。夕方ようやく身体が動かせるようになり、向かったのは食材の買い出しのためのスーパー。本屋にも足をのばして、林雄司『世界のエリートは大事にしないが、普通の人にはそこそこ役立つビジネス書』(扶桑社)を買う。「サブカル」のコーナーに置いてあるかと思ったが、ちゃんと「ビジネス書」の棚に平積みになっていた。しかし、売れ行きを向上させるにあたってこの場所が適当なのかはよくわからない。須藤靖『人生一般ニ相対論』(東京大学出版会)が物理学の棚にあったのを思い起させる。本書は林さんの文才が存分に発揮されており、とてもおもしろく読んだ。内容はしっかり「ビジネス書」になっていると思う。冒頭「なるべく働きたくない」と高らかに宣言するビジネス書は珍しいかもしれないが。

締め切りを設定しないと僕も書かないしライターも書かない。
いつでもアップできるインターネットは「いつでもいいや」になってしまう。
サイトを続けるためには締め切りが必要だ。
意識が高い集団だったら違うかもしれないが、「デイリーポータルZ」は意識低い系である。我々は常々、人間の業を肯定していきたいと思っているが、それはこんなところでも発揮されてしまうのだ。
もう1日あればもっと深堀りできたのにとか、そういう後ろ髪を引かれる気持ちはおいておいて、とにかく定時公開が優先である。しかも公開しちゃうと、あそこはこうすればよかったという気持ちがすっと消えるものである。

そのとおりだ。このホームページもぜんぜん更新されないことで(一部に)知られているので、締め切りを設けたほうがよいのではないかと思う。

Sunday, April 13

朝食はパンケーキと珈琲。昼食は鮭のおにぎり、油揚げと玉葱の味噌汁、じゃがいもの土佐煮、茄子とピーマンの味噌炒め、ほうじ茶。夕食は茄子と小松菜とベーコンを和えた浅蜊のパスタ、白ワイン。

読みさしだったW.G.ゼーバルト『目眩まし』(鈴木仁子訳、白水社)を読むと、カフカを縦横無尽に引用する「ドクター・Kのリーヴァ湯治旅」が収められているからか、解説を担当するのは池内紀。

どこの誰が言い出したのか、ゼーバルトには「将来のノーベル文学賞候補」のレッテルがついていた。身も凍りつくようなことを、自在に伸縮しながら語ることできるこの散文作家は、ノーベル文学賞といった社会的イベント性から、もっとも遠いところにいた。

これはとびきり孤独な読書を恐れない人のための作家である。

そう、そうなのだが、社会的イベント性からもっとも遠いはずなのに、「PEN/W.G.Sebald Award」なんて賞が世の中にはあるのだった。しかしこの賞、Wikipediaで確認すると2010年、2011年の2年間で後がつづかなくなっており、参照元のリンクを辿っても要領を得ず、唐突に終わって呆気にとられる感じは、ゼーバルトっぽいといえば、ぽい。今週は通勤電車のなかで、2011年のPEN/W.G.Sebald Award受賞者Aleksandar Hemonによる回想録『The Book of My Lives』(Picador)を読んでいた。

夜、『Elegance: The Seeberger Brothers and the Birth of Fashion Photography』(Chronicle Books)を手にとる。戦前のフランス上流階級層の社交場を活写したスナップの数々は、写真集のタイトルのとおり、実にエレガント。海水浴場や競馬場などにおける彼女ら(時々彼ら)の装いは、ファッション歴史を考えるうえで重要な参照項となるし、なにより眺めているだけで愉しい。Seeberger Brothersの写真を集めた展覧会ってどこかでやらないものだろうか。この写真集、いまアマゾンで調べると価格がえらく高騰しているのだが、そんな値段で買った覚えはない。