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Monday, October 1

読んだ本、『影の部分』(秦早穂子/著、リトルモア)。

Tuesday, October 2

読んだ本、『きみはいい子』(中脇初枝/著、ポプラ社)。これほど平易な言葉で、これほどの強度をもつ世界を表出させられる凄さ。

Thursday, October 4

読んだ本、『完本 酔郷譚』(倉橋由美子/著、河出文庫)。夜、大きく開け放った窓から雨あがりの冷風が吹き込んでくる。10月初旬、いまだ部屋着にキャミソールを着用しているわたしの裸の腕がキンキンに冷えてきて、冷たさの限界まできたところで窓を閉めた。

Friday, October 5

結局いつも、旅の支度は前日になってから。旅先の気温がどんな感じかよくわからないため、洋服えらびに時間がかかる。

Saturday, October 6

さすがに3時半起き、4時半出発などというタイムスケジュールはサディスティック過ぎるので4時半起き、5時半出発にしたのだけれど、10月初旬、早暁の空は紺青色に塗られてちらちら星も瞬き、冬至に向かって日の出時刻が加速的に遅くなり続けているのを実感する。スーツケースを引いて駅に向かい乗り込んだ山手線はお酒の匂いが充満していて、十余年前のわたしのように一晩中飲み明かしてぐったり居眠りしながら列車の振動に身をまかせる人々をぼんやり眺めた。早朝の東京駅は相変わらず人であふれている。大混雑の弁当屋で明太子と鶏飯のおにぎりを買って新幹線に乗り込み、さっさとおにぎりを食べ、iPhoneの写真の枚数を少し減らそうとiPhoneをいじっているうちに眠くなってきたのを我慢して、不要な写真を消去しているうちに飽きてきたため音楽を聴きながら続けて、早く終わらせて本を読もうと思っているうちに次々と団体客が乗り込んできてしまった。音楽を聴くことで外界のノイズをシャットアウトして本を読むということができないので読書は断念。聴いていたのはまたもやEmi Meyerの『PASSPORT』で、このところ長時間電車に揺られて長距離を移動するときにはこればかり聴いている。

わたしはこれまで新幹線で西へ移動したのは京都までで、中国地方を訪れたことがない。したがって今回の目的地である岡山県も未踏の土地だった。着いてみると、意想外の肌寒さと岡山駅の混雑ぶりにまごついてしてしまった。三連休の初日だからか。そして外国人の旅行客がとても多いことに気づいた。

ホテルに荷物を預け、早速倉敷へ向かう。テレビがなくてもNHKの朝ドラ「カーネーション」が大人気だったことは知っていて、でも倉敷がロケ地として使われていたことはつい数日前まで知らなかったので、カーネーションギャルズたちで大混雑なのだろうかと若干おののいていたのだけれど、こじんまりとした街にほどよい人の波で心地よかった。倉敷の美観地区はずっと来てみたかった場所だ。嬉しい。地図を片手にまずは大橋家住宅へ。ここは江戸時代の豪商、大橋家の住居だったところで、日本史が大の苦手なわたしは歴史的なことはちんぷんかんぷんなのだけれど、主屋、長屋門、米蔵、内蔵の4棟が重要文化財の指定を受けている倉敷町屋の代表的な建物で、内部も見学できるということで、ゆったりした住まいを見てみたかった。本当に行けども行けども部屋がある。迷子になる。迷子になった先に小さな小さな庭がひらけていて、瓶のなかで泳いでいた金魚の身体があまりに艶やかな紅色であることに驚いた。残された家具のなかに目をひくアイテムがふたつあって、ひとつめは古びた足踏みシンガーミシンでおそらく15型と呼ばれるもの。クラシカルで上品なミシン本体に、折りたたみ式のミシン台。本体の下に“SINGER”の文字。実家にあるものとほぼ同じで、祖母も母もわたしもこれを使ってきた。足踏みシンガーミシンはいつでもわたしをワクワクさせる。もうひとつは洋間に架けられた掛け時計で、秒針の先が月と星のかたちをしていてとても可愛らしい。

