晩秋の鎌倉探訪 神奈川県立近代美術館と鎌倉文学館

「すごい数の人で賑わっている鎌倉に来てしまった」
「北鎌倉の駅前とか観光客だらけでしたね。円覚寺に向かう人でいっぱい」
「なんでこんなに人がいるんだ。みんな小津安二郎の墓参りにでも来たんですかね」
「紅葉狩りですよ」
「こっちは紅葉は二の次で、美術館と文学館を目的に来たんですけど」
「来る時期を間違えました」
「鎌倉駅前もすごい人。観光客であふれかえっていて」
「小町通りも竹下通りと化してました」
「小町通りって何であんなに混んでいるのかがわからない。小町通りにならぶ店のほとんどに用はないですね。むかし鎌倉に住んでいたときも、小町通りを歩いた回数なんて指折り数えられるくらいですよ。みんな何をしに来ているんでしょうか? 覗くとしたら古本屋くらいだなー」
「食べものじゃないですか? アイスとかおせんべいとか。食べ歩き楽しいでしょ?」
「だいたい食べ歩きってなんですか? 食べるのか歩くのははっきりしろと言いたい」
「言いがかりです。わたしははりきってピロシキを食べ歩こうと思います」
「で、神奈川県立近代美術館の鎌倉館と鎌倉別館に行ったら、がらがらでした」
「寂しい話です」
「小町通りにいたあの人々は、通りを抜けたらどこに行ったのか」
「鶴岡八幡宮ですかね。もしくは反対側の海とか」
「小町通りは世間ですね」
「世間?」
「あれが世間で、あの道を抜けて、ごく少数派が美術館に向かう」

西洋版画の流れ ブリューゲルからピカソまで/特別展示 ジゼル・ツェラン=レトランジュ
(神奈川県立近代美術館鎌倉別館)

「まずは別館のほうから見てみましょう」
「鎌倉館から別館って意外と遠いよね。上り坂で。別館に到着したところで、いつも微妙に疲れている」
「いま(11月)くらいの季節はいいですけど、真夏の暑い時期はつらいですね、歩くのが」
「あれは死にます」
「今年の夏に来たときも苦悶の表情をしてましたね。そんな話はともかく、展示の話をしましょうよ。ブリューゲルからピカソまでっていう、収集したコレクションの展示が3分の2くらいを占めるんですけど、今日来た目的は……」
「特別展示のほうですね。ドイツ系ユダヤ人の詩人パウル・ツェランの妻だった版画家ジゼル・ツェラン=レトランジュの作品を見たくて。こうしてまとまったかたちでの日本での紹介は初だそうです。『みすず』(みすず書房)掲載の関口裕昭「ジゼル・ツェラン=レトランジュの銅版画の世界」を読んで、駆けつけたわけですが」
「『みすず』2013年3月号で、関口さんは、ジゼル・ツェランがプロヴァンス地方にあるマーグ財団美術館でアルベルト・ジャコメッティの彫刻に触れて大きな衝撃を受けた、という事実を起点に彼女の銅版画の世界を読み解いていましたね。ジゼル・ツェランの銅版画、パウル・ツェランの詩、ジャコメッティの彫刻をめぐって線、結晶、傷跡、痕跡、山火事、焼け焦げた樹木、といった数々の言葉とイメージを介して考察をくり広げており、良い導きのテキストとなっているのですが、ともかく、とてもよい展示でした」
「展示の解説をなぞれば、フランスの貴族の娘だったジゼルは周囲の反対を押し切ってパウル・ツェランと結婚。本当は絵画をやるつもりだったようだけど、ツェランと結婚して狭いホテル住まいを余儀なくされたので、場所をとらずに創作活動ができる銅版画をやるようになった」
「ツェランの詩に、ジゼルの銅版画が半身のように寄り添っていました。その造形は多くが結晶、破片、灰、のように見えます。またも『みすず』ですが、先の2013年3〜6月号でも関口さんはパウル・ツェランとアンゼルム・キーファーとの関係について連載しています。ここではキーファーが創作の際、いかに絶えずツェランの詩を参照し続けたか、ということが論じられ、キーファーに力点が置かれていますが、「灰の花」というフレーズが出てくるパウル・ツェランの詩も大きく取り上げられていますね [1]
「ツェランの妻という事実は、彼女の創作にとって非常に重要なポイントだったけど、ツェランの知名度を剥がしても銅版画として作品それ自体に強度があることを示そうとした展示だという印象です。ツェランの死後はパステル画とかも描いているようですね」
「モチーフも、空や雲、海、砂浜、岩といった自然に関するものが主体となっていくんですよね。そのへんもとても興味深い。いつか包括的な展覧会が開かれることを期待したいです。それにジゼル・ツェラン、本人の写真を見ましたけど、キリッとした美しさがあって素敵な方ですね!」

加納光於展 色身(ルゥーパ)―未だ視ぬ波頭よ 2013
(神奈川県立近代美術館鎌倉館)

