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Monday, June 27

お弁当、ご飯+しらす干し+梅干し、卵焼き、鶏肉の青唐辛子炒め、パスタとポテトとコーンのサラダ、ひじきの煮物、蒸したにんじん。

『装苑』の定期購読を始めたので発売日より少しまえに自宅に届くようになった。最新号では椎名林檎がモンパルナスのキキに扮してカバーストーリーを飾っている。わたしは椎名林檎のつくる音楽、いでたち、言動などとても好きでそれらから伺い知れる内面も相当に思慮深い方なんじゃないかと思えるのだけど、いちばん注目してしまうのはステージにおけるファッションで、ステージ写真のみをただひたすらまとめた写真集があれば買う。帽子をかぶるとか花を飾るとかヘッドドレスをつけるとか頭の装飾に興味があるので椎名林檎、中山うり、二階堂和美などは見ていて楽しい。椎名林檎は「好きなデザイナーは?」と訊かれ、いっぱいいるので困るけど最近は特に「フィービー・ファイロとシャルル・アナスタス」と答えていて、フィービー・ファイロは今じゃセリーヌのクリエイティブディレクターだけど以前手がけていたクロエは鮮烈だったしシャルル・アナスタスはわたしがここ数年とくに気になっているデザイナーではないか、と嬉しくなった。

(資生堂のCMで使われている)「女の子は誰でも」は、シャルル・アナスタスの天使があしらわれたロゴから「あ、フルートが軽やかに鳴っていたらいいかも」と触発された編成なのです。洋服の色やシルエット、時にはブランドロゴのフォント(字体)などがアレンジのヒントになるんです。

とのこと。

行き帰りに『京都美術鑑賞入門』(布施英利、ちくまプリマー新書)。

*今日の一枚  Jackson Sisters/Jackson Sisters

Thursday, June 30

お弁当、ご飯+しらす干し+梅干し、卵焼き、豚肉の青唐辛子炒め、小松菜の炒めもの、ひじきの煮物、蒸したにんじん。

『エミリ・ディキンソン詩集 わたしは誰でもない』(エミリ・ディキンソン、川名澄訳、風媒社)。先日読んだ堀江敏幸の『象が踏んでも』では岩波文庫の『対訳ディキンソン詩集』(亀井俊介訳/編)が取りあげられていた。

読み進めるうち、私たちはディキンソンによって、命の兆す前の世界に連れ去られてゆく。生と死が、ここではもはや境界線をなくし、読者は言葉という眼のない「ひとがた」に、それぞれの魂を込めていくことしかできない。

ことばは死んだ A word is dead/口にされた時、When it is said, /という人がいる。 Some say, /わたしはいう I say it just/ことばは生き始める Begins to live/まさにその日に。 That day. (一二一二番)

一八七二年頃に書かれたと思われる短詩。言葉は死んだ瞬間に生きはじめる。旅は終わった瞬間に新しい旅を可能にする。終わりのないこと。それが、旅の本質でもあるのだ。

と堀江敏幸は書いている。これは『わたしは誰でもない』にも収録されていて読むことができる。お昼に読んでいたのは

わたしは誰でもない あなたは誰ですか/あなたも 名無しさん ですか/それなら似た者どうしだわ/秘密にしてね ばれたら ただではすまないから/お偉いさん になるなんて うんざり/おおっぴらですよ 蛙みたいに/六月のあいだ 名前をとなえつづけるなんて/もてはやす泥沼なんかに

六月が終わる。

*今日の一枚  恋は水色/コモエスタ八重樫

Friday, July 1

お弁当、ご飯+ごま塩+梅干し、卵焼き、豚肉の青唐辛子炒め、小松菜とピーマンのソテー、ひじきの煮物、蒸しにんじん。

『井戸の底に落ちた星』(小池昌代、みすず書房)を読む。今月、みすず書房から同著者の『文字の導火線』が出るのでその予習として。『井戸の底に落ちた星』には“初めて読んだセルビア文学”として、トラゴスラヴ・ミハイロヴィッチの『南瓜の花が咲いたとき』が紹介されていて、この本知らなかった。面白そう、読んでみたい。セルビア文学とは……出版社はどこなんだ、と思ったら未知谷だった。