倉敷川を中心に柳の街並みが続く倉敷美観地区を歩く。天気予報によればもう少しくっきりと晴れるはずだったのだけれど、空は少し曇りがちだ。周りを見まわすと電線というものが見あたらず、電線と電柱が地下に埋められていることを帰京後にWikipediaなどを読んで知ることになる。倉敷川には白鳥が泳いでいた。お昼にはままかり寿司を。ままかりという魚の本当の名前はサッパといって、岡山県の郷土料理であることを知ったので食べてみたかった。食後、大原美術館の創設者である大原孫三郎が夫人のために建てたという有隣荘で、「平成24年秋の有隣荘特別公開」と銘打って辰野登恵子の展示が催されていることを知って小躍りする。有隣荘の室内におかれた辰野登恵子の絵画に惚けてしまって、いきなりなんて素晴らしい展示! と早くも興奮で息切れ。有隣荘の2階から窓の外を見やると別名「緑御殿」と呼ばれる所以である緑色をした瓦屋根が見えるのだけど、よく見れば瓦は緑色一色だけれはなくて微妙な色合いを生み出しているのがわかって、でもそれより屋根の突端にノートルダム大聖堂のキマイラのような生き物? が置かれていたので驚いた。あれは何だろう。続けて貫禄の大原美術館を黙々と鑑賞し(本館、分館、工芸・東洋館すべて)、同館のコレクションの趣味の良さにあらためて感服した。喫茶店エル・グレコ(ここの窓はわたしの好きな上げ下げ方式だ)で休憩した後は本町通りを歩いて古書店「蟲文庫」をめざす。店内をくまなく見てまわったのち、辻邦生の『嵯峨野明月記』を購入。『嵯峨野明月記』は古本屋に行くたびに探し求めていた一冊で、とても綺麗な状態のものにやっとめぐりあえて嬉しかったのだけれど、入手する地が倉敷になるとは予想だにしていなかった。

日没間近、当初の予定にはなかった倉敷アイビースクエアまで足を伸ばす。蔦好きならきっと行っておいたほうがいいところ、ということで。閉館時刻の迫った児島虎次郎記念館に駆け込み、これで有隣荘/児島虎次郎記念館/分館/工芸・東洋館/本館と、全館を制覇し、有隣荘でもらったチケット兼大原美術館パスポートにすべてスタンプが押されたので満足した。大原美術館のコレクションの収集にあたった洋画家・児島虎次郎はベルギーのゲントに遊学し、スペインを訪れた際には須田国太郎とも行動を共にしたとかで、須田国太郎が大好きなのでその事実に興奮したが、そもそも児島虎次郎は江國香織の絵画エッセイ『日のあたる白い壁』の表紙に「睡れる幼きモデル」という絵が使われていたことで知って、鮮やかな色彩が特徴的なのに不思議とうるさくない作品がずらりと並んだ児島虎次郎記念館のなかで特に「朝顔」という一作が目を引いたのだけれどその「朝顔」について江國香織は「「朝顔」という絵もおもしろい。随分と広い大きな朝顔棚の、思うさま日ざしを浴びて、ちらちらと葉もれ日を落としている植物はまるでつるバラのようだがよくみれば花も葉もたしかに朝顔で、画面中央に立つ浴衣に下駄ばきの少女は顔つきも体型も日本人なのに、全体としてどうも日本ではない場所のような空気を持ってしまうこの絵には、でも不思議なのどかさというか平安があって、結果的にしっくり調和してどこにも無理がない」と完璧に的確な言葉で嘆賞している。

灯りがともり始めた倉敷を後にして岡山に戻る。次の目的地に向かうために岡山電機軌道という乗り物に乗らなくては、たぶん地下鉄だと思う、というわけで岡山駅前でかなり必死に地下鉄の入口を探していたらば地下鉄ではなくて路面電車なのだった。世の中知らないことばかりだけれど地下鉄より路面電車のほうが好きなので嬉しかった。夜の路面電車に乗って、城下で降りた。これも「じょうか」と読んでいたけれど正しくは「しろした」だった。cafe moyauへ。遠いけど近い、近いのに遠い、と勝手に思っていた図書館部屋に到着。そしてずっとお会いしたかった店主の方にはじめましてーなんだか照れますねぇ変な感じですよねぇとご挨拶して、ご迷惑かもしれないしはなはだ勝手ながら、この方とはずっと同志! という気がしていたけれども実際会ってみてもやはりそういう感じがすることだなぁとこっそりしみじみ思い、あれこれ感慨にひたりつつ壁一面の本を背に美味しいmoyau定食をいただき、食事のあとはビールを飲みながら自宅の蔵書とかぶっている本を探し出す遊びをした。もっと長居をしたかったけれど、明日の朝も早いのでお会計時に「長々とすいませんでした」と言って切り上げ、ホテルに戻って眠った。

