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Tuesday, March 5

『ロシアン・エレジー』(アレクサンドル・ソクーロフ監督、1993年、ロシア)を観る。素晴らしかった。エンドロールでこの作品が児島宏子さんに捧げられていることを知る。児島さんは長いことソクーロフの通訳を務めておられる方だが、それよりわたしにとってはノルシュテインの『きりのなかのはりねずみ』の訳者として記憶されているひとだ。つらつら調べていたら2011年の夏にユーロスペースで開かれた「フィルム傑作選 ソクーロフ」の記事にあたって、児島宏子、亀山郁夫、そして東京国立近代美術館フィルムセンター主幹である岡島尚志がひとりずつ登壇したトークショーの模様がレポートされていたのだけれど、そのなかで「映画フィルムの魅力」というテーマで話した岡島さんの記事 [1]が非常に面白かった(一年半後に気づくというのが哀しい)。20年にわたってフィルムのアーカイブ活動に携わってきたこの方の発言にいちいち射抜かれてしまう。長くなるけれどいくつか引用する。

「現像所にはフィルムの硬軟、濃淡、色調などの焼き度を検定するタイミングという仕事をする人がいます。私たちはこの人たちと協力しながら、美しいフィルムはこうあるべきだという議論を重ねています。ほんとうにいいフィルムをほんとうにきちんとした映写機で、ほんとうにきちんとしたスクリーンに映写した時には――もちろん元が良くなければいけないのですが――まさに腰が抜けるほど美しいのです。劇場の暗さも、スクリーンの輝度も全てが揃った時、映画というものは実に美しいものとして私たちの前に現れます」

「大まかに言ってテレビというものが世界を席巻するようになった20世紀半ば以前の映画は、フィルムで見た方がいいと思います」

「<ソクーロフの『モスクワ・エレジー』を2011年7月24日、渋谷のユーロスペースで、フィルムで見た、しかもその日にテレビの地上アナログ放送が終わった>――これはすごいことだと思います。みなさんは、そのメモによって、ソクーロフとその作品を自分の芸術鑑賞の“記憶アーカイブ”の中に完全にとどめることができます。映画というものの一回性、一期一会であることはほんとうにすばらしい。ありていな言葉でいえば、そこには<ありがたみ>というものがあります。みなさんは映画を見るためにここに足を運ばなければならなかった。ジャン=リュック・ゴダールは映画の特性の最終的なものは<運ぶことだ>と言っています。映画というものは運ばなければならない。そしてみなさんも映画館に足を運ばなければならない」

最後の発言は、つまり観た映画の“メタデータ”をつくるということの絶対性について語られている。

昔は映画は映画館で観るもの、と考えていたけれどいろいろとそうもいかなくなって、いまは基本的に自宅でDVDで観るようになっている。じぶんのなかでももう、映画をどこでどのように観るかということはそれほど重要ではなくなった、けれども、この記事を読んでまた脳内を撹拌された、というか、というより動揺してしまった。少なくとも、メタデータだけは記録するようにしていこう。

Friday, March 8

ずっと行きたいと思っていた東洋文庫ミュージアムへ足をのばす。企画展「もっと北の国から~北方アジア探検史~展」を鑑賞。東洋文庫は厖大なアジア諸言語文献・書物やオーストラリア人ジャーナリストのG.E.モリソンが収集した約2万4千冊のおよぶ欧文で書かれた東洋関連書籍が三方の壁を覆う「モリソン文庫」、漢字のルーツである「甲骨卜辞片」、「東方見聞録」コレクションなど見どころ満載の世界5大東洋学研究図書館の一つに数えられる東洋学分野における日本最古・最大の研究図書館で、もちろんそんなこと知らなかったわたしはこのたび初めて知ったわけだけれど、ビジュアル的にも「モリソン書庫」は一見の価値ありで、これを観られただけでも大満足、という気がする(それだけでいいのか)。併設されているレストラン「オリエント・カフェ」も明るくて綺麗でとても気持ちがいい。庭に面した席で、小岩井農場産牛100%のハンバーグ、サラダ、ライス、デザート、紅茶からなる「オイレンブルグセット」を美味しくいただく。

有楽町に移動し、『アントニオ・カルロス・ジョビン』(ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督、2011年、ブラジル)を観る。ジョビン本人、そして名だたる歌手たちがジョビンの生み出した曲を歌う映像を、何のナレーションもなしにひたすら繋げただけのドキュメンタリーなのだけれど、冒頭、波が海岸線をあらう情景を眼下に、空を往く飛行機の映像に「イパネマの娘」の鮮やかなイントロがかぶさってくる時点で早くもこみあげてくるものがある。「三月の水」を歌うエリス&ジョビンの姿をスクリーンで観られて幸せだ。ボサノヴァ史上最高のレコーディングといわれているが、そのフレーズを知らなくてもこれはボサノヴァ史上最高のレコーディングだ、と思ってしまうだろう。

帰宅して夜、『ル・アーヴルの靴みがき』(アキ・カウリスマキ監督、2011年、フィンランド/フランス/ドイツ)を観ながら宅配ピザをぱくつく。世界に散らばるカウリスマキ・ファンは常連主演女優カティ・オウティネンさんが年を重ねていく様子を定点観測しているのだなぁ。この女優さん、インタビュー映像で見せる笑顔がものすごく素敵。

Saturday, March 9

空は青く、風は温かい。東急東横線みなとみらい駅で下車し、横浜美術館で「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」を鑑賞する。何度か歩いてだいぶ馴染みになった道をゆき、海をのぞむチャランポラン(Charan Paulin)にたどり着いてお昼ごはん。チャランポランのきょうのおばんざいプレートは、「梅肉とこんぶ かつおぶしのごはん、ハマチ幽庵焼、おから、あさり わけぎの酢味噌、ししとうとじゃこの炊き合せ、アジ南蛮漬、ふろふき大根、味噌汁」という珠玉の献立。

Sunday, March 10

美容院に向かう途中で突然空が真っ黄色になり、底知れぬ恐ろしさに怯える。黄砂が凄いのかと思っていたら煙霧という気象現象だという。髪型は今回も短めのボブにした。夕飯にはふろふき大根と、たこ・わかめ・ミョウガ・きゅうりを酢味噌であえた小鉢料理をつくった。チャランポランの影響受けすぎ。

  1. フィルム傑作選 ソクーロフ : トークレポート 岡島尚志さん(7/24) []