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Tuesday, April 30

『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』(フレデリック・ワイズマン監督、2011年、フランス/アメリカ)を鑑賞。楽しみにしていた映画だったのに途中でうつらうつらと睡魔に襲われたのは、連休明けの労働三昧のあとで疲れていたというのもあったし、鑑賞前に夕飯とともに幾許かのアルコールを摂取したというのもあるけれど、それより大きかったのは期待していたワイズマンの映画とはちょっと違っていたからだ。わたしが見たかったワイズマンは『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』には希薄だった。何が違うのかと問われてもうまく説明できる気がしないが、何かが違っている。それは近年の作品だからというのではなく、たとえば『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』の前年に発表している『ボクシング・ジム』をユーロスペースで見たときは、嗚呼、これぞワイズマン! とわたしの期待するワイズマンがスクリーン全体に染みわたっていたのだけれど。なんでだろう。乱暴なことをいえば、Bunkamura ル・シネマでかかるワイズマンは、違う。

Wednesday, May 1

夜、『有りがとうさん』(清水宏監督、1936年、日本)を鑑賞。はじめての清水宏。

May 2, 2013 Thursday,

『味な映画の散歩道』(池波正太郎/著、河出書房新社)を読んでいたら、出かけて行った試写について、つぎのように綴られている。

男はダーク・ボガード、女はシャーロット・ランプリングというすばらしい適役を得て、ナチズムのグロテスクな頽廃が、まざまざとよみがえってくる。
何も、この二人の男女がおこなっている愛欲の実体というものはグロテスクでもなく頽廃でもなく、健康な明るい生活の中に在っては何でもないことなのだが、再会した二人が転落して行く性愛の陰惨さは、彼らを取り巻く生き残りの親衛隊員たちの恐るべき生存本能によって死滅させられることにつながって行くのである。
ボガードの暗い演技はいよいよ深味を増し、ランプリングのしなやかな女体の底に潜む獣性もすさまじい。この二人の演技あって、私どもは、この映画のすべてを納得できたともいえるほどの出来栄えであった。(p.18)

ここで引用したのはいうまでもなくリリアーナ・カヴァーニの撮った『愛の嵐』をめぐっての評だけれど、映画の感想というのは人それぞれで違うものですね、と当たり前のことを今更ながらに思ってしまうのは、蓮實重彦と武満徹の対談本『シネマの快楽』(河出文庫)のページをめくってみたならば、『愛の嵐』に関して以下のようなやりとりを確認できるからだ。

武満 ぼくは、およそどんな映画でも好きなんだけど、ダーク・ボガードで今思い出したけど、リリアーナ・カヴァーニが撮った、ダーク・ボガードが出ている映画で、彼が橋の上で死ぬやつ……
蓮實 最悪ですね(笑)。
武満 最悪でしょう。だけど、あれ人気があるらしいですね。あんなインチキな映画ないと思ったけど。どのショット見ても、めちゃくちゃだし、下手だ。見ていてたまらなかったですね。やりきれない。
蓮實 演出力ゼロですね。
武満 思い出した、『愛の嵐』っていう題でしたね。ぼくは、ああいう映画はだめなんです。どんなものでも大体がまんしますけど(笑)。
蓮實 映画を知らないで撮っているとしか思えないですね。
(pp.292-293)

Friday, May 3

晴れ。六本木ヒルズアリーナで日中を過ごす。

フランツィスカーナーBar&Grillでドイツビールとソーセージの昼食ののち、森美術館で10月にやるスヌーピー展の前売りチケットを買うために売り場に向かったらすごい行列。行列の理由はミュシャ展らしい。ミュシャの人気で混んでいるのかゴールデンウイークだから混んでいるのかいまいち判別がつかないのだが、途方に暮れるような行列を前にして、ミュシャの展覧会なんてこれまで何度もやってきたわけで、こんな行列に並んでまで見たいかなあと思ってしまう。

kindleで森鴎外を読んでいる。「舞姫」「うたかたの記」「文づかい」を読了。

Saturday, May 4

ニューヨーク・タイムズ主催の対談、サルマン・ラシュディとアイ・ウェイウェイのやりとりをWEBで視聴する。対談といってもスカイプ経由のもので、それにニューヨークの会場にいるラシュディが司会者と喋っている時間がほとんどだったような気もしたが、それはそうと出かける準備をしながらの視聴だったので、というか、そもそも語学力に問題があるので、ざっくりとしか内容を把握できなかったのだけれど、ラシュディにしろアイ・ウェイウェイにしろ、顔写真はどちらも怖い顔しているのだが、動いている様子はわりと温厚そうである事実を知れただけでも収穫としよう。家を出る間際に『明日、広場で』(港千尋/著、新潮社)をひろげる。著者が1993年にストラスブールで開かれた作家会議の様子を撮った写真が載っている。壇上にいるのはジャック・デリダ、ピエール・ブルデュー、サルマン・ラシュディ、スーザン・ソンタグ。今、この世にいるのはラシュディだけになってしまった。

隙間時間の読みものとして『UP』5月号(東京大学出版会)と『図書』5月号(岩波書店)を鞄にしのばせて、竹橋に向かう。東京国立近代美術館で「フランシス・ベーコン展」を堪能。最後がウィリアム・フォーサイスの映像で部屋が埋まっていたのは、展示作品が足りなかったからだろうか。(邪推)

地下鉄を乗り継ぎ、表参道駅で降りて、Annon cookで昼食。このカフェはもうすぐ代官山に移転するらしいので、食事をしつつキャットストリートを上から眺めるというのも、これで見納めかもしれない。

ルイ・ヴィトンのギャラリーでインドの現代美術を見てから、恵比寿に移動し、ナディッフで「花代 ベルリン hanayos saugeile kumpels」「天野祐子 unknown I renown」「ハジメテン庫 〜ビッチビチストレージ!〜」を鑑賞。つづけて、スタバでの休憩を挟みつつ、東京都写真美術館で「マリオ・ジャコメッリ写真展」と「アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密」を遊覧。

Rue Favartの3階窓際で、暮れてゆく外の景色を眺めながら、おいしい食事とおいしい赤ワイン。

Sunday, May 5

晴天。新宿御苑でピクニック。敷物だけを用意して、新宿伊勢丹の地下食料品売り場で食べものを調達するという、金にものを言わせたブルジョワピクニックを強行するが、ものを言わせるほど金があるわけでもないので、今後の財政状況に一抹の不安を残す。 芝生に寝っころがりながら、『みすず』5月号(みすず書房)とkindleで森鴎外「ヰタ・セクスアリス」という、あまりピクニック的な感じのしないものを読了する。