Wednesday, October 31
月曜、火曜と絶不調で寝て過ごした。思い切り咽喉と鼻をやられてしまって、発熱も。これほど重い風邪はかれこれ10年くらいひいていなかったはずで、2日間、マスクとおふとんが親友だった。『装苑』では毎月、能町みね子が「雑誌の人格」という連載をやっていて、この雑誌を読んでいる人たちはこういう性格でこういう生活でこういう人種なのである、と文章とイラストで定義づけているものなのだけど、2012年1月号では「HR」という高校生を対象としたスナップ雑誌をとりあげていて、マスクをした女子高生のイラストの横に「高校生ってマスク好きだよね」と小さく書かれててへえー、今の高校生ってマスク好きなのか、可愛いマスクがいろいろ出まわっているせいかしら、と思ったのだけどわたしもマスクは好きで、わたしは子どもの頃本当に身体が弱くて母はしょっちゅうわたしを抱っこして病院に駆け込んでいたくらいでそういう母も身体が丈夫なほうでは決してないから、夜寝るときに咽喉が楽なのよ、とたびたびマスクをして寝ていたことも少し影響している。
どうでもいいけどこの連載で、2012年4月号では「ecocolo」愛読者のモデルケースとして「収入高め、安定した生活。結婚3年。子供はいない。会社を設立した37歳プログラマーの夫をもつ36歳、独立したデザイナー女性」と設定していて夫婦そろってこれ見よがしにおそろいの白いiPhone持ってる、と強調された(ようにすごく思える)絵にアハアハわらった。iPhoneをおそろいで持っていることを執拗に揶揄するひとってときどきいて、あれは何なのかと思うけど別に気にするほどではないけれど、気になるのは定期購読しているから仕方ないとはいえ毎月毎月増殖し続ける『装苑』をどうしたものかということだ。
病床で読んでいたのは国木田独歩『武蔵野』(新潮文庫)で、久しぶりに「忘れえぬ人々」を再読したのだけれど、今回は「郊外」「鹿狩」がとても沁みた。そして「武蔵野」の、
水上を遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は銀粉を撒たような一種の陰翳のうちに消え、間近くなるにつれてぎらぎら輝いて矢の如く走てくる。自分達は或橋の上に立て、流れの上と流れのすそと見比べて居た。光線の具合で流の趣が絶えず変化して居る。水上が突然薄暗くなるかと見ると、雲の影が流と共に、瞬く間に走て来て自分達の上まで来て、ふと止まって、急に横にそれて仕了うことがある。暫くすると水上がまばゆく煌て来て、両側の林、堤上の桜、あたかも雨後の春草のように鮮やかに緑の光を放って来る。橋の下では何とも言いようのない優しい水音がする。これは水が両側に激して発するのでもなく、又浅瀬のような音でもない。たっぷりと水量があって、それで粘土質の殆ど壁を塗った様な深い溝を流れるので、水と水がもつれてからまって、揉み合て、自ら音を発するのである。何たる人なつかしい音だろう!
という文章でも読めばすうっと熱がひいていくかのようだったが、それは幻想であった。
わたしにとって独歩といえば学生時代はロマン主義、自然主義の作家という認識だったがいまではすっかり『婦人画報』創刊者、編集者、ジャーナリストという肩書きで独歩を見ている。とはいえ黒岩比佐子の『編集者 国木田独歩の時代』をいまだ読んでいないというていたらく。
夜、ごはん+しらす干し、豆腐と長ねぎの味噌汁、鰯干し、小ねぎのせ冷や奴、切り干し大根とひじきの煮物、枝豆入りツナサラダ。
Thursday, November 1
このうえなく絶不調だった月曜日、家に「シマトネリコ」の木が届いた。ひさしぶりに大型の観葉植物を買ったのだった。昨年、ベンジャミンを我が家に投入して喜んだのだけれど、わたしは日誌には悲しいことは書きたくないと思っていて書かないので、書かなかったのだけれども、しばらくして葉がすべて落ちて枯らしてしまって、ひどく傷ついてしばらく恋はいいや、みたいになっていた。のだけれど、また新しい子が部屋に来ればいいな、と思い始めていた。シマトネリコはベンジャミンよりは丈夫で育てやすそうだ。
独歩の「忘れえぬ人々」を読んだので『日本近代文学の起源』( 柄谷行人/著、講談社文芸文庫)から「風景の発見」の章も読む。
Saturday, November 3