Sunday, October July

岡山駅前のパン屋で朝食のパンを買い、人影まばらなJR宇野線に乗り込み宇野駅をめざす。発車が近づくにつれて乗客も増え、わたしの席の斜め前方の席に陣取った女子中学生たちは朝からにぎやかにさえずって可愛らしい。朝食のパンを食べ終わって1時間ほどの乗車時間、窓の外を流れる景色を眺めていてもいいのだけれど、せっかくローカルな路線に乗っているのだから地図好き・路線図好きとして地形を把握しようとiPhoneでさっそくGoogleマップを開いて線路をたどり出したら宇野駅のあたりに「玉野市」の文字が。玉野といえばいしいひさいちの出身地じゃないの! とにわかに色めきたち、そうだった、失念していたけれどいしいひさいちは岡山県玉野市出身で岡山県立玉野高校が母校であったことよ、ではこの電車に乗っている生徒たちのなかにはいしいひさいちの後輩がいるわけか、嗚呼うらやましいこと、と高揚感いっぱいで宇野駅に着いたらば駅を出て見えたものは「ののちゃんち いしいひさいち展覧会」の文字が書かれた看板。iPhoneで開場時間を調べ、直島での観光行程をすべて棒に振れば訪れることも可能ということがわかったのだけれどさすがにそれもなんだから、ということで時間もあるしとにかく会場だけでも見に行くことにした。ののちゃんが可愛らしく「ここを 曲がってね」と指さす立て看板を一眼レフでパシャパシャ。たどり着いた会場でののちゃん一家が描かれたパネルも一眼レフでパシャパシャ。駐車場の一角に「ののちゃんち専用」って書かれていたけど、それってどういうこと? と訝りつつ展覧会会場を後にして、宇野港で四国汽船に乗っていざ直島。瀬戸内海に浮かぶ島々が近くに遠くに現れる。こうした景色を今まで見たことがなかったので、本当に本当に見てみたかったので、感激した。天気も良く、フェリーのデッキは老若男女であふれて皆楽しそうでわたしもどうしたって楽しさに満ちて仕方ない。

直島がどれだけ広いのか狭いのか実感としてはまったくわからないけれど、地図で見ればそこそこの大きさで、それでもやはりそれほど大きい島には思えないからこんな小さな島にこんなに人が集まるなんて……という感想をもってしまうほどあまりの人の多さに面食らう。地中美術館にはすんなりと入れず、まずは入場整理券をもらうために並ばなければいけないというのだ。いくら三連休の中日でうららかな晴天だからといってもそんなに段階を踏むのか、と引き続き面食らう。どのみちすぐには入れないのだからベネッセアートミュージアムを先に観ることにしてさっさとバスで移動して、現代美術をフムフムと鑑賞して、この美術館は上階から海が一望できて、それはやはり素晴らしい眺望だった。それから地中美術館、李禹煥美術館とめぐるあいだ頭上の太陽がカンカン照りつけてとても暑かったため日傘をさして歩いた。寒さを懸念していたくらいだからまったく予想外の暑さだった。地中美術館は建物はともかくとしても、モネもジェームズ・タレルもウォルター・デ・マリアもはるばる観に来た甲斐があったと心から思えて、でもやっぱり李禹煥美術館がもっとも見事だった。

時間節約のために昼食はとらずに地中美術館の売店で買ったドーナツをもぐもぐしながら海岸線に沿って直島名物・草間彌生のかぼちゃをめざして屋外に点在する作品を観ながら歩いたのだけれどそれなりに距離があって、この行程に空腹はきびしかろう、加えて暑さもきびしかろうと、本当にドーナツを買っておいてよかったと心から思った。草間彌生のかぼちゃにはまたしても撮影する人たちが長蛇の列をなしていてええええぇ……と思い結局じぶんもそのなかのひとりとしてかぼちゃを無事カメラにおさめたものの、もっともかぼちゃよりもその手前あたりで杉本博司の作品を観ることのできる、砂浜から海に向かって突き出した突端のほうがはるかにワクワク興奮した。最後の目的地、家プロジェクトで念願かなって「碁会所」で須田悦弘の椿を鑑賞して歓喜して、「角屋」で宮島達男、「護王神社」で杉本博司とめぐってカフェで休憩していたら突然の豪雨。残念ながら大竹伸朗の「はいしゃ」は観られずじまいになってしまったが、幸い傘をもっていたのでそれほど濡れずにバス停まで移動して、直島の玄関である宮浦港に満員のバスで向かううちに雨があがった。バスを降りて港近くにある直島銭湯「I♥湯」を観に行ったら若者がわらわらと集まり外観の写真を撮りまくっていてシュール感倍増。港に戻ると灰色の雲が速いスピードで空を渡っていくのがわかった。天候はまだ少し不安定だ。しかしめまぐるしく移り変わる空の色、夕陽を映す海面の、何という美しさ。恍惚としたまま宇野港まで帰ってきたら雲の切れ間から綺麗な青空がのぞいていた。もう本日のいしいひさいち展覧会は終わってしまっていた。

いったんホテルに戻って一呼吸おいてから夜の倉敷にくり出す。本町通りに面した焼鳥屋で美味しい焼鳥とビール。きのう訪れた蟲文庫はすぐそばだ。お店を出て少し通りを散歩したら古い静かな街並に橙色の灯りがぽつぽつ煌めいていて、京都にいるような気分になった。明日で旅行最終日。

Monday, October 8

このところの泊まりがけの旅行といえば昨年6月に京都に行って、今年2月に名古屋に行って、6月にフランスとベルギーに行って、そして今回倉敷・直島・岡山ときたわけだけれど、旅日記を書いてもわかるようにというか旅日記を書くまでもなく超ハードスケジュールな旅程を組んでいる(少なくともじぶんのキャパに対してハードすぎる)ということは十二分にわかっていて、でもどんなにへとへとになっても後から思えばやはり頑張っていろいろまわってよかったね、と結局のところ思い至る。しかしながらきょうの日程はかなり余裕のあるもので、それほどあくせくと移動しなくて済むのでこれはこれでとても楽で落ち着いていてよいものだ。

昨晩焼鳥を食べ過ぎたせいもあって朝ごはんを必要としなかったので何も食べずにまずは岡山県立美術館に「自由になれるとき 現代美術はこんなにおもしろい!」を観に行った。国立新美術館で「具体」展を観てからというものやたらと吉原治良や白髪一雄の作品ばかり観ていて、きのうに続いてきょうも観て、ちなみに草間彌生も須田悦弘も二日連続で観た。須田悦弘の作品はきょうは大変わかりやすい場所にあった。お腹がすいてきた頃に一昨日の晩に続いてまたもやcafe moyauに向かったのだけれど、事前に店主からこの日はお店がとあるイベントの会場になるからちょっと混むかもしれない、と教えてもらっていたのだけれどやはり行きたかったので行ったらたしかにその辺り、出石町いったいにいろいろなマルシェが出ていてcafe moyauの前にも出店が出ていて皆とても生き生きと楽しそうだった。その様子を眺めながら日替わりの定食をいただいて、イベントのフライヤーを見ていたら「451ブックス」という本と雑貨のお店だろうか、が本と雑貨を出しているというので実店舗があれば行ってみたいなと思ったら所在地が玉野市で、え、また玉野市、ってことは遠い! と断念。後ろ髪をひかれる思いでお店をあとにして、水彩画のような雲たなびく水色の空のもと旭川に架かる橋を渡って後楽園を散策したのちインターネットでどこか一服できる場所を調べてみたらCoMAというカフェに行ってみたくなり、無事探しあてたらそこに置かれている本が、すべてかどうかはわからないけれどどうやら451ブックスがセレクトしたものだということがわかりつながった……と思った。美味しいチーズケーキとアイスコーヒーをいただきながら、今回の旅に持参した一冊、『カレル・チャペック旅行記コレクション 北欧の旅』(飯島周/訳、ちくま文庫)を読む。願わくば、次の旅の目的地がここであらんことを。たとえ短い時間でも旅の途中で落ち着いて静かに本を読む時間があるのはとてもよく、一気に疲れが回復したようだった。といってもあとは家に帰るだけだ。岡山駅を発てば、あと3時間でわたしは旅人ではなくなる。行く場所も帰る場所も決まっている、旅するわたしはいつも気楽であることよ、嗚呼気楽気楽、と思いながら数時間後、3日ぶりに馴染みのベッドで眠った。