Monday, March 3
アラン・レネの訃報に接し、自宅の本棚を見わたしたなかでこの映画監督についていちばん言及されているだろうと思われる二冊の本を抜きとる。港千尋『愛の小さな歴史』とエマニュエル・リヴァ写真集『HIROSHIMA 1958』(港千尋+マリー=クリスティーヌ・ドゥ・ナヴァセル編)。版元はどちらもインスクリプト。
夜、醤油ラーメンをつくる。ほうれん草と長ねぎを炒め、コーンと卵とハムをのせる。ビール。
Tuesday, March 4
ここ最近は現代(とりわけ安倍政権下の)日本を憂う冊子という様相を呈している『みすず』(みすず書房)の表紙を確認すると、「国立競技場の新築は必要か」と題された、一行も読まずとも「必要ない」という結論に着地するだろうと予想できる森まゆみによる新連載がはじまることが知れる。
宮田昇の連載「諏訪紀行」にある翻訳者の宇野利泰をめぐるエピソードがおもしろい。
宇野という人は、きわめてゴシップ好きな人で、早川書房がいまの建物に改築したとき、どこで知ったのか調べたのか、あの敷地の何坪が早川家のもので、何坪が借地で、改築にあたって何坪か買い取るのに苦労したとまで話す人である。
ゴシップの域を超えている。
夜、レッドカレー、サラダ、ビール。
Wednesday, March 5
『図書』(岩波書店)に佐伯一麦が生誕百年として全国を巡回した「松本竣介展」について言及しているのを読んで、世田谷美術館で買った図録を繙く。
夜、白米、わかめとネギの味噌汁、烏賊の塩辛、秋刀魚の塩焼き、大根おろし、スナップえんどうと玉ねぎとほうれん草の炒めもの、ビール。
Thursday, March 6
東京都現代美術館での「Future Beauty 日本ファッションの未来性」展などでその名前を知り、ロンドンの大学のファッション学科を主席で卒業後にジョン・ガリアーノのデザインアシスタントをしていたという華麗な経歴をもっているのに、やさぐれた発言ばかりするのでおもしろい人だなと思っていた山縣良和が、『装苑』(文化出版局)で藤原ヒロシと対談している。
鳥取には何もなかった。とりあえず服屋がない。
やさぐれ感、ぶれず。
夜、きのことベーコンの和風パスタ、赤ワイン。
Friday, March 7
会社帰りに渋谷で下車。Bunkamuraのギャラリーで「田中千智展 静かな夜の灯」と「写真と絵画のシンクロニシティ」をめぐってから、ザ・ミュージアムで「シャヴァンヌ展 水辺のアルカディア」をみる。壁画制作によって名声を得た19世紀フランスを代表する画家で、黒田清輝といった日本の近代絵画にも大きな影響を与えたにもかかわらず、これまであまり紹介されてこなかったピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ。美術史において「影響を与えた」とはよく使われる修辞で、これを言っておけば何かが保証される気のしてしまう魅惑的な表現であるが、影響うんぬんの意味や意義は慎重な検討が必要だろうと思う。シャヴァンヌも印象派に影響を与えたということで再評価の気運が高まったようだけれど、印象派全体と比べてシャヴァンヌの絵画が素晴らしいかと問われると正直微妙で、彼の絵にスリリングな愉悦を味わえるところはあまりない。会場でつまみ読みした図録の解説によれば、フランス本国においてすら再評価が熱心にされるようになったのは1970年代以降というから、研究対象として放っとかれた模様。パリ市庁舎や美術館といった公共性の高い場所の壁画を任されるくらいなので、一般的な評価はあった「国民的」な画家であったのだろうと推察されるが、どうなのだろう。平山郁夫みたいなものだろうか。
マークシティのスペイン料理店BIKINI TAPAで夕食。食べた飲んだ順に、ヒューガルデン、たことポテトの“タステッツ”サラダ、トリッパの煮込み、パン、赤ワイン、イベリコ豚の串焼き、海老とパンチェッタとセラーノハムの串焼き、赤ワイン、ゆで卵のピンチョス、焼きパプリカとイワシのピンチョス。
Saturday, March 8
山口晃が『すゞしろ日記 弐』(羽鳥書店)で「気軽に行って美味しいものをしっかり食べられる。こんなに美味しいのに何でみんな気が付かないんだろう…?」と書いている根津駅ちかくのフレンチRISAKIでお昼食。たしかに美味しい。ムホー。そしてたしかになぜか空いていて、山口晃効果でひょっとして大人気店になってるかと思って開店時間すぎに駆け込んだら一番乗りだった。
少し歩いて、SCAI THE BATHHOUSEで「Making Links: 25 years」をみる。『すゞしろ日記』の読者としてはSCAI THE BATHHOUSEに行くと丸顔の人を捜してしまうが、それらしき人はおらず。
上野公園を目指して歩いていると、国際子ども図書館で展覧会をやっている看板を目にしたので、安藤忠雄改修の建築物のほうへと足を向ける。「日本の子どもの文学 国際子ども図書館所蔵資料で見る歩み」をみる。プロレタリア文学がプロレタリア児童文学を生み出そうとしたものの方法論の確立がおぼつかないまま成功しなかったという話のなかで、プロレタリア児童文学はいまではまったく読まれないと断定されていたのだが、展示されていた本の表紙には「ジヌシ バカヤロ」なんて書いてある。おもしろそうじゃないか。読みたい。
国立西洋美術館に行くと、モネ展がこの週末で終わるらしくチケット売場前でものすごい行列。こちらの目的はモネではなくムンクの版画展なのだが、この行列に並んでいたら一体いつ入れるかわからない。常設展のフロアにあるムンク展だけみたいのだ。人混みのなかをかきわけて進むと、係の人に本当はチケット売場で並んでいただく必要があるのですが状況が状況ですので、と賄賂を差し渡すかのように、今回は特別にという科白とともにチケットをもらう。タダなの? と思ったら、毎月の第2、第4土曜日は常設展が無料らしい。というわけで常設展示のなかを突き進んで「エドヴァルド・ムンク版画展」の部屋へと向かう。ムンクが神経衰弱を病んでコペンハーゲンの病院に入院したとき、医者の勧めで描いたというリトグラフの連作《アルファとオメガ》が印象に残る。聖書を下敷きにムンクが創作した物語なのだが、まったくもって救いのないオチが用意されている。愛し合った男女が別れ、男が女を殴り殺し、男は「ろくでもない連中」に殺される。「ろくでもない連中」がわーいわーいと楽しそうにしているカットで物語は終わる。救いようがない。描くのを勧めた医者はこの連作をみただろうか? 勧めなきゃよかったと思ったことだろう。
夜、プロジェクターでハル・ハートリー監督の『ブック・オブ・ライフ』(1998)と『フラート』(1995)をみる。ハル・ハートリーは同じ俳優を何度も繰り返し起用するので、複数の作品が絡まりあってハル・ハートリーの映画の世界が構成されているような気分になる。
Sunday, March 9
朝はホットケーキと珈琲、昼はカレーうどん、夜はベーコンとズッキーニとほうれん草のあさりパスタ、赤ワイン。
ハル・ハートリー監督『ヘンリー・フール』(1997)をみる。二階堂美穂と結婚してから(ハル・ハートリー特集をやっていたK’s cinemaで入手したパンプレットによればふたりは別れてしまったようだが)、二階堂美穂はハル・ハートリーの作品に欠かせない存在となっているとの惹句をどこかで読んだのだが、なんというか、無理矢理にでも二階堂美穂を出演させる役を用意している気がしないでもない。