京王線に乗って府中市美術館で『ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅』を鑑賞。どうせならキャッチフレーズの「夢に、デルヴォー。」を展覧会タイトルとしてほしかったけれど。今年6月にベルギーを訪れた際に北海に面した街オステンドまで足をのばして、ここはあともう少し頑張ればポール・デルヴォー美術館にたどり着けるという地点なのだけど、よくよく調べてみたらオステンドからは近いようでいてやはり遠くて少しばかりの頑張りでは行けない、ということがわかってあきらめた経緯があったので、展示の入口で、今年はポール・デルヴォー美術館開館30周年という記念すべき年だということが今さらわかって口惜しい思いをして、でも結局その美術館での展示が日本向けに再編成されてベルギーのサンティディスバルドから府中に巡回されたということで、そうか巡回展か! それならまあいいか! と思って気を取り直した。これまでシュルレアリスムの一端として語られることの多かったポール・デルヴォーの、初期から晩年までの作品がそろい、知られざる最初期の習作や油絵、水彩画なども見られる。最初の頃はさまざまな絵画手法を取り入れ、カミーユ・ピサロやセザンヌ風の絵も描いていたことに驚く。「エペソスの集いII」という絵には裸婦、汽車、神殿、海、夜、蝋燭の灯り、といったデルヴォーならではのモチーフが総動員されていて、ショットとしてはこれらを真正面からとらえていてどこか舞台風でもあって、わたしはやはりこういうデルヴォーが好きなのでとても気に入った。以前、ガラスでできた神殿の大広間でバレリーナが踊っていて、その片隅に建てられた御影石の墓標にバレリーナがバラの花束を手向ける、という夢を見たことがあって、この夢をじぶんが見た夢の最高傑作としたいなあとずっと思っているのだけれど、この夢はどこかポール・デルヴォーの絵を髣髴とさせるものがある、ともずっと思っている。
府中市美術館、初めて訪れたけれど、図書室がなかなか充実していた。昭和! という感じの、ひと昔前の佇まいの美術全集がたくさん並んでいた。しかしデルヴォー関連の書籍はやはり少ない。今回、モディリアニの描く人物のような顔立ちの裸婦たちが森のなかにわらわらと集っている「森の中の裸体群」という作品がまがまがしくも魅惑的な雰囲気で、こうした絵もあったのかと、もっともっと観てみたい画家なのだけど、と画集があまり出ていないことを残念に思う。
府中駅前の伊勢丹でお寿司を食べ、再び京王線に乗って芦花公園で下車。世田谷文学館で「齋藤茂吉と『楡家の人びと』展」を観る。北杜夫がもういないのかと思うと本当に寂しい。つまらない思いをしていた中学高校時代、彼のユーモアに救われたことがどれほどあったか。まだ読んでいない本もたくさんあることがわかったのでこれから少しずつ読んでいくのでまだまだ楽しみが残っている。悪ノリしてつくった自宅が領土の独立国「マブゼ共和国」のパスポートにスタンプを押せるようになっていたので喜々として押して、図録も買ったらもれなく展覧会ポスターもついてくるとかで嬉しかったのだけど、どこに貼れというのか。
いったん新宿まで戻り、荻窪のささま書店に向かう。きょうのいちばんの目的は新潮社から出ている『ブルーノ・シュルツ全集』を買うことで、前回来たときに棚に並んでいたので売られていないことを願いつつきたのだけど幸いにというべきか残念ながらというべきか誰も買い手がつかなかったらしく棚に残っていたので無事お買い上げした。そのほか、蜂飼耳やムージルなど数冊を購入。
帰宅して、ごはん、茄子と長ねぎの味噌汁、鮎の塩焼き、卵焼き、ひじきの煮物、きゅうり+味噌、枝豆で夕ごはん。
目薬をさし続けているのだけれど、なかなか目のかすみがとれない。1日に4種類の目薬を4回ずつ、つまり合計16回さすというのはけっこう大変。
Sunday, November 4
朝ごはんにドイツパンにクリームチーズを塗ってベーコンをのせて焼いただけのを食べて、シンプルだけれどすごく美味しい。温かい珈琲が本当に美味しく感じられる季節になった。
『言わなければよかったのに日記』(深沢七郎/著、中公文庫)を読む。一時期、会うお年寄り会うお年寄り皆に、七郎さん、私も楢山へ連れてってくださいよ、と言われて嫌になっちゃった、あんな小説書かなければよかったと思った、というくだりでアハハと笑う。「こんなときの返事は「まっぴらお断りしますよ」と断れば楢山節考違反で、期待はずれをするかも知れないし「ハイ、行きましょう」と背負うわけにも行かないのだ」と。楢山節考違反。
夜、ごはん、油揚げと玉ねぎと小ねぎの味噌汁、焼いた鯖、卵焼き、小松菜のおひたし、さつまいものレモン煮、キムチ。かぼちゃの甘煮とさつまいものレモン煮を交互につくっている。週替わりという感じで。それにしても料理屋さんのカウンターに大皿にお惣菜がどっさりのったあの感じが大好きで、いつの日か本気でやってみたいものだ。 食後に『PARIS』(セドリック・クラピッシュ/監督、2008年、フランス)を観る。クラピッシュってもう50歳になったの! と映画と関係ないところで感慨にふける。