March Monday, 12
晴れ。諸用あって実家まで。近くの公園まで犬をつれて散歩に行く。もう亡くなった祖父はピアノを教えながら趣味で絵を描いていて、幼い頃、その公園で柿の木のスケッチをしているのをそばについてじっと眺めていたのが思い出されるのだけれど、いま柿の木といえば、2月にミヅマアートギャラリーで観たオ・チギュンの柿の絵が素晴らしかったことがいちばんに思い出され、筆ではなく指で描かれたオ・チギュンの柿の色や武骨ながらもどこかしなやかな枝ぶりなどを脳裏に浮かべながら公園に佇みよく木を見たらそれは桜の木で、見事な思い違いだったことを呆気なく思い知る。
実家を出てもう何年か経つのにいまだに自分の荷物がわんさかと置かれているという事実を思い出すたびにどうしたものか、いや片付けるしかないのだけど、とげんなりする年月を過ごしているのでこのげんなりから脱出するためにそろそろ本気で片づけをしなければならない。ファッション誌が年に2度のコレクションごとに掲載するモデルやファッションジャーナリストたちのスナップショット特集を1990年代後半から10年間くらいスクラップしていたのとかどうしよう。捨てたくない。でも思い切って捨てる。記念すべき最初に買った特集のみ残して。パンフレットとかもどうしよう。売れるのかもしれないけど売る手間が面倒。前にだいぶ捨てたはずなのに、まだこんなに残ってる。2004年に公開された井口奈己監督の『犬猫』のパンフレットが出てきて、この映画は本当に好きで、登場人物たちがダッフルコートやら耳当てつきニット帽やらかぶっているので冬になるといつも観たくなる一本であり、これは捨てられないので持ち帰る。
高校時代や浪人時代に読みたかった本をメモしたノートが出てきて、版元でみると青土社やら水声社が多かった。それにしても昔は字が上手かった、とじぶんの書いた文字を見て現在との落差に愕然とする。
夜、『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督、1982年、アメリカ)を観はじめたのだけれど昼間の疲れがたたって5分くらいして気がついたらエンドロールだった。つまらなくて寝てしまうのではなく、もう疲れて寝てしまいそうだなと思いながら映画を観はじめてやっぱり寝ちゃったというのがいちばん悔しい。
Tuesday, March 13
朝、『ヴィットリオ・デ・シーカを感動する―イタリア・ネオリアリズムの旗手(スクリーン・デラックス)』(SCREEN/編集、近代映画社)を読む。出勤前にデ・シーカを感動する。変な文。なんだろうその状況は。
夜、早速『犬猫』(井口奈己監督、2004年)を鑑賞。なぜこの映画が好きなのかと問われて、それは山田宏一と蓮實重彦が誉めているからさ、の一言で終わらせても十分であるけれど、映画から離れようとすればするほど映画的になっていく面白さがあるように思う。そこにカメラがありました、差し出されたものをただ映しつづけました、というつくり方はエリック・ロメールに似たところがある。榎本加奈子、藤田陽子主演の本作品は1990年代末に井口監督が制作した8mm版のセルフリメイクなのだが、山田宏一は8mm版にも35mm版にも慈しみに満ちた批評を寄せている。
クローズアップを映画的な手法として体系化したことで知られるD.W.グリフィスの映画のヒロインのひとり、キャロル・デンプスターをかつてジャン=リュック・ゴダールが評した表現を借りれば、榎本加奈子のヨーコは強情そうな愛らしさだ。それに対して、藤田陽子のスズはフランソワ・トリュフォー的「こんにちはという挨拶のように単純な」率直さだ。(p.5)
Saturday, March 17
雨。お昼前には本降りに。一日読書。『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』(金井美恵子/著、新潮社)、『パリ南西東北』(ブレーズ・サンドラール/著、 昼間賢/訳、月曜社)、『美しい書物』(栃折久美子/著、みすず書房)、『宇野亜喜良 少女画 六つのエレメント』(近代ナリコ/編、河出書房新社)を読み、合間に『棒がいっぽん』(高野文子、マガジンハウス)、『美術手帖 2012年2月号』(美術出版社)を読む。雨に降りこめられて読書に耽るのはただただ気持ちがよく、「耽」という漢字がよく似合う。
Sunday, March 18
曇りときどき雨。上野へ。ランチは音音で鶏の唐揚げマヨネーズソース添え定食を。上野の森美術館にて「VOCA展2012 新しい平面の作家たち」を鑑賞。毎年、VOCA展の文字を見ると春だなあ、と思う。展示は今年も楽しめたけれど、いつもにくらべて印象に残る絵が少なかった。とはいえ、好奇心を刺激された作家となれば鈴木星亜(VOCA賞)、桑久保徹(VOCA奨励賞)、武居功一郎(同)、田中千智、永禮賢、松本三和、小村希史、竹中美幸、とけっこうな人数を挙げてしまう。
帰りに花屋で今週の食卓の花を購入。「パーティーラナンキュラ」という小ぶりのバラをえらぶ。先日買った黄色の花の名前を尋ねたら「カルセオラリア」とのこと。今日はしっかりiPhoneにメモした。
夜、『東京暗黒街・竹の家』(サミュエル・フラー監督、1955年、アメリカ)を鑑賞。この映画のセレクトには脈絡があり、Wikipediaによると数日前に観た『犬猫』の井口監督の祖母が『東京暗黒街・竹の家』にエキストラとして出演してるそうだからそれつながりなんだけど、ほんとなのか。
その後つづけて『犬猫』のメイキングを観る。このメイキング映像に限らず、映画制作現場の、監督の「よーい!」とか「走ってー!」とか、真剣というよりも悲壮、悲痛、必死、と形容したくなるようなかけ声や眼差しを見聞きするといつでもぐっときてしまうのだなあ。