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Monday, March 18

午前中、病院に抗生物質をもらいに行く。ようやく体調が回復基調。

「詩とサンドイッチ。」と題された特集の『クウネル』の表紙が素晴らしく、それはタルコフスキーがおもに映画制作の資料として使っていたポラロイド写真からの一枚が使われている。被写体は、樹々がまわりを囲む川沿いに佇む妻と飼い犬で、タルコフスキーの映画とおなじくどこか幻想的な色調を帯びている。『クウネル』の記事ではタルコフスキーのポラロイド写真集は Bright, bright day もしくは Instant Light: Tarkovsky Polaroids があり、国内ではペーパーバック版の後者のほうが入手しやすいとあるので、早速アマゾンで注文。(でも後者の写真集には表紙の写真は載ってないのに気づくのは本が届いてから。)

Tuesday, March 19

いつのまにやら桜が咲いている。

自宅に帰ったら不在届の伝票が。タルコフスキーのポラロイド写真集が明日までおあずけになってしまったので、代わりにタルコフスキーの小説を読む。『サクリファイス』(鴻英良/訳、河出書房新社)。この小説は脳裏に映像が浮かぶ作品だという言い方がたまにあるが、小説『サクリファイス』を読むと映画『サクリファイス』の映像が脳裏に浮かぶ。当たり前か。

Wednesday, March 20

春分の日。上野の森美術館で「VOCA展」。VOCA展20周年ということでつくられたカタログを資料として購入。先週の発熱で消耗した体力を回復させるため、お昼は土古里で焼肉を食べる。塩タレ牛タンと山形牛カルビセット。

初台に移動して、Le Pain Quotidienでティラミスとアイスコーヒーの休憩ののち、東京オペラシティアートギャラリーで「新井淳一の布 伝統と創生」「寺田コレクション 収蔵品展043 自然の表現 わが山河 Part IV」「Project N 51 阿部未奈子」の三本立て。

Saturday, March 23

青山一丁目のCAFE246で食事のあと、午後は憑かれたようにギャラリーをまわる。

・ここに、建築は、可能か:第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館帰国展(ギャラリー・間)
・サスキア・オルドウォーバース(OTA FINE ARTS)
・リュック・タイマンス「The Spill」(WAKO WORKS OF ART)
・カーラ・アロチャ&ステファン・スヒラーネン「Sunday」(WAKO WORKS OF ART)
・フランシス・ベーコン(TAKA ISHII GALLERY)
・橋本照嵩「瞽女 GOZE」(ZEN FOTO GALLERY)
・クリスティアーネ・レーア(TAGUCHI FINE ART)
・永井一正ポスター展(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)
・shiseido art egg 川村麻純展(資生堂ギャラリー)
・北島敬三写真展「PLACE」(銀座ニコンサロン)
・清川あさみ「こども部屋のアリス 絵本原画展」(ポーラミュージアムアネックス)

途中、銀座のライオンでソーセージとビール。

Sunday, March 24

復刊した二階堂奥歯の『八本脚の蝶』(ポプラ社)をクロネコヤマトが運んでくる。最初はネットで、つぎは図書館で借りて、そしてとうとう書物の形態で二階堂奥歯の日記が手元に届く。

死の臭いがべったりと染み付いている『八本脚の蝶』の後半の日記を読んで、たとえばDSM(精神障害の診断と統計の手引き)と照らし合わせながら、彼女のアポリアに何らかの精神的障害だと病名を与えることは可能かもしれない。しかし今となっては、そんなことはどうでもよいことで、日記を読むかぎり、現実世界とうまく整合がとれなくなって生き続けることが困難になった——それ以上のことは言いようがない。もっとも、現実世界との不協和音とは、社会生活に問題を抱えるなどという次元とはまるでちがう話で、社会生活の歪みで悩んでいたのであれば、彼女の死は凡庸であり、彼女の日記が少なくない人々に影響を及ぼしつづけることもなかっただろう。抽象的にすぎる言いかたかもしれないけれど、「世界」と「私」の関係が、ひどく不幸なかたちでのぎりぎりの緊張関係を生んでしまったことが、雪崩れ込むような死の誘惑へと向かってしまったように思う。そして、こういう状態はどこか魅惑的である。

彼女は事実として、最後はビルから飛び降りて自殺した。しかし今回あらためて読み返して感じたのは、生々しい「死」という状態に突き進んだというよりも、なんというか、彼女は書物という厖大な世界のなかに吸い込まれてしまったような印象を受ける。自殺を美化してしまう言説への加担を承知しつつも、そう思ってしまう。導かれた先は、彼女の愛したボルヘスの「バベルの図書館」のような世界かもしれない。

文字の順列組み合わせで書かれた無数の書物が収められた図書館、そこには理論上すべての本が存在する。
その完全性ゆえに、一人の人間=司書が一生の間に意味のある文章を読むことはほとんどない。順列組み合わせで出来上がった無意味な文字列が並ぶ本が収められた無数の書架が並ぶ無数の部屋で構成された無限の図書館=宇宙。(p.127)