「つづけて鎌倉館の展示は加納光於です。瀧口修造とその周辺ってあんまりよく知らないんだけど、詳しいですか?」
「詳しくないです」
「美術に多少の興味があるのであれば、この辺はちゃんと調べておいたほうがいいんでしょうね、本当は。散発的な知識の寄せ集めしかないから。一度系統立てて戦前・戦後の日本美術の歴史をまとめて勉強したほうがいいのだろうけど」
「なかなか食指が動かなくて」
「大変だからね、ちゃんと調べるのは」
「あんまり興味がないんです」
「美術館めぐりを趣味とする人とは思えない発言が出ました。これからは美術にまったく興味がないんです実は、ってキャラでいこうか」
「冗談ですよ! 瀧口修造といえば戦前・戦後をつうじてシュルレアリスムを世に広く知らしめ、かつ、それだけにとどまらずさまざまな人びとに影響を与えた巨人的な存在ですが、実はわたしがいちばん初めに興味を持った美術の分野がシュルレアリスムだったんです。好きな画家は? と訊かれたら即座に「ダリです!」って答えたりして。でもそれ以外にも目が向くようになって、世の中にはこんなに面白いものが山ほどあるということがわかると、シュルレアリスムに固執していたじぶんがとても子どもっぽく思えて……。もちろんシュルレアリスムは美術史において非常に大切な芸術運動ですが、どうもその思い出がしょっぱくて、いまそこまでシュルレアリスムを調べてみようと思わなくなってしまって」
「はあ」
「それにしたって瀧口修造についてはもっと知らなくてはいけないなと思っています。あといちばん関心のある西洋美術について知ろうとすると、日本美術までなかなかたどり着かない。西洋美術のことだってまだ何もわかっちゃいないというのに」
「まだ始まっちゃいねえよ」
「それはさておき、難解でしたね、今回の展示。ずらーと並んだオブジェ作品があって、あれもわたしには難しかったんですけど、あういう作品をつくる制作費ってどうしているのかなー、どのくらいの広さの場所に保管してるのかなー、広い場所を確保するにはお金がかかるんじゃないかなー、と気になりました」
「金の話ですか」
「すみません。でも気になって」
「純粋にいいなと思えるのもありましたけど。たとえば60年代後半の亜鉛版によるメタル・ワークはすごくよかった。《SOLDERED BLUE》という作品」
「あれ、わたしも好きです」
「あれ、欲しいですね」
「買えないですよ、たぶん。高くて」
「また金の話ですね。加納光於は本の装幀も数多く手がけているんですね。見知った本がいくつか展示されてましたが。展示にはないけど、少し前に買った平出隆がやってるvia wwalnuts叢書の図像は加納光於だったんですね。家にあるのは『カフカの泣いたホテル』」
「うっかり家にありました」

没後60年 堀辰雄 生と死と愛と
(鎌倉文学館)

「最後は、大混雑の江ノ電に乗って由比ケ浜駅で降りて、鎌倉文学館に向かいました」
「紅葉の季節に来るもんじゃないですね、鎌倉は。何が楽しくて日曜に平日の朝の満員電車と同じ体験をしなくてはならないのか」
「気を取り直して鎌倉文学館です。「没後60年 堀辰雄 生と死と愛と」と題した堀辰雄の特集でした」
「おもしろかったのは堀辰雄の「字」ですね。まるっこくてかわいい字で書いていて」
「女子高生みたいな字でしたね」
「「あ」を小文字にしたり濁点を付けそうな字ですよ、あれは」
「ギャル文字ですか」
「堀ギャル雄」
「ところで今回の展覧会、監修は堀江敏幸なんですよね」
「働くなあ、堀江敏幸は」
「ちなみに世田谷文学館でやっている幸田文展の監修も堀江さんなんだそうで」
「もうすっかりメジャーな存在なんでしょうか、堀江敏幸は」
「一般的にはどうなんでしょうねえ。わたしたちのなかでは超メジャーな存在なんですけど、大きな疑問符のつく出来事に遭遇しましたね……」
「会場の冒頭に堀江敏幸の文章が掲げられていたんですけど、それを見た隣の老女ふたりの発言がすごかった。ひとりが「ほりえとしゆき? 堀辰雄の本名かしらね?」と言ってるのが聞こえてずっこけそうになった」
「相手の女性も否定することなく」
「「そうね、きっと堀辰雄の本名よ、堀江敏幸って」と相槌を打ってて」
「ちがうよ!」
「衝撃的な相槌でした。知られてないんですよ。堀江敏幸は小町通りではない」
「そういうことなのかなあ。展示方法、見せ方の難しさを思い知った一幕でもありましたけど」
「見せ方を工夫しても堀江敏幸が堀辰雄の本名だという斬新すぎる解釈は防げなかったように思いますけど」
「だめですかね」
「逆に説明したら変でしょ」
「注釈に「解説の執筆者は堀辰雄の本名ではなく、また血縁関係もありません」と書いてあったら」
「馬鹿にしてんのかって話ですよ。だいたい「堀」しか合ってないんだから」

  1. 『みすず』2013年4月号、関口裕昭「アンゼルム・キーファーとパウル・ツェラン 2」 []