*今日の一枚  The Nightfly/Donald Fagen

Saturday, July 2

映画「特別な一日」(エットーレ・スコラ、1977年、イタリア/フランス)を観た。いい映画。電灯やコーヒー豆などの小道具の使い方といいソフィア・ローレンがストッキングにあいた穴に気づいて隠す描写といいさりげない家族紹介の仕方といい時間の経過のあらわし方といいある意味、映画の教科書ともいえるような映画。そしてカメラワークが素晴らしい。冒頭とラスト、窓の外からカメラがじょじょに近づいて家のなかに入ってワンシーンワンカットで見せるところ、あれはどうやって撮っているのだろう。調べるとこの監督は脚本家出身ということで深々と首肯した。

バーゲンの季節であることをすっかり忘れていて、バーゲンバーゲンと言われてもふーんバーゲンねえ、としか思わなかったのだけど吾妻光良 & The Swinging Boppersの「やっぱり肉を喰おう」のメロディーにのせて「やっぱり服を買おう!」とだんだんに気持ちが盛り上がっていったのだった。果たしてバーゲン行くならなめられたらあかん、とヒールの高い靴を履いてのぞんだ伊勢丹のバーゲン会場で意気揚々と涼しげな夏のトップス(ラインストーンが綺麗)を購入。Dries Van Noten、MAURIZIO PECORARO、Alberta Ferretti、DIANE von FURSTENBURG、Chloé、REED KRAKOFF、THAKOON、sacai、Bilitis、MUVEILなど見て触れて愛でる。でも購入せず。みるみるうちに疲弊の一途をたどる足をひきずりながらふらりと入った店舗で大きな水玉模様のワンピースを見ていたらこれを1枚でさらっと着てつばの広い帽子とピンヒールを合わせたら素敵ですよ! と店員さんにそそのかされ完全にスイッチオンされてしまい、はりきってワンピースを含む数着をお買い上げた。ワンピースは1枚でさらっと着るに限る。ただ昨年シャルロット・ゲンズブールのコンサートに着て行ったワンピースだけはレギンスを合わせることをよしとしている。

それはそうと早く林央子の『拡張するファッション』が読みたい。

*今日の一枚  cure jazz/UA×菊地成孔

Sunday, July 3

スターバックスコーヒージャパン鎌倉御成町店で朝食をとることに全精力を注ぐ日と決めていたので朝6時半の電車に乗って一路鎌倉へ。道中、『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里、講談社文庫)を読む。鎌倉到着。ただいま。おかえり。スタバで読書、のはずがやはりプールと庭と木漏れ日とテラスに映る影を見ていたら気持ちよくてそのままぼーっと過ごしてしまった。

午前中、まだ早い時間、海を見た。次に鎌倉の海を見つめるのはいつになるだろうか。わたしを育ててくれた鎌倉の海。願わくば2、3ヶ月に一度は来たいところ。とりあえず魂は稲村ケ崎に置いてきた。

鎌倉文学館で「米原万里展  ロシア語通訳から作家へ」鑑賞。ロシア語の通訳として活躍したのち数々の名エッセイを生み出し、作家・エッセイストとして名をなした米原万里の一生をたどる展覧会。幼い頃から読書が大好きでひとつのことにひたすらのめり込み、話をさせると天下一品の面白さだったようだ。羨ましい。持論のひとつとして、文章が上手く面白い人はしゃべっても上手く面白い(たとえば堀江敏幸のように)。何かを書くときには対象について徹底的に調べあげたという姿勢は彼女の書いたものを読んでもうかがえて、本人はじぶんの文章を「ぎくしゃくした文章」と称しているけれどもそれはもちろん謙遜であり、実際はものすごい情報量を含んでいるにも関わらず明瞭で歯切れがよく、文面から目が吸い付いて離れない。

展覧会を知らせるチラシのビジュアルもとても良く、幼少期から晩年までの年代順に並んでいると思しき万里マトリョーシカたちが秀逸。犬猫を愛した米原万里らしく、最初と最後のマトリョーシカには胴体に猫の絵が描かれているところも気持ちが行き届いていて泣かせる。

しかし陽気なアメリカン・ジョークもいいけどロシアのアネクドートはコクがあって好きだなあ。「いいか息子よ、酔っぱらうってどういうことか知ってるか? 目の前にある、この2本のウォッカが4本に見えたら酔っぱらってるってことだぞ」「それ最初から1本だよ、父ちゃん」とかシンプルで素晴らしい。素材の味を生かしたアネクドート。わたしはこのアネクドート1つと簡単な手品をいくつか身につけているのだけど、残念ながら披露する場所がない。なくてよろしい。