Saturday, December 14
小田急のロマンスカーに乗って新宿を出発し、小田原に向かう。ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』(宇野邦一訳、河出文庫)の上巻を小旅行のおともとしてもってきたが、道中に読む本としてはあまりふさわしくないことに途中で気づく。しかしこれしかもってこなかったので、やむなく最後まで読み切る。箱根登山鉄道に乗り換えて目的地である彫刻の森美術館に到着。彫刻の森美術館、生まれてはじめて来た。そのむかしフジテレビのコマーシャルで美術館の紹介を見たような見ていないような、時報として11時をお知らせしていたのは彫刻の森美術館だっただろうか、と思って調べたらそれは美ヶ原高原美術館だった。アモーレの鐘が11時をお知らせします。彫刻の森美術館にアモーレの鐘はなかった。
今回、企画展の市橋織江を目あてにやってきたのだが、それとは別に、これまでさっぱり関心の向かなかった彫刻の森美術館に多少なりとも興味を抱いたのは、港千尋『ヴォイドへの旅 空虚の想像力について』(青土社)につぎのような記述があったのを読んだから。
最初に取りあげようと思うのは、英国の彫刻家ヘンリー・ムーアの作品だが、世界中でコレクションされているムーアの作品も、展示室だけでなく庭や広場といったオープンスペースに置かれている。その作品は建築や風景もふくめた空間全体と結びついている。日本では彫刻の森美術館のコレクションが有名である。箱根の山稜と呼応するかのように置かれた作品群は、建物のなかとは大きく異なるたたずまいを見せている。夥しい数の作品を残しているムーアだが、彫刻の森ではそのエッセンスがほぼ網羅されており、自然のかたちがインスピレーションを受け、どの方向から見ても成立する形態を探求しつづけた彼の造形思考を知るには、理想的なセッティングだろう。
それにしても彫刻の森美術館は「観光地」だった。レストランの佇まいであるとか土産物屋の雰囲気だとか、ここは箱根めぐりの合間に立ち寄る感じなのだろうか。まわりの客層も家族連れや恋人同士がほとんどで、漏れ聞こえてくる人びとの会話からしても、ストイックな美術好きといった風情の人は皆無。はたして美術好きはどれくらい来るのだろうか、彫刻の森美術館。
彫刻の森美術館では、市橋織江を特集した『QUOTATION』という雑誌を買う。しかしこの雑誌、衝撃的な誤植満載ですごい。いきなり発行年を間違えている。それ以外も誤植のオンパレードで、なんでこんなことになったのか? とおののくような誤植もあり、私はあまり誤植を気にしないほうだけれど、さすがに「商品」として成立しているのか疑わしい代物となっていた。