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Monday, November 18

『クウネル』(マガジンハウス)でいしいしんじと高山なおみが原っぱにちゃぶ台を置いて食事をしているのだがコントにしか見えない。撮影は川内倫子。

夜、高橋みどりの「伝言レシピ」に載っていた鶏豆腐鍋を参考にして、鶏豆腐うどんをつくる。ビール。

Tuesday, November 19

仕事で珍しく遠方に出掛けて丁重な接待を受ける。けっして深入りすることのない当たり障りのない話題の応酬が繰り広げられる。

Wednesday, November 20

アテネ・フランセ文化センターでのトークセッションをまとめた淀川長治・蓮實重彦編『シネクラブ時代』(フィルムアート社)がおもしろい。古本屋で買ったこの本は現在品切れで文庫化もされてないようで。もったいないと思う。語り手として登場するのは、淀川長治、蓮實重彦、松浦寿輝、生井英考、黒沢清、金井美恵子、武田潔、清水徹、四方田犬彦、小松弘、佐藤重臣、梅本洋一、松本正道といった面々。冒頭の淀川長治のインタビューは活字を追っていてもあの声が「音」として脳内に響き渡ってくる。本当はしゃべるのは苦手といいながら映画の話となればずっとしゃべりつづけてしまう淀川先生。

淀川 そう。それだけ疲れていたのだね。それだけ楽しかったのだね。全力投球。だって二時間、二時間合計四時間もしゃべったんだから、立ったまま。うんと飯を食ったね、後で。さすがにクラーッとしたの。風呂入ったらそのまま寝とったらしいのよ。横長のお風呂でもたれるところがあったからいいけどね。ズブーッと入ったらしまいだものな。(笑)
蓮實 死にますよ、それは。

夜、白米、豆腐と長ねぎの味噌汁、焼き魚(かます)、キムチのせ冷奴、烏賊の塩辛、ビール。

Thursday, November 21

『シネクラブ時代』のつづき。ニコラス・レイについて語る松浦寿輝が冒頭遅刻を詫びるのだが、理由がすごい。

どうも遅れまして申しわけございません。実は「テトリス」というヴィデオゲームがありまして、今、それに空いた時間のほぼすべてを注ぎ込んでまして、きのうも、夜、映画を見たあとずっと真夜中過ぎまでゲームセンターでそれをやって遊んでおりました。[松浦注記——「テトリス」が大流行する以前に行われた講演である]。

講演が行われた正確な日時は1989年2月4日。テトリスあがりで気分が高揚しているのかほかにもいろいろ言っていて、

僕の好きな稲川方人さんという詩人がいまして、彼もまた映画批評を、これは実に侠気のある文体で書く人でありまして、詩に興味のあるかたはこの中にはあまりいらっしゃらないかもしれませんが、日本の詩の世界というのはいま非常に低迷した状況にあるわけです。それはどうしてかというと、端的に言いますと詩人が映画を見なくなったからなんです。六〇年代の終わりあたりだと、だれもかれもが映画を見てたわけです。ところが映画を見なくなった。日本で読むに値する詩を書いてる人で映画がわかる人というのは、二人しかいないわけです。それは稲川さんと私であるわけですね。それ以外には一人もいません。これは断言できます。

これ聞いて吉増剛造とかムッとしませんかね。

夜、ベーコンとパプリカと玉ねぎとかぶの葉のあさりパスタ、白ワイン。ウクライナのEU加盟をめぐってユーリヤ・ティモシェンコ前首相の処遇が問題となっているが、獄中で彼女の髪型がどうなっているのかが気になる。

Friday, November 22

土日の混雑を避けるようにして金曜日の会社帰りに上野に向かい、東京都美術館でターナー展を鑑賞する。幸いにしてほどほどの集客。これから混みそうな展覧会は夜間開館を利用することにしようと思うが、夕食前の鑑賞中の空腹をどのように凌ぐかが課題として残る。帰りに近くの土古里という焼肉店で、焼肉、アボカドとエビのチヂミ、ごはん、ねぎ塩スープ、キムチ、ビール。

Saturday, November 23

ひきつづき『シネクラブ時代』からの話。金井美恵子がダニエル・シュミットの『ラ・パロマ』を見たときのことについて、つぎのように述べている。

『ラ・パロマ』はいろんな意味で気に入ったものですから、その感動のあまりというか、すごく良かったということを蓮實重彦さんにとりあえず伝えたいという気持ちになって、電話をしたわけです。『ラ・パロマ』を見て思ったのは、ペーター・カーンとイングリット・カーフェンが非常に良かったんで、全編撮る必要はないと思うんだけど、イングリット・カーフェンとペーター・カーンが「ボヴァリー夫人」をやったら、すごくいいと思うと電話で言ったら、蓮實さんは何か変なことを聞いたという感じで、沈黙をしている。まあ、あの方はフローベールの世界的な研究者でいらっしゃいますから、何かまずいことを言ったのかなと思って、ちょっとこっちも困ったんですけれども、しばらく間があって、それは『今宵かぎりは…』で、ちゃんとダニエル・シュミットはやっていると言うわけです。何か蓮實さんも非常に困ったような声でそうおっしゃって、こっちも蓮實さんがシュミットの映画について書いている文章を、読んでいなかったというのがバレちゃったりして、ちょっと困ったことがありました。

あるいはおなじく『シネクラブ時代』のなかで、山中貞雄の素晴らしさについて蓮實重彦が語るのだが、

今では山中貞雄が二十九歳で死に、ジャン・ヴィゴも二十九歳で死んだという事実は当たり前みたいなっていますけれど、これはある晩私が、ふと思いついたことなんです。そのときは本当に興奮しました。長らく山中貞雄は三十歳で死んだと言われていた。つまり、数え年で数えられていたわけです。ところがある時ふと、いやそうじゃない、二十九歳じゃなかろうかと思いついた瞬間、世界映画史が夜の暗闇のなかにパッと花火のように浮かび上がりました。その時は自分が世界一の映画史家であろうような錯覚にとらわれ、翌日、いろんな人に電話をして、二十九歳だ、二人とも二十九歳だということを熱っぽくまくしたてた。なかにはまるで興味を示さぬ人もいましたが、驚いてくれる人もいました。

と電話魔と化したことを披露し、さらには最近読んだ『ユリイカ』の小津安二郎特集でも吉田喜重が、

それは二〇〇五年一月下旬のことだが、私は蓮實重彦氏よりの電話でその日の新聞朝刊に、大学入試センターの国語の試験問題として『小津安二郎の反映画』の一部が引用され、受験生に出題されたものが公表されていることを教えられたのである。私自身は試験問題が掲載されている紙面を見逃す可能性があったのだが、優れた教育者でもある蓮實氏の目配り、配慮に改めて感謝しなければならないだろう。

と書いていて、このへんの人たちはずいぶんと電話好きなのだなと思った。

Sunday, November 24

晩秋の鎌倉へ。湘南新宿ラインが非常に混んでいるため金にものを言わせてグリーン車に乗り込む。窓から陽射しが注ぎ込むグリーン車は快適で、じっくりと本が読めてよい。破産するまで可能なかぎり金にものを言わせていきたい。

昼まえに鎌倉に到着し、大混雑の小町通りを歩いて古本屋に立ち寄る。チェーホフ『退屈な話・六号病室』(岩波文庫)、武田百合子『遊覧日記』(ちくま文庫)、饗庭孝男『石と光の思想』(平凡社ライブラリー)を購入。

神奈川県立近代美術館の鎌倉別館で「西洋版画の流れ ブリューゲルからピカソまで/特別展示 ジゼル・ツェラン=レトランジュ」、鎌倉館で「加納光於展 色身(ルゥーパ)―未だ視ぬ波頭よ 2013」を見て、ふたたび大混雑の小町通りを歩いてオクシモロンでカレーを食べ、大混雑の江ノ電に乗って由比ケ浜で下車し、鎌倉文学館で「堀辰雄 生と死と愛と」を鑑賞する。由比ケ浜の海岸で落陽で彩られた空と海を眺めてから東京に戻る。

帰りの電車も大混雑なので、ふたたび金にものを言わせてグリーン車に乗り込んだ。金にものを言わせすぎたので、ATMに立ち寄ってから帰